不登校だった私が養護教諭になって 「大丈夫だよ」 居場所のない子を受け止めたい

石川修巳 (2021年3月28日付 東京新聞朝刊)
子育て世代がつながる
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「子どもたちのありのままを受け止めたい」と語る養護教諭の海老原千紘さん

 小、中学時代に3度の不登校を経験した海老原千紘(ちひろ)さん(27)は昨春、千葉県内の公立中学校で養護教諭として新たなスタートを切った。ある日学校に行けなくなり、頑張って学校に戻っても、また不登校に。学校という場で働く自分の姿が、不登校に悩んでいる子どもたちへのエールになれば、と願っている。

ボランティアが契機 看護師から転職

 養護教諭になる前、海老原さんは、大学病院や緩和ケア病棟で看護師として働いてきた。当時、平日の休みを利用して、自分が中学時代に通ったフリースクールでボランティアを始めたのが、転職のきっかけになった。
 
 そこには、かつての自分のように「私は普通じゃない」と悩む子どもたちがいた。学校に行っていない罪悪感と将来への不安。海老原さんは自分の経験を語り、「私も同じだよ」と伝えたかったという。
 
 「私が今やらなきゃいけないのは不登校支援だ、って使命感に駆られて」。看護師を辞めて大学に通い、2020年4月に養護教諭になった。

泣くか寝るかの日々 人生終わったな

 海老原さんが不登校になったのは小学6年の時。卒業間近の2月にあった縄跳び大会で、先生に誤解されてみんなの前で怒られた。「ずっとおなかも痛いし、全部嫌になっちゃって」
 
 中学校は学区外を選んだけれども、女子の人間関係に悩んで再び不登校に。2年から転入した私立中学校でも、周りに気を使うのに疲れてしまったという。
 
 当時を振り返ると、「泣くか、寝るかの日々。もう人生終わったなって」。母が心配して、不登校から復学した誰かの話をして励ましても、「その子は普通。でも、私は普通の子じゃないから」と反発した。

フリースクールでの出会いに救われて

 転機は、母が見つけた千葉県柏市のフリースクール。そこで出会ったボランティアの女子大学生は「私も学校に行けない時があった」と明かし、「話を聞くよ」とありのままの自分を受け入れてくれたという。
 
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フリースクールに通っていた当時、10年後の自分に宛てた海老原さんのメッセージ

 「不登校は、私の中の嫌な部分だと思っていた。でも、共感してくれる人がいるんだと思ったら、すごく救われて」と海老原さん。その後、併設の通信制高校を経て看護大学に進み、今がある。

 この春で養護教諭になって1年。「生徒との会話がすごく楽しい。あれだけ学校が嫌いだったのに」。居場所がないと悩む子どもたちとも、積極的に関わるようにしているという。
 
 道しるべは、不登校だった自分自身の経験だ。「あの時の私もそう。だから、今度は私がありのままを受け止めたい。大丈夫だよって」
 

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コメント

  • 匿名 より:

    学校の養護教師の役目は何か、一時的ならともかく、居場所のない子の引受先ではないと思います。

    学校は(いい悪い別として)本来勉強する場です。勉強をする大前提があって、一時的、急激な体調不良などに応急処置をしたり、医療機関や関係行政への連携を図る役割だと思います。

    居場所のない子に一時的な保護(今日突然に虐待で家を出されたとか)ならいいと思いますが、そうでない子には、もっと適切な機関へ連携すべきだと思います 子供のために。

    養護教師の本来の役割を考えて、オールラウンダーが良しとされるような、そういうのは私は反対ですね。 

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