「男らしさ」「女らしさ」に縛られてほしくない 親夫婦が一番身近なモデルです〈性教育ビギナーズ〉

 「家庭でも職場でも男女は対等」と子どもに伝えたくても、まだまだ「男らしさ」「女らしさ」を求められる場面が残っているのが現実です。親として、この矛盾にどう向き合ったらよいのか、性教育研究者で「おうち性教育はじめます」(KADOKAWA)の著書もある村瀬幸浩さん(78)にヒントを聞きました。

時代で変わる、辞書の「男(女)らしい」の定義

 ―「男らしい」「女らしい」という考え方に抵抗があります。

 辞書を引いてみると面白いですよ。実は、「男らしい」「女らしい」という言葉は、編さんされた時期によって定義が変わっています。『明解国語辞典 改訂版』(三省堂、1952年)では、それぞれ「男にふさわしい立派なさまであること」「しとやかで優しく、いかにも女としてふさわしいこと」と説明されています。

 それが、『広辞苑 第2版補訂版』(岩波書店、1978年)では「男が男の気性を備えている。姿や性質が女らしくなく男にふさわしい」「女が女の気性を備えている。性質・容姿が男らしくなく女に似ている」となります。

 そして『明鏡国語辞典 第2版』(大修館書店、2010年)では、「容姿・性格・態度などが、いかにも男性という感じである」「容姿・性質・態度などが、いかにも女性という感じである」という表現です。もはや、違いを説明することは不可能なのが分かります。

 こうした背景には、男女のあり方が多様化していることもあります。しかし、もともと男と女は明らかに別々の存在というほどは違わず、それを「社会」の都合で別々の枠組みにはめこんできたのではないでしょうか。ですから、今日「男らしい」とか「女らしい」という言葉には具体的で積極的な意味はなくなったと思われます。

 今、日常生活の中で、この言葉は上下関係や差別の意識や偏見を伴って使われていることがほとんどです。子どものいる女性に向かって「こんな遅い時間まで働いていていいの?」。男性に対して「育休、どうしても取るの?」。どちらも、性別が逆の場合は聞かれることはあまりないでしょう。

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村瀬幸浩さん

「男の子なんだから泣かないの」と言ってませんか?

 ―いまだにこの社会的な男女の性区別「ジェンダー」の概念が残っているのはなぜなのでしょうか。

 私は二つの理由があると考えています。

 一つは、家庭の中に「家事育児は女性が中心」「フルタイムで稼ぐのは男性」という男女の役割分担が濃淡はありながらも根強く残っていること。例えば、6歳未満の子のいる男性の家事・育児時間などは、先進国の中で日本は驚くほど短いんです。

 「男の子なんだから泣かないの」「女の子なんだから、そんな乱暴な言葉を使わないの」。子どもに対してこんな言い方をすることはありませんか? 「男らしさ」「女らしさ」という考え方にうんざりしながらも、その再生産に無意識に手を貸してしまっているお父さん・お母さんは少なくありません。

 もうひとつは、社会制度の問題です。学校現場では、男女とも「さん」付けで呼ぶなど、対等・平等の意識を育てています。1994年には高校家庭科も男女必修化され、今の40代半ば以下の男性には家事育児を積極的に担おうと考えている人も多い。

 ところが労働環境がそれを許さないわけです。男女平等を定着させ、女性が活躍できるようにするためには、育児休業を取らないと会社が罰せられるような法律の整備などが不可欠です。

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村瀬幸浩さんがフクチマミさんとセックスや命の伝え方について分かりやすく取り上げた「おうち性教育はじめます」

夫婦は横並びの関係だと子どもに見せるのが大事

 ―今すぐに家庭内でできることはありますか。

 「男らしい」「女らしい」という意識を再生産しないことです。そのためには、夫婦がどれだけ対等で横並びの関係で生きているかが問われます。夫婦は子どもが男と女の関係を学ぶ一番身近なモデルです。妻が夫に望むことや、夫の仕事と家庭の板挟みのつらさを話し合い、共感に基づく妥協点を見いだす努力を粘り強く重ねてください。

 冷静に話せない場合は、紙に書き出すのがおすすめです。箇条書きでもいい。客観的に自分の気持ちを書き出して、諦めずに相手に伝えてください。そして相手の言葉に耳を傾けてください。自分と同じ価値のある他者としてパートナーと互いに向き合う姿を子どもに見せていくことが大切です。

村瀬幸浩さんによる対談・インタビュー「日本の近代化と性・ジェンダー」が掲載されている「季刊セクシュアリティ NO.96」(エイデル研究所)

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  • ながい says:

    私はノンバイナリージェンダーを自認しており、男性も女性も「異性」として認識しています。恋愛対象もバイセクシャルなので、余計に、自分の性別が規定されません。

    ゆえにイジメの対象になったりもしましたが、大人になって、結局は自由に生きられています。

    男らしくもなく、女らしくもない、かといって中性らしくっていうのも強制されない、いつも自由な服装で、自由な振る舞いで、自由な働き方で、ジェンダーにとらわれない子育てで、PTAにも、町内会にも積極的に参加しています。

    古来の伝統やジェンダー規範を守って生きたい方はどうぞご自由に。
    ただ、私たちと古い方々が違うのは、私たちは「男らしくするな」「女らしくするな」と強制はしないですね。でも、古い価値観の方はそれを陰に日向に強要しようとします。
    それは誰も幸せにしませんよ。

    まずは自分らしさを発見し、自分にとって幸せであるか考えて、生き方を選択するのがイイと思います。

    ながい その他 40代
  • 日曜武道家 says:

    平時においては賛成です。しかしこれだけは言えます。暴力、災害、事故、戦争など物理的な危機が訪れた場合、前に立つのは大人の男です。
    救命ボートに最後に乗るのは男です。躊躇する家族らに僕は言うでしょう。「女子供はさっさと逃げろ。死ぬのは男だけで十分だ」

    …などということが実際にできるかわかりません。しかしそれが「男らしさ」だと思っております。

    日曜武道家 男性 30代
  • 何某 says:

    人権作文の参考に拝見させていただきました
    素朴な疑問なんですけど なぜ親は 男の子らしくしろ 女の子らしくしろって言うんですか?
    記事を見ているだけではよくわかりませんでした。

    何某 男性 10代
  • 日本史好き says:

    「男らしさ、女らしさ(以下「男らしさ等」)より自分らしさ」と言うが、実際は自分らしさの中に男らしさ等が含まれているケースが多いと思う。確かに、完全に「男らしさ等」に一致する人は少ないかもしれないが、自分らしさに男らしさ等が含まれない人も少ないと思う。一番多いのは、大半は男らしさ等に合致するが、一項目か二項目個性が男らしさ等から逸脱するケースだと思う。事前に男らしさ等に寄り添える部分は無理に変える必要はない。男らしさ等のうち、「自分には合わないな」と感じる部分を自他ともに尊重すれば良い。人によっては、大半が「男らしさ等」から逸脱するケースもあるが、これを今後は個性として尊重することが必要だと思う。

    日本史好き 男性
  • 匿名 says:

    辞書の、男らしい、女らしい、の時代の変遷を興味深く読んでいました。
    男らしい、女らしいということを誰かが一定の定義をする時代は終わったといえことを物語っているということなのだと思います。さらに興味深いのはこの記事についているコメントです。
    私(女性)の認識では日本は女性差別もありますが、かといって社会的な立場を形成する上で男性は優遇されていると思いますが、かといって男性全体として幸せそうに見えるかというと男性の方が社会的な成功の定義が狭くてそこに嵌らないと生きづらく、個人の選択の自由度の低い人生を強いられているように見え生きづらさのあるカテゴリーに見えます。
    男らしさ、女らしさという価値観に縛られて皆が幸せならそれでいいでしょうが、それで幸せを享受できているひとが多いようには見えません。
    早くそのような呪縛から自分自身を解放していく社会にしていきたいと強く思いました。

      

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