陶芸家 中島晴美さん 過保護で感情的な母が苦手だったのに「そっくり」と言われます

井上昇治 (2024年1月14日付 東京新聞朝刊)
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家族について話す陶芸家の中島晴美さん(井上昇治撮影)

カット・家族のこと話そう

口癖は「女やからって、ばかにするな」

 母のことが苦手でした。過保護で、あれこれ世話を焼いて、コントロールしてくる人だったからです。僕が大人になっても、制作中に「もう少しここを曲げた方がいい」と、陶芸作品について口出しするほど。

 一方、父は一般的なサラリーマン。世間の評判やメンツを気にする普通の人です。母は一昨年、父は15年ほど前に亡くなりました。僕は長男で、姉と弟がいます。

 小学校5年のとき、切手収集を始めました。それを知った母は友達の郵便局員に頼んで、僕のために記念切手が出るたびに1シートずつ取り寄せました。僕はつまらなくなって収集をやめました。父は「自分で郵便局に並んで集めるのが楽しいのに、おまえが一番おいしいところを取っちゃって。それはあかんぞ」と言ってくれました。

 母は僕の前では、きょうだい3人の中で「おまえが一番好き」と強調しましたが、姉にも弟にも同じことを言っていました。子どもへの愛情がとても強かったんです。

 思いついたら、何でも言うし、何でもやる。「女やからって、ばかにするな」が口癖。感情的になって泣くし、わめくし、そのくせ気が小さく、くよくよする。感受性が強く、命のエネルギーがあふれていました。生きている実感が欲しかったんでしょうね。

良いところも嫌なところも受け継いだ

 僕は大学進学で家を出ました。卒業後、滋賀県の信楽(現・甲賀市)の会社で働きながら制作していた頃、かみさん(陶芸家の中島克子さん)と出会い、結婚。26歳のとき、岐阜県の多治見市陶磁器意匠研究所で働き始めたタイミングで恵那市に戻り、両親の家の隣に住み始めました。

 かみさんは、母と正反対の性格だから苦労したはず。父が、かみさんに「一家に冷静な人間が2人いれば平和やでな」と言ったといいます。2人はもちろん、父と、かみさん。ただ、母は意外に、かみさんを大事にしていたし、かみさんも母のことを尊重していて、2人は結構、気が合っていたんです。母はチャーミングなところがあり、友達も多くいましたね。

 実は、僕が母にそっくりだというのが、かみさんと3人の子どもの一致した意見。かみさんからは、マザコンと言われています。

 父の定年後、両親は自宅で習字教室をしていました。父は整った美しい字を書きましたが、母の字はバランスは悪いけど、伸びやかでおおらかでした。僕は、母の字のほうに魅力を感じました。

 母から、良いところも嫌なところも気質を受け継いだのは確か。自分がしたいことをわがままにやるところも似ています。そういえば、ある美術評論家からは「おかあさんの遺伝子をもらって、陶芸家としての今のあなたがあるんですよ」と言われました。その通りだと思います。

中島晴美(なかしま・はるみ)

 1950年、岐阜県恵那市生まれ。同市で制作。1973年、大阪芸術大デザイン科陶芸専攻卒業。同県多治見市の市陶磁器意匠研究所所長。2003~16年に愛知教育大教授。造形性を追求した現代陶芸で知られ、英国のビクトリア&アルバート博物館など国内外の美術館に作品収蔵。1995年国際陶磁器展美濃で陶芸部門金賞、2009年度日本陶磁協会賞。

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