「男らしさ」「女らしさ」に縛られてほしくない 親夫婦が一番身近なモデルです〈性教育ビギナーズ〉
時代で変わる、辞書の「男(女)らしい」の定義
―「男らしい」「女らしい」という考え方に抵抗があります。
辞書を引いてみると面白いですよ。実は、「男らしい」「女らしい」という言葉は、編さんされた時期によって定義が変わっています。『明解国語辞典 改訂版』(三省堂、1952年)では、それぞれ「男にふさわしい立派なさまであること」「しとやかで優しく、いかにも女としてふさわしいこと」と説明されています。
それが、『広辞苑 第2版補訂版』(岩波書店、1978年)では「男が男の気性を備えている。姿や性質が女らしくなく男にふさわしい」「女が女の気性を備えている。性質・容姿が男らしくなく女に似ている」となります。
そして『明鏡国語辞典 第2版』(大修館書店、2010年)では、「容姿・性格・態度などが、いかにも男性という感じである」「容姿・性質・態度などが、いかにも女性という感じである」という表現です。もはや、違いを説明することは不可能なのが分かります。
こうした背景には、男女のあり方が多様化していることもあります。しかし、もともと男と女は明らかに別々の存在というほどは違わず、それを「社会」の都合で別々の枠組みにはめこんできたのではないでしょうか。ですから、今日「男らしい」とか「女らしい」という言葉には具体的で積極的な意味はなくなったと思われます。
今、日常生活の中で、この言葉は上下関係や差別の意識や偏見を伴って使われていることがほとんどです。子どものいる女性に向かって「こんな遅い時間まで働いていていいの?」。男性に対して「育休、どうしても取るの?」。どちらも、性別が逆の場合は聞かれることはあまりないでしょう。
「男の子なんだから泣かないの」と言ってませんか?
―いまだにこの社会的な男女の性区別「ジェンダー」の概念が残っているのはなぜなのでしょうか。
私は二つの理由があると考えています。
一つは、家庭の中に「家事育児は女性が中心」「フルタイムで稼ぐのは男性」という男女の役割分担が濃淡はありながらも根強く残っていること。例えば、6歳未満の子のいる男性の家事・育児時間などは、先進国の中で日本は驚くほど短いんです。
「男の子なんだから泣かないの」「女の子なんだから、そんな乱暴な言葉を使わないの」。子どもに対してこんな言い方をすることはありませんか? 「男らしさ」「女らしさ」という考え方にうんざりしながらも、その再生産に無意識に手を貸してしまっているお父さん・お母さんは少なくありません。
もうひとつは、社会制度の問題です。学校現場では、男女とも「さん」付けで呼ぶなど、対等・平等の意識を育てています。1994年には高校家庭科も男女必修化され、今の40代半ば以下の男性には家事育児を積極的に担おうと考えている人も多い。
ところが労働環境がそれを許さないわけです。男女平等を定着させ、女性が活躍できるようにするためには、育児休業を取らないと会社が罰せられるような法律の整備などが不可欠です。
夫婦は横並びの関係だと子どもに見せるのが大事
―今すぐに家庭内でできることはありますか。
「男らしい」「女らしい」という意識を再生産しないことです。そのためには、夫婦がどれだけ対等で横並びの関係で生きているかが問われます。夫婦は子どもが男と女の関係を学ぶ一番身近なモデルです。妻が夫に望むことや、夫の仕事と家庭の板挟みのつらさを話し合い、共感に基づく妥協点を見いだす努力を粘り強く重ねてください。
冷静に話せない場合は、紙に書き出すのがおすすめです。箇条書きでもいい。客観的に自分の気持ちを書き出して、諦めずに相手に伝えてください。そして相手の言葉に耳を傾けてください。自分と同じ価値のある他者としてパートナーと互いに向き合う姿を子どもに見せていくことが大切です。
なるほど!
グッときた
もやもや...
もっと
知りたい
私はノンバイナリージェンダーを自認しており、男性も女性も「異性」として認識しています。恋愛対象もバイセクシャルなので、余計に、自分の性別が規定されません。
ゆえにイジメの対象になったりもしましたが、大人になって、結局は自由に生きられています。
男らしくもなく、女らしくもない、かといって中性らしくっていうのも強制されない、いつも自由な服装で、自由な振る舞いで、自由な働き方で、ジェンダーにとらわれない子育てで、PTAにも、町内会にも積極的に参加しています。
古来の伝統やジェンダー規範を守って生きたい方はどうぞご自由に。
ただ、私たちと古い方々が違うのは、私たちは「男らしくするな」「女らしくするな」と強制はしないですね。でも、古い価値観の方はそれを陰に日向に強要しようとします。
それは誰も幸せにしませんよ。
まずは自分らしさを発見し、自分にとって幸せであるか考えて、生き方を選択するのがイイと思います。
平時においては賛成です。しかしこれだけは言えます。暴力、災害、事故、戦争など物理的な危機が訪れた場合、前に立つのは大人の男です。
救命ボートに最後に乗るのは男です。躊躇する家族らに僕は言うでしょう。「女子供はさっさと逃げろ。死ぬのは男だけで十分だ」
…などということが実際にできるかわかりません。しかしそれが「男らしさ」だと思っております。
人権作文の参考に拝見させていただきました
素朴な疑問なんですけど なぜ親は 男の子らしくしろ 女の子らしくしろって言うんですか?
記事を見ているだけではよくわかりませんでした。
「男らしさ、女らしさ(以下「男らしさ等」)より自分らしさ」と言うが、実際は自分らしさの中に男らしさ等が含まれているケースが多いと思う。確かに、完全に「男らしさ等」に一致する人は少ないかもしれないが、自分らしさに男らしさ等が含まれない人も少ないと思う。一番多いのは、大半は男らしさ等に合致するが、一項目か二項目個性が男らしさ等から逸脱するケースだと思う。事前に男らしさ等に寄り添える部分は無理に変える必要はない。男らしさ等のうち、「自分には合わないな」と感じる部分を自他ともに尊重すれば良い。人によっては、大半が「男らしさ等」から逸脱するケースもあるが、これを今後は個性として尊重することが必要だと思う。
辞書の、男らしい、女らしい、の時代の変遷を興味深く読んでいました。
男らしい、女らしいということを誰かが一定の定義をする時代は終わったといえことを物語っているということなのだと思います。さらに興味深いのはこの記事についているコメントです。
私(女性)の認識では日本は女性差別もありますが、かといって社会的な立場を形成する上で男性は優遇されていると思いますが、かといって男性全体として幸せそうに見えるかというと男性の方が社会的な成功の定義が狭くてそこに嵌らないと生きづらく、個人の選択の自由度の低い人生を強いられているように見え生きづらさのあるカテゴリーに見えます。
男らしさ、女らしさという価値観に縛られて皆が幸せならそれでいいでしょうが、それで幸せを享受できているひとが多いようには見えません。
早くそのような呪縛から自分自身を解放していく社会にしていきたいと強く思いました。
男は出世、女は結婚が幸せという偏った考え方が日本社会の当たり前だった時代からすると、このような議論ができるようになった今は、多様であることを少しずつ認めることができるようになってきたのだろうと思います。「他人からどう見られるかが本当の幸せの尺度ではない」ことを個人個人が理解できない限り、多様であることがたとえ社会的に認められても、個人の幸福は手に入れられないのかもしれませんが、少なくとも「多様であること」「みんな違うこと」を認めることは、個人が自らの生き方を考える上でとても重要なことだとおもいます。
男らしく、女らしくそれでいいと思います。
私の身近で、男女平等だと大手企業に勤め、1日の半分を仕事に費やし、昇進はしたが気がついたら30代半ば、40代という女性がたくさんいて、未だに独身、よくて晩婚、できても子供がつくれずという人達が本当にたくさんいます。本人達は私はもういいと言っていますが、どこからどうみても寂しいであったり、最悪不倫をして人の家庭を壊したりしています。
全てがそうとは言いませんが、男女平等と聞こえが良くても、女性の社会進出を強くし過ぎた弊害なのかと思います。もちろん、仕事、家庭両立している方もいます。
ですが、結果として日本は少子化まっしぐらです。
順番としてこの問題をどうするか考えることが先だと思います。
社会で良しとされる男女の役割やイメージが求められるのは苦しいと思います。ジェンダーレスという考えは、自分を否定しない、相手を否定しないということなのではないかと考えます。
日本にも男尊女卑も差別もあります。もちろん個人間のこともあれば社会全体、両方で。問題は、差別の存在を認識しないことと価値観を相手に押し付けることではないでしょうか。無意識の言葉であっても、相手を傷つけたり不快にさせたりします。
その時に、自分の考えを返せること、相手の噺を聞き、受け止めることを心がけようと感じました。
最近のいきすぎたジェンダーフリーには疑問と懸念を感じます。グローバル化の弊害も重なっているのでしょうが、その国にはそれぞれの良さ、伝統があります。
日本は男尊女卑などありません。女性軽視の風潮もありません。それに男性女性にはそれぞれの天分があります。それぞれがそれぞれの得意分野で活躍し補い合うことが大切です。
男らしさ、おんならしさは関係ないという人ほど縛られていると思いますよ。男は度胸、女は愛嬌。これにつきます。
男性女性ともに育児に参加できるような環境づくりは良いと思いますが、個人的には男らしい、女らしいという価値観を完全に根絶するのも少々極端な気もしてしまいます。男性であれば強く自立して社会に立ち向かっていく、女性であれば品位のある立ち居振る舞いをするなどの内容を包含した言い方が男性らしさ、女性らしさだと思っていますので、それをすべて否定するのは誤りではないかと思います。もちろん、前者後者ともに男女問わず必要な能力だとは思いますが。
「〜らしさ」を過剰に強要ことは良くないかもしれませんが、男女という性別をはっきりさせることは大切だと思います。我々は確かに人間で、動物の中でも知能を持つ種ですが、一旦それを取り払って考えてみるとライオンのメスで立髪の生えるものがいるでしょうか。野鳥で求愛のサインを踊るオスがいますが、それに混じってメスが踊っているでしょうか。オスがオスらしくしない、メスがメスらしくしないで誰が性別を誇張できるのでしょう。
私は医療系の専門学校にてLGBTについても学習しましたが釈然としません。動物のオスメスと人間は違う、そんなはずはないと思うのです。今の社会を見ていて、一部を例にとってあげるとグラビアやセクシー女優というのは基本的に女性の仕事ですよね。ジャニーズという言葉を聞いて女性を連想する人がいるでしょうか。もしLGBTのうちのT(トランスジェンダー)が真に受け入れられるとするなら、女性用のビキニを着た男性が雑誌の巻頭グラビアを飾ってもおかしくないわけですよね。けれども、それを見た一般の国民が抱く感情は「変態だ」「気持ち悪い(美しくない)」が大多数でしょう。つまりそれが本当の結論ではないでしょうか。
男が男らしく、女が女らしく。それの何がおかしいのでしょう。女性に好みのタイプを尋ねても「ショートヘアで、細マッチョで、ぐいぐい引っ張ってくれる人!」と答えられることはあっても「肩までのロングヘアで優しそうな女の子みたいな男!」なんて答えることはまずありません。男は男です。女は女です。それ以外があるとするなら、人間という種の生み出した曖昧で、自然に反した妄想だと思います。
男の子だから泣かないの!と上から言ってるひまがあるなら抱っこしてやればいいのです もちろん、お母さんお父さん、誰でも 抱っこして包み込んでよしよし、5分もしないうちに満足して離れていきます もっと抱っこしていたいのにぃ、と親がベタベタすればするほど子どもは明るい顔で離れていきます いつまでも子どもでいてほしいと思えば思うほど早く巣だっていきます