タレント 清水ミチコさん 「この人すごい」と思うとすぐモノマネ 感激屋さんなのは父譲り

佐橋大 (2025年10月12日付 東京新聞朝刊)

写真

清水ミチコさん(木戸佑撮影)

カット・家族のこと話そう

各界で活躍する著名人が家族との思い出深いエピーソードを語るコーナーです

父はジャズ喫茶 パスタに感動して…

 東京に出る前は、岐阜県高山市で両親と弟、祖母の5人暮らし。10年ほど前に亡くなった父は感激屋さんでした。私が高校生の頃、父はジャズ喫茶とお菓子屋さんをやっていました。店に飾るアンティークなものを買いに東京に出て行くことがあり、それに一回付き合ったんですね。

 スパゲティで有名な店があるらしいといって、そこで食べた父はすごく感動して。「オーナーの方を呼んでください」となって、その場で「フランチャイズで、同じパスタを出す店をやりたいから、話に乗ってください」と言って、びっくりされていました。私はずっと待たされて、その場でフランチャイズ契約を結ぶことに。

 パスタの店は20年ぐらいやって、もう閉じちゃったんですけど、感動してそのまま行動するというところは、私も結構、受け継いでいると思います。「この人すごい」と感動すると、すぐモノマネしちゃうところとか。

母はお笑い好き 弟とは今でも仲良し

 それとは逆なのが母親。すぐ行動するということがなくて。でも、お笑いや辛口なエッセーが好きでした。買ってきた本を、私も一緒に読んでいました。

 若い頃、日本旅行に勤めていて、それもあってか、時刻表を見てうっとりしているんですよ。乗り物の時刻表が物語に見えるらしくて。

 1970年の大阪万博は、弟が生まれる前だったので、両親と私の3人で行きました。3人で感動して機嫌良かったのに、夜、眠い私を前に夫婦げんかしている。後で聞いたら、宿を前もって予約したのに、会場から遠い宿になって、おまけに修学旅行生と同じ宿で、肩身の狭い思いをしたことに母が怒っていたと。旅行会社の人ですからね。それが万博の思い出です。母は今、実家で健在。元気いっぱいではないですけれど、よく電話で話しています。

 ジャズ喫茶の店を継いでいる弟とはすごく仲が良くて、子どもの頃は一緒にピアノの連弾をしました。今でも弟をライブに呼んで、ピアノ演奏をしてもらっています。

娘はとても真面目 小学校でびっくり

 娘は結婚しているので、今は夫と2人暮らしです。夫はラジオ番組のディレクターをしていて、知り合いました。「ライブの構成は、こうしたほうがいいんじゃない」とか「この曲は、後の方がいいんじゃない」とか、楽しくやっています。

 娘は私に似ていなくて、とても真面目な子。小学生の頃に、担任の先生から「どうやったら、あんないいお子さんに育てられるんですか」と聞かれて、びっくりしたことがあります。「掃除を真面目にやりましょう」と注意したら、一人残って掃除していたのはお嬢さんだけでしたと。似ていないなと思いました。

 娘夫婦はライブをよく見に来てくれます。それが励みになっています。

写真 清水ミチコさん

清水ミチコ(しみず・みちこ)

 1960年、岐阜県高山市生まれ。モノマネとピアノ演奏を軸に、俳優や歌手、タレントをネタにした芸やトークで活躍。11月22日~来年4月25日まで、全国ツアー「清水ミチコのHAPPY PARADISE」で全国32カ所を巡る。

1

なるほど!

0

グッときた

0

もやもや...

4

もっと
知りたい

すくすくボイス

この記事の感想をお聞かせください

/1000文字まで

編集チームがチェックの上で公開します。内容によっては非公開としたり、一部を削除したり、明らかな誤字等を修正させていただくことがあります。
投稿内容は、東京すくすくや東京新聞など、中日新聞社の運営・発行する媒体で掲載させていただく場合があります。

あなたへのおすすめ

PageTopへ