「侍ジャパン」最年少の中日ドラゴンズ投手 金丸夢斗さん 審判の父からの言葉「淡々と投げよ」が染み付いて

福沢英里 (2025年11月16日付 東京新聞朝刊)

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父雄一さんとの思い出を話すプロ野球中日の金丸夢斗投手=名古屋市中川区の中日ドラゴンズ屋内練習場で(今泉慶太撮影)

カット・家族のこと話そう

各界で活躍する著名人が家族との思い出深いエピーソードを語るコーナーです

当たり前のことをしっかりやる

 まずはけがなく1年を終えたこと、プロの環境に慣れることも大事で、そこもある程度はできた。両親はこの1年、体のことをずっと気にかけてくれていたので、とても安心していました。韓国と強化試合を行う日本代表に選ばれ、「選出おめでとう! 本当に楽しみ」って言葉をかけてもらいました。

 金丸家の方針はあいさつをすること、当たり前のことをしっかりやることです。生活面で両親からうるさく言われた記憶はないのですが、普段は優しい父も野球に関しては厳しい面もありました。

 公務員で、平日は仕事、週末は社会人野球などの審判をしています。小さいころ、父とキャッチボールをするうち、自分も野球をやりたいなと思って、小1で2歳上の兄と一緒にチームに入りました。

 いろいろなポジションをやりつつも、本職はずっとピッチャー。そのころから厳しく言われてきたのが審判目線で見るマウンドでの態度です。調子が悪くても態度に出さない、逆に良くても表情を変えないように「淡々とやりなさい」って。小さいころは怒ってよく態度に出していたので、注意されました。そうすることで、投球の波がなくなるというか。父の言葉は今も染み付いています。

 進路について考える時期になり、父には「野球を少しでも長く続けてほしい」と言われていました。逆に母には、「いつけがをするかもしれないし、野球だけやっていてはだめ。ほかのこともしなさい」って。でも、野球で生きていくと決めていたので、聞き流していましたけど…。

父のおかげで人生の道が決まった

 高校3年のとき、新型コロナウイルスで夏の全国高校野球の大会や練習がなくなっても、筋力トレーニングを続けていました。そうやって努力することは苦にならなかった。当時は大学進学という目標があり、こうなりたいという思いがあって階段を上がっていくイメージで。何かを極めることを徹底してやっていこうと思っていたので、それが野球だっただけですね。

 プロになったからにはやっぱり注目されたい。プロの世界に届きそうにない時期、父とプロ野球を見に行った際の選手への注目度を感じていたので。プロになって感じるのは、ピンチで抑えたとき、勝ったときの達成感がすごい。もちろんしんどいけれど、野球をやってお金をもらえて、めちゃくちゃいいことだと思います。

 父が審判員をやっていて野球に詳しかった。そんな父のおかげで人生の道が決まった。今の時代、日本を離れることも一つの目標ですが、そこを目指しながら、ドラゴンズで日本一を狙いたい。両親と将来について詳しく話したことはないですが、年末年始にそんな先のこともゆっくり話そうかなと思っています。

金丸夢斗(かねまる・ゆめと)

 2003年生まれ。兵庫県出身。神戸市立神港橘高を卒業後、関西大に進学。関西学生野球リーグで2年春から3年秋にかけ18連勝を記録した。24年のドラフトで中日ドラゴンズから1位指名を受け入団。今季は1軍で15試合2勝6敗、防御率2.61。左投げ、左打ち。16日までの韓国との強化試合に臨む日本代表「侍ジャパン」のメンバーに最年少で選ばれた。

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