「ベネッセの類似テストを受けた生徒が有利」都立高入試の英語スピーキングテストに教員からも疑問符「公平性が破綻している」
会話よりテクニック 事前対策が必要
「日本では生徒が学校を掃除すると聞いた。私の学校では作業員が行う。どちらがすべきだと思うか」。英語で質問され、自分の意見とその理由を、40秒以内に英語で述べる。昨年のプレテストの最終「パートD」の問題だ。
「パートC」の4コマのイラストを英語で説明する問題では、余計な感情表現や情景描写がない簡潔な文章が解答例として紹介された。英国駐在経験がある記者は、問題の設定通り友人に話すように面白おかしく語ろうとすると時間が足りなかった。会話よりテクニック重視で、事前対策が欠かせない印象だ。
「地域や家庭の経済状況で大きな差」
テストは15分間で、ヘッドフォンとタブレットを使い自分の音声を録音する。100点満点で採点されるが、配点は不明。昨年のプレテストの平均は53.7点だった。学力検査と調査書(計1000点満点)と合わせて1020点満点の都立高入試に当てはめると、12点が加算される生徒が最多となる。
「塾や英会話教室に行っていないので心配です」。テストの特設ウェブサイトのQ&A欄。都教委は「教科書の音読や学校での活動を思い出し、もう一度声に出してやってみるなど、家庭での復習で十分に力を付けることが可能」と回答している。事実だろうか。
女性教員(47)は「パートDのようなレベルに対応できる練習を十分に行う授業時間は確保されていない。授業で付けた力を測るにふさわしい問題とは思わない」と断言する。
別の女性教員(28)は「塾で練習した生徒や(テストを運営する)ベネッセの類似テストを公費で受けさせる地域の生徒が有利なのは明らか」と指摘。「公教育である都立高入試は学校で習った知識で解けることが大前提。このテストはスタートラインから地域や家庭の経済状況で大きな差があり公平性が破綻している」と憤る。
「人より機械とつながる力が測られる」
都教委はグローバル人材の育成を掲げ、テストを推奨してきた。これに、正反対の見方をする男性教員(28)は「テスト対策のために外国人教員との授業時間が削られ、子どもたちから英語を話す楽しみや豊かさを奪っている。子どもたちの間で、英語を話すことに抵抗感が生まれた。テストは話す力の向上にならない」と嘆く。
長年、中学生への英語教育に情熱を傾けてきた女性教員(62)は呼び掛ける。「今回のテストは、外国語が持つ人と人がつながる力ではなく、機械とつながる力が測られる。この非人間的なやり取りに多少失敗しても、それをあなたの英語力と思わず、英語で人とつながり世界が広がっていくワクワク感を忘れずに持ち続けて」
なるほど!
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中学校の英語の授業で学んだことを活用するとしても、そもそも日本の英語教育がしっかりしていないから無駄だと思う。大事な文法も口頭の説明だけ、論理的な説明もせずに「覚えろ」、「決まり文句だ」で終わらせる。おまけに教科書も登場人物のストーリー性重視で学びになっていない。このような英語教育から果たして何が学べるというのか。
実際のE-SATJの試験もひどいものだ。待機時間は無駄に長く、設備もしっかりしていない。後日返却されるスコアシートにはまともなコメントが書かれていない。大体の生徒はスコアシートを見て「良かった」、「悪かった」で終わらせてあとは何もしないだろう。これでは次の学びに結びつかない、本末転倒なのではと思う。
こういうことを始める前にもっと重視することがあるはずだ。グローバル化だの英語力だのと目先の物事だけに囚われている気がする。まずは根本的なところから改善するべきなのではと思う。
私にはスピーキングテストを実施する意義がわからない。是非、英語教師の皆様のご意見を賜りたい。門外漢を承知で述べるが、そもそも良い(高得点相当の)スピーキングとは何なのか?発音やイントネーションがネイティブに近ければ良いのか?多少それらの点が劣っても自分の言いたいことが伝われば良いのではないのか?外野の邪推であるが、キチンとした採点基準が存在するのかも怪しい所だ。気の毒なのは生徒である。
入りたい大学の過去問に絞って集中的に勉強するという解決法もある。
英語のスピーキングテストよりも、男女で試験の合否の点数が異なる都立高校の入試をなんとかして欲しいと思う。
合格点で男女差をつけるのは都立高校だけだと聞きました。
男女差別を仮にも首都でいつまで続けるのでしょうか。。
女子生徒がかわいそうです。
うーん。確かに不公平だと思ったけど、都立高校に限る話ではないと思う。例えば共通テストは数学など授業をきちんと受けていても対策問題集を買ったりしないと対応できない問題ばかりだと思う。大学入試もその傾向があって、高校範囲を逸脱した内容や教科書を読んで授業を聞いているだけでは思いつきようのない内容を聞いている。わたしはそのテストに合わせた能力を磨いたり求められるものを答えることが重要視されているのだと思って、その通り勉強した。授業では扱えない範囲は問題集を買ったり先生に補講をしてもらったりして磨いた。それで身についたものは確かにあったと思うし、その能力は今でも役に立っていると思う。
明かに不公平・不正なテストなのに、中止にしない知事、都教育委員会、ベネッセに不信感。避けようがない入試に導入して子どもに負担をかけないで。利益を得ようとしないで。
英検取れば有利とかで勉強している。すでに負担があるのに、どこまで子どもを苦しめたいのか。
複数のクラスで、1クラス5~6人が不登校おこしている。都教育委員会はこの現状把握と改善の方が大事。子どもの心身の負担をもっと考えてほしい。
「この非人間的なやり取りに多少失敗しても、それをあなたの英語力と思わず、英語で人とつながり世界が広がっていくワクワク感を忘れずに持ち続け」るためには、このテストが実施されたとしても、スコアの入試利用は断固中止される必要があります。