フリーアナウンサー 後藤楽々さん SKE48オーディションに相談なく応募した母とけんか「1次が通っただけ」と面白がる父に乗せられて

大森 雅弥 (2025年12月14日付 東京新聞朝刊)

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両親のことなどを話す、フリーアナウンサーの後藤楽々さん(川上智世撮影)

カット・家族のこと話そう

各界で活躍する著名人が家族との思い出深いエピーソードを語るコーナーです

習い事をやめてやりたいことが

 母と私は性格が違うのに、お互い言いたいことを言うので、よくけんかをしました。アイドルグループ「SKE48」に入る時もそうでした。

 私は「物事どうにかなるでしょ」というマインドですが、母は用意周到に準備をするタイプ。母の勧めで小学生のころから習い事をやっていました。ダンス、ミュージカル、ゴルフ、琴、バイオリン、ピアノ…。習字は自分からやりたいと言って、月曜から土曜まで毎日。二つする日もありました。

 そんな習い事を全部やめてもやりたいことが中学でできたんです。テニス部で補欠になり、もっと頑張りたいとテニススクールに入らせてと母に頼みました。体験入学に母と行きましたが、私にはテニスの才能がないと思ったようで、ほかに長所を生かすものを探していたら、SKE48の7期生オーディションが始まっていて、母は相談なしに応募してしまったんです。

 ある日の学校帰り、バスに乗っていたら、母から写真がライン(LINE)に。見ると、SKEの1次(書類)審査合格の通知です。帰宅後に大げんか。「やれない、やりたくない」と、母と激しい言い合いになりました。

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「ZIP!」「シューイチ」などで活躍する後藤楽々さん

 そうしたら、いつもは見守る父が「もう受かる前提で怒っているけど、1次を通っただけだから。すごい自信だね」と面白がるんです。「いやいや、受かるし」と返したら、「じゃあ、やってみますか」と乗せられて。

 実際にアイドルになったら、想像と全然違いました。ステージに立った時のみなぎる感覚はほかでは、いまだに経験したことがありません。楽しさ、つらさ、いろんな感情を共にしてきた信頼できる仲間にも出会えました。

仕事の厳しさを教えてくれる父

 2年ぐらいたったころ、当時、名古屋のテレビ局で朝の番組のお天気を担当していた塩尻奈都子さんに憧れて、「朝の顔」になりたいと思うようになりました。母がアナウンサーになりたかったと言っていたことも頭の隅にありました。

 大学進学直後にSKEを卒業し、自分から今の事務所に履歴書を送って、夢だった朝の番組に出ることができました。全ては母のおかげ。テニススクールに入っていたら、今の私はありません。

 一方、父には仕事の厳しさを教えてもらっています。よく言われるのは「人生は下りのエスカレーター」。少し頑張ったぐらいでは現状維持、何もしなかったら下るばっかりだぞって。親の愛のありがたさ。恥ずかしくてあまり口にしないけど、2人には本当に感謝しています。

 母は子育てが終わったことが寂しいみたい。とにかく東京で頑張ろうと思ってやってきたのですが、今は地元名古屋の仕事にも挑戦したい。恩返しをしたいんです。

後藤楽々(ごとう・らら)

 2000年、愛知県出身。15年にSKE48の7期生オーディションに合格し、中心メンバーとして活躍した。2019年にSKEを卒業後、芸能事務所「セント・フォース」と契約し、大学生の傍ら、フリーアナウンサーとして活動を始める。現在は日本テレビ系「ZIP!」「シューイチ」などに出演。英会話やゴルフが得意。

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