歌手 クリスタル・ケイさん 日米韓の架け橋になりたい 「あなたはパイオニア」 パワフルなママが応援団

五十住和樹 (2024年7月28日付 東京新聞朝刊)
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クリスタル・ケイさん(七森祐也撮影)

カット・家族のこと話そう

人のため、がパワーになる

 私は在日韓国人3世のシンガーの母と、米国籍黒人ベーシストの父の間に生まれました。ママはとてもパワフルで面倒見がいい。どんな相談をしても答えが出てくる。

 自分のモチベーションが落ちちゃった時、どれぐらい自分を信じられるかという話をしていたら、ママは「私は自分なんか信じてない」って言ったんです。「人のために何かをするという方がずっとパワーになるし、目標になる」。確かにそう。誰かのために絶対にやるという方が「私が頑張んなきゃ」っていうエネルギーも生まれる。

 私は小さい頃から歌イコール世界と思っていて。世界に出たい夢もあるし日米韓の架け橋になりたい。私みたいなハーフの子たちのロールモデル(お手本)になりたい。ママは「そうだよ、あなたはパイオニアなんだから」って。一番近くにいる先輩であり応援団。

 私がアイデンティティー(私が私であること)のコンプレックスを抱えている中でも「いろんなカルチャーを持っていて、このルックスでこの歌で世界に表現できる人はあなたしかいない」と、ずっと言ってきてくれた。日米韓をつなげる人はなかなかいない。使命感が強くなってきた。近くにいて言ってくれるのがどれだけラッキーで幸せなことか。うん、力になる。

テレビ収録で家族大泣き 

 両親は私が7歳か8歳くらいの時に離婚し、ママは女手一つで私を育てた。3人姉妹の長女のママは、16歳で家を出て黒人と結婚したので、おばあちゃんは「もう帰ってくんな」みたいで、勘当状態だったようです。でも、冷たくされても、毎週火曜日に実家に私を連れてご飯を食べに行くことをずっと続けていました。

 テレビ番組の収録で私とママの3人で韓国・釜山に行って食事をしていた時、おばあちゃんが「私はあなたのように娘を頑張って育てる母親になれなかった。ほんとにごめんなさい」って初めて謝ったんです。みんな大泣き。ちょっと革命的な瞬間でした。

好きな楽器は父のベース

 パパは車好きで、犬好き。家族でライブを見に行くなどいつも音楽がありました。パパがベーシストだから私が好きな楽器はベース。私が最初に歌ったのがベースラインだったらしい。2歳の時、車の中でシーラ・E(米国の歌手・ドラマー)の音楽に合わせて「あれ、この子ベースライン歌ってるよ」って。まだ十分にしゃべれないのに。ママは本当にびっくりしてた。

 韓国の家庭料理を含め、ママは何でも作れる。経営するスナックで出すナポリタンはそれを目当てに食べに来る人がいるくらい。私も韓国スタイルの味付けを教えてもらっていて。料理は得意かもね。

クリスタル・ケイ

 1986年、横浜市出身。99年に「Eternal Memories」でシングルデビュー。「恋におちたら」などヒット曲多数。今年プロデビュー25周年を迎え、12月には地元・横浜で25周年ライブを開く予定。8月21日から東京・渋谷の東急シアターオーブで始まるミュージカル「RENT」に出演する

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