<子どもの平成 中・守る>地域が育む居場所 子ども食堂3000カ所に 貧困問題「家庭任せは限界」
事情ある子が身を寄せる池袋の「ホーム」 夕食や一時預かり
「うわ、ぐちゃぐちゃ」「青ノリかけすぎ」
4月の土曜の夜、東京・池袋にある「WAKUWAKUホーム」で、高校生ら5人がスタッフとお好み焼きの食卓を囲んでいた。香ばしいにおいが漂う。ホットプレートの上で誰かがタネをひっくり返すと、失敗しても成功しても楽しそうな笑い声が広がった。
ホームは2年前、子どもの居場所としてオープンした。地域で子どもを支える取り組みをしてきた地元のNPO法人「豊島子どもWAKUWAKUネットワーク」が運営し、週2、3回、子どもたちに無料で夕食を提供するほか、一時的に自宅で暮らせなくなった子どもを保護者承諾のうえで預かる。事務局長の天野敬子さん夫婦が住み込み、子どもたちを見守る。
母子家庭のケンジ君「心が落ち着いた」 高校で再スタート
親が入院したり、ご飯を作ってもらえなかったり、子どもたちはさまざまな事情でホームに身を寄せる。この日の夕食に来たケンジ君(15)=仮名=も、昨年7月から9カ月間暮らした。
ひとり親家庭で、母親と関係が悪化し、「けんかばかり。家出も繰り返した」。狭い自宅には一人でこもれる部屋はない。唯一のストレス解消だったバスケットボール部を夏前に引退すると、学校へ行く理由もなくなった。家にいるのが嫌で、知らない場所をあてもなく歩き回ったが、夜は寂しく、怖かった。
行政から紹介され、不安を抱えてホームへ。ボランティアの学生や地域のおじちゃん、おばちゃんらと交流するうちに、心が落ち着いた。「話を聞いてくれて、おなかがいっぱいでも『もっと食べな』っておかわりをくれたり。そんな大人は初めてだった」
母親とも関係が改善し、高校入学を前に家へ帰った。「心配はあるけど、ホームが支えてくれる。新しい人生のスタートが切れた」と明るい笑顔を見せた。
「子どもの貧困」に衝撃 何かしたい
平成の30年間で、社会は子どもたちに虐待やいじめなどの困難があると認識し、解決策を模索し始めた。中でも「子どもの貧困」の発見は大きな衝撃だった。
「昨日からご飯食べてないとか、引っ越し前は車で寝泊まりしたとか、ママが毎日殴られるとか。そんなことあるのかって、びっくりした」。WAKUWAKUネットの理事長、栗林知絵子さんは、子育て中の専業主婦だった2003年を振り返る。
当時、自由に外遊びできる区のプレーパークが近所にでき、運営団体の代表を任された。そこで出会った子どもたちから、貧困の実態を聞いた。区へ報告したが状況は変わらなかった。
「高校に進学できないかも」と話す男の子との出会いをきっかけに学習支援を始め、12年にネットワークを立ち上げ、翌年に子ども食堂を開設。その後も、子どもの困り事を知ると「何とかしたい」と取り組みを広げた。ホームもその一つだ。
「親がやるべきこと」と言われた子ども食堂 「地殻変動」は起きた
子どもの貧困は以前からあったのに、なぜ問題にされてこなかったのか。「本来、親がやるべきこと」「まずは自助。順番を間違えるな」。子ども食堂を始めたころ、栗林さんは行政職員や議員らから、こんなふうに言われたという。
「子育ては家庭の役割」が当然だった昭和が終わって二十数年、「地域で育てる」という考え方はまだまだ理解されていなかった。しかし、子ども食堂の取り組みは急速に全国へ広がり、今では3000カ所ともいわれる。地殻変動は起きた。
幼児がマンションに置き去りにされて餓死するなど、家庭の機能不全を示す事件が各地で相次いだ。非正規雇用の問題では大人の貧困がクローズアップされ、子どもの貧困にも人々の目を向けさせた。今も子どもの貧困率は高く、いじめや虐待で犠牲になる子どもも後を絶たない。解決は新しい時代へ持ち越された。
「家庭にすべて任せるのは限界だと、やっと理解されてきたのでは。各地での小さな積み重ねは、いつか大きな力になります」。栗林さんは信じている。
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