作家 岸田奈美さん ダウン症の弟に救われて そこから作家への道が始まった

吉田瑠里 (2022年3月22日付 東京新聞朝刊)
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作家の岸田奈美さん=本人提供

家族のこと話そう

仕事がうまくいかず、抑うつ状態に

 3年前、大学1年から9年ほど勤めたベンチャー企業を約2カ月休職しました。人前で話したり、企画を立ち上げたりするのは得意でしたが、社員が増えるにつれ、期日までに書類を出すといったことができず怒られることが増えて。私への愚痴に触れてショックを受け、抑うつ状態になりました。

 神戸市の実家で休んでいたら、4歳下の弟の良太が「どっか行こう」と言いました。弟はダウン症で、知的障害があります。平日なのに私が家にいるから、遊びに連れてってくれるかもしれへん、と考えたのでしょう。私も気晴らしに、2人で三重県のテーマパークに行きました。

 道中、バスで小銭が必要になったのですが、私は運転手さんに両替を頼むのも怖かった。すると、弟が近くの自販機にお札を入れてコーラを買い、小銭をくれました。弟はお金の計算ができません。ただ私の役に立ちたいという思いで考えてくれたんです。感激しました。

 仕事で自信を失っていた私は「身内にこんな強い存在がいる」と誇らしくなり、このことを投稿サイト「note(ノート)」に書きました。それが作家への道の始まりでした。私が中学2年の時に急逝した父の思い出、高校1年の時に病気で倒れて車いす生活になった母、認知症が始まった祖母との暮らしもエッセーにつづってきました。

家族の「愛せる距離」を探すこと

 母から弟の障害のことを聞いたのは、私が小学校に入る直前の頃でした。「良太を恥ずかしい、嫌だと思ったら一緒におらんくていい」と言われたんです。「自分の幸せを考えて。奈美ちゃんが幸せにしているのが、お父さんとお母さんの一番の幸せ」と。

 家族だから愛さなければいけないとは思っていません。たまたま、いとしいと思ったのが家族だった。そして母と話して、家族を愛するということは「愛せる距離を探すこと」という私たちなりの結論にたどり着きました。母は父が亡くなってから、私や弟、祖母のことを全部自分で引き受けてきました。しかし、昨年に入院したのを機に、私は祖母が入所できる施設を探し、弟も週末はグループホームに宿泊し始めました。好きだからこそ、ちょっとずつ離れて、頼る先を増やしてそれぞれが自立するのが目標です。

 母はいつも「奈美ちゃんのやることには何か理由があるはずだから、家族として尊重する」と言ってくれます。実名でエッセイを出すことに葛藤もありましたが、「奈美ちゃんの書くことは何一つ間違いじゃない。勘違いはあるかもしれないけれど、思ったということは正しいから、好きなように書いていいよ」と。それが、私が今書いている理由でもあります。

岸田奈美(きしだ・なみ)

 1991年、神戸市出身。関西学院大在学中の2010年、ユニバーサルデザインのコンサルティング会社「ミライロ」(大阪)を仲間と起業。2020年に退社し、作家に専念。月刊誌「小説現代」(講談社)でエッセイを連載中。著書に「もうあかんわ日記」(ライツ社)、「傘のさし方がわからない」(小学館)など。

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