映画評論家・渡辺祥子さん 小学生のとき父に連れられ「白雪姫」 この世界に魅せられた

家族の思い出を語る映画評論家の渡辺祥子さん(五十嵐文人撮影)

各界で活躍する著名人が家族との思い出深いエピーソードを語るコーナーです
初めて覚えた監督の名は「ヒチコック」
戦後間もなく、小学生の時、父に連れられて映画館でディズニーの「白雪姫」を見ました。すてきでカラフル、音楽が良くて、それで映画の世界に行きたいと思ったのです。父は、私が映画を見たいと言うと、よく映画館に連れて行ってくれました。
アルフレド・ヒチコック監督の「知りすぎていた男」(1956年)を見て、ヒチコックに夢中になりました。ですから私が初めて覚えた監督の名前はヒチコック。本も好きで探偵小説やミステリーを愛読しました。小学2年だったと思いますが、最初に読んだ小説が野村胡堂の「銭形平次捕物控(とりものひかえ)」です。父が印刷会社に勤めていて本を持ち帰る。その中から面白そうなものを読んでいました。
私は東京都文京区の小学校を卒業し、区内の私立女子中高一貫校の桜蔭学園へ進みました。新しいことが分かるので勉強は好きで、両親から勉強しなさいとは言われませんでしたね。
夫の第一印象 仕事がちゃんとできる人
大学を卒業して出版社に入り、映画月刊誌の編集部で働き始めました。その頃、洋画を配給していた「東京第一フィルム」という会社があり、その会社で映画の宣伝の仕事をしていた夫(映画評論家の筈見有弘(はずみありひろ)さん・故人)と知り合いました。私は大学を出たばかりで彼は4歳年上。私が彼の元に原稿を取りに行って、仕事がちゃんとできる人だと感じました。それが第一印象です。
私はその後、フリーで映画評を書くようになり、彼も「日本ヘラルド映画」(当時)をへて映画評論家になりました。彼は大学は仏文科を出ておりフランス映画、私はハリウッド映画と好みが違うので、話していて気づかされることがある。私は映画の中に入ってしまうタイプ。彼は学術的に一歩引いて見る。試写室で前方の席に座るのも、私のように中に入りたいからではなく、詳しく見たいから。
彼は、外国俳優事典の出版を目指していました。海外の映画作家を見ていて、日本は考え方が偏っており、何か違うと思っていたのではないでしょうか。事典(「外国俳優大事典」芳賀書店、1993年)はできたけれど彼自身は病に倒れた。彼がいなくなって寂しかったですね。いろいろな人と映画の話はしますが、彼とならもう少し突っ込んで話すのに、と思うことがありました。
私は自分の好きな映画をたくさんの人に知ってほしいと思って書いてきましたが、映画を取り巻く状況は今、変わってきています。オンライン鑑賞が増え、映画館が必要とされなくなっている。大きなスクリーンで見たいのですが、閉館してしまうのは寂しい。スマートフォンで映画をご覧になる若い方も多いようですが、例えば写真も通常のサイズと縮小されたものとでは、見た時の印象が全く違う。映画も同じです。映画を作った人が望む大きさで見てほしいですね。
渡辺祥子(わたなべ・さちこ)
1941年、埼玉県出身。1959年、共立女子大学文芸学部卒業。出版社「雄鶏(おんどり)社」(現在は解散)に勤務し、月刊誌「映画ストーリー」の編集を担当するなどした後、フリーの映画評論家に。新聞を中心に寄稿し、今も年間200本以上の映画の試写を見て執筆を続ける。日本映画ペンクラブ代表幹事。
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