家では虐待、施設ではいじめ 生きるために体を売った〈「非行少女」だった私ー聞かれなかった声・中〉

出田阿生 (2023年5月21日付 東京新聞朝刊)

しちゃさんは埼玉から歌舞伎町に通って働いた

 小学生のころから家庭内で虐待されてきた、埼玉県内の主婦しちゃさん(22)=仮名。「施設に入りたい」と児童相談所で訴えたが、そのたびに親の言い分が信用されて家に戻された。「家が怖いんでしょ。それなら逃げようよ」。児相のケースワーカーにこう言われて、喜びが込み上げたのは中学3年の時。施設に入る夢がかなった。そう思えたのは一瞬だった。

憧れた児童養護施設ではなかった

 「どんな施設か、事前説明はなかった。見学に行ったら入所が前提だった」。憧れていたのは家庭環境に恵まれない子を養育する「児童養護施設」。ところが、しちゃさんの行き先は「児童自立支援施設」。不良行為やその恐れがあり、生活指導が必要と判断された子が入るところだった。

 「親が虐待を認めなかったから、非行少女ということで入れられたんだと思う。まわりは悪いことをしたって自慢しあうような子ばっかりで」。外部との交流はほとんどなく、厳しく管理され、学習や農作業などを黙々とこなした。「今でもあんなに無意味な時間はなかったと思う。誰も話を聞いてくれない。さんざんいじめられて精神的におかしくなって暴れた」。1年足らずで退所。児相の一時保護所経由で家に戻った。

路上の不良集団に入り何度も補導

 高校には進学せず、義父の勤め先でバイトを始めた。仕事は楽しかったが「知人の家に泊まったり、外でオール(徹夜)したりして仕事に通った」。義父が尻を触るなどのセクハラをやめなかったからだ。職場の女性に相談したのがばれ、義父に激しい暴力を振るわれて家を飛び出した。

 1人で夜を過ごすのは寂しくて、怖かった。路上でたむろする「不良」集団に声を掛けた。「家がマジだるくて」と悪ぶって、仲間に入れてもらった。「不良に偽装する感覚。ヤンキーは縦社会で、礼儀正しくすれば守ってくれる」。勧められて飲酒し、何度も補導された。年上の男性に体を預けて「衣食住」を確保した。そんな中、友人の紹介で埼玉県内の知人の部屋に身を寄せ、3人でルームシェアすることになった。

歌舞伎町で援交 客に監禁されて

 16歳だった。アルバイトをして家賃くらい払いたい。でも身分証明書がないと働けない。義父に健康保険証を送ってほしいと交渉した。「危ないから渡せない」と拒否された。ネットの画面と数日にらめっこして決心した。「自分が稼ぐには、援助交際しかない」

 住まいは埼玉でも都内へのアクセスが良い場所。「行き先は歌舞伎町。今で言う『トー横キッズ』です」。「朝から晩までネットと体を駆使して」、稼いだ。ある時、援交相手に「援デリ(18歳未満のデリバリーヘルス)」に誘われた。「雇い主がバックにいて安全という誘い文句に乗ってしまった。実際はヤクザだった」。毎朝8時から終電まで客を取らされた。心身が限界に達した。「ケータイの番号を変えて飛ぼう(逃げよう)」と決意し、「最後の客」の車に乗った。その男に「騒いだら殺す」と刃物を突きつけられ、埼玉県内で監禁されるとは想像もしていなかった。

元記事:東京新聞 TOKYO Web 2023年5月21日

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  • gauru says:

    1年前から養護施設に住んでいる15歳です。私は養護施設など知らなかったので、一年前始めて入所になりましたが、安心して暮らせる施設でした…喧嘩するけどみんな仲が良くて嬉しいです😊

    でも、入る前に厳しい施設は一個や二つもあると聞いてましたが、退所するぐらい厳しい施設だなんて…きっとこの記事を書いた人は憧れた施設じゃなくて辛かったよね…よく帰って来れたなって思います。私は1年も帰ってないので…怖くてね…

    これからの人生いっぱい楽しんでくれることを祈ってます…いや、願ってます!

    gauru 女性 10代

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