シンガーソングライター 間慎太郎さん 間寛平が父である幸せに感謝 世界で一番、尊敬してます

神谷慶 (2024年3月3日付 東京新聞朝刊)
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父・間寛平さんについて話すシンガー・ソングライターの間慎太郎さん(布藤哲矢撮影)

カット・家族のこと話そう

息子というより「寛平ちゃんのファン」

 兵庫県宝塚市で祖母、両親、2歳上の姉と育ちました。父は、吉本新喜劇ゼネラルマネジャーの間寛平です。

 父は多忙であまり家にいませんでしたが、母はいつもテレビを見せて「お父さんはこうやって一生懸命、働いてくれてるんよ。立派なんやで」と教えてくれました。自分は息子というより「寛平ちゃんのファン」という感じ。「家に寛平ちゃんおるから、見においでや」と友達を連れていくと「アヘアヘアヘ…」「かい~の」といったギャグを惜しみなくやってくれました。

 家では静か~、な人。だけど、「面白いことはないかな」と常にアンテナを巡らせている人。中学生くらいの頃、寝ていた時に蚊が耳元を飛び回るので、「こっちが血ぃ吸うたろか!」とぼくが叫んだ。「今のどう、おもろない?」と父に聞いたら「単純やから、アカン」と。翌日のテレビの生放送で「血ぃ吸うたろか~」とやっているのを見た時は、驚きました。あのギャグはぼくのアイデアです!

 中1で父が好きな忌野清志郎さんのビデオを見て衝撃を受け、ギターや曲作りに熱中するように。父は「勉強しろ」とは言いませんでしたが、一つだけ、「音楽やってえぇけど、教員免許だけは取ってほしい」と。昔、教員になりたかったそうです。いろいろな仕事を経験し、苦労したからこその言葉だと思います。首都圏の大学に進み、ライブばかりやってましたが、保健体育の教員免許は取りました。

毎日50キロ走り…努力を怠らない手本

 父は2008年12月から、地球一周の「アースマラソン」を始めました。大阪からスタートし、米国を目指して千葉県の鴨川からヨットで出発する時、家族で応援に行きました。約2カ月にわたる冬の太平洋横断。ぼくも不安でしたが、出発直前に2人きりになった瞬間に、父が「おかんのこと、何かあったら頼むで」と。自分のことを一人前の男として見てくれてるんやと、胸が熱くなりました。

 10年1月、アースマラソンでトルコにいた父の前立腺がんが発覚しました。電話したら、「大丈夫。俺のことはえぇから、日本でいい曲作って待っといてくれ」と。強い精神力を持った間寛平という人が父親である幸せに、素直に感謝しました。20代のころは、間寛平の息子ということで「どう思われているのかな」などと勝手に考え、悩む時もありましたが、負けてられへんなと思いましたし、有名人の息子であるという気負いもなくなっていきました。

 40歳を過ぎ、曲を作り、歌うことを続ける難しさも感じます。でも、続けることが大切で、それが親孝行にもつながるのかな、と。父も地球一周という挑戦を掲げ、毎日50キロ走るといった練習を50代後半から3年くらい続けた。努力を一日も怠らない手本をずっと見せてもらっています。

 子どもの時から、たくさんの人を幸せにしている偉大な人やと思っていました。世界で一番、尊敬してますね。

間慎太郎(はざま・しんたろう)

 1981年、大阪市生まれ。学生時代からバンド活動やギター1本での路上ライブに打ち込み、2005年にミニアルバム「バーボンストリート」でデビュー。聴く人の心に訴えかける歌声、繊細な感情を独自のワードセンスで表す詞が持ち味。映画やラジオ、バラエティー番組などでも活躍する。3月17日、東京・新宿レッドクロスでライブ。詳細は公式サイトで。

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