東京すくすく

東京新聞 TOKYO Web
発達・健康
夫婦関係・祖父母
仕事との両立
孤独・孤立
ひとり親
保活
親子関係
おでかけ
スマホ・ネット・SNS
学習・受験
いじめ
~0歳
1~2歳
3~5歳
6~9歳
10歳以上
妊娠・出産
保育園・幼稚園
働き方
教育・学校
くらし
支援
病気・事故
家族

日本は後進国です… 広げよう「体罰によらない育児」 “たたく、怒鳴る”の悪影響とは?

 日本では子どもへの体罰や暴言を「しつけの一環」として容認する風潮があります。でも、体罰がエスカレートして日常的な虐待につながることも。たたいたり怒鳴ったりすることの悪影響は近年、科学的にも明らかになっていて、国も「体罰によらない子育て」の普及に乗り出しています。

6割が体罰容認、7割が「たたいたことある」

 「もう、ダメって言っているでしょ!」。東京都大田区で2児を育てる主婦(37)は昨年、なかなか寝付いてくれない1歳半の長男へのイライラから、怒鳴り、思わず背中をたたいてしまいました。泣いた長男を見て、すぐに「ごめんね、ごめんね」と声をかけました。「たたくことが自分の感情のはけ口になっている」と自己嫌悪に陥った一方、「強く言わないと子どもは分からないと思った」と振り返ります。

子どものたたく親のイメージ写真

 日本では「しつけのためにたたくのは仕方ない」「体罰は必要悪だ」との考えが根強くあります。公益社団法人「セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン」が昨年実施したインターネット調査では、成人2万人の約6割が子どものしつけとして体罰を容認。子育て中の親1030人の約7割は、実際に子どもをたたいた経験がありました。

セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンの体罰に関する調査のグラフ

脳を傷つける恐れ…世界では54カ国が「体罰禁止」 

 しかし、福井大の友田明美教授が2009年に発表した研究結果によると、厳しい体罰は子どもの脳の一部を傷つけて、学習への意欲を低下させたり、大人になってから精神疾患を引き起こしたりする恐れがあることが分かっています。脅したり、暴言をあびせたりする心理的な虐待であっても脳が変形するのは同じだといいます。

 世界的には、子どもへの体罰を禁じる法律が整備されつつあり、現在こうした法律がある国は54に上ります。今年9月にはネパールで施行されたばかりです。また、国際組織「子どもに対するあらゆる体罰を終わらせるグローバル・イニシアティブ」によると、少なくとも56カ国が法改正に取り組むことを表明しています。

体罰の法的全面禁止を達成した国の数
 法律ができることで、何が変わるのでしょうか。世界で初めて、子どもへの体罰禁止を法制化したスウェーデン政府の調査では、法施行前の1960年代は体罰を用いる人が9割以上いましたが、2011年には1割以下に減りました。親の虐待で亡くなった0~17歳の子どもも、年15人(1970年)から4人(2010年)に減り、国民の意識に変化が出ていることがうかがえます。

日本でもようやく「愛の鞭ゼロ作戦」 

 日本でも厚生労働省がようやく体罰によらない子育ての普及に力を入れ始めています。2016年に児童福祉法が改正された際に、虐待防止に取り組む市民団体などが働き掛けたことなどで、付帯決議に「体罰によらない子育てを啓発すること」と記され、これをふまえ、リーフレットができました。

写真 厚生労働省研究班が作った「愛の鞭ゼロ作戦」リーフレット

厚生労働省研究班が作った「愛の鞭ゼロ作戦」リーフレット

 厚労省研究班が作ったリーフレット「愛の鞭(ムチ)ゼロ作戦」には、子どもに向き合う際のポイントなどが書かれています。厚労省ホームページから印刷できます。また、厚労省の母子保健情報サイト「健やか親子21」内にも、特設ページがあります。

 「愛の鞭ゼロ作戦」のリーフレット作成に携わった認定NPO法人児童虐待防止全国ネットワーク理事の高祖常子(こうそ・ときこ)さんは「年配の人には自分もたたかれて育ったと言う人が多いが、体罰では子どもは怖いから行動をやめるだけで、根本的な解決にならない」と指摘します。突発的な体罰が、日常的な虐待へエスカレートする恐れもあるといいます。高祖さんは「日本でも体罰禁止を法律に明記し、啓発と親への支援を充実させるべきだ」と話しています。

<特集「ストップ 子ども虐待 わたしたちにできること」トップはこちら

すくすくボイス

しつけに体罰は必要だと思いますか?

いただいた投稿は、東京すくすくや東京新聞など、
中日新聞社の運営・発行する媒体で掲載させていただく場合があります。

コメント

  • 匿名 より:

    いらないと思う。親が体罰をして、生まれた子供が親になって子供に体罰をして生まれた子供が親になって子供に体罰をして…と無限ループに陥る可能性があると思うから

  • 匿名 より:

    どうして極端に偏った見解を記事にするのでしょうか。兄弟間でも、聞き分けの良い子もいれば、大人の注意に聞く耳もたず好奇心の赴くままに動く子など、個性は様々です。親はその子の個性や状況に応じて対応を変えればいいのでは。
    痣ができるまで殴るなどは論外ですが、子供に対して大きな声を出したり手を叩いて注意しただけで、虐待と捉えられる風潮は考えものです。極端な意見は社会において子育てを息苦しくするだけです。

  • 匿名 より:

    必要ない。しかし、何を言っても話が通じない時がある。余裕がない時には手をあげてしまう。とても後悔するが、また同じことをしてしまいそうで怖い。可愛いのは変わらないのに、なぜこんなに感情的になってしまうんだろうかと思う。

  • 匿名 より:

    私は戦争を経験した祖父から体罰のこと聞かされました!体罰と言うかある種の処刑だ!親が正しければ子も正しい、本当にそうでしょうか?勿論感極まって手を出すこともありますが、結果が出なければ意味がない!世の中揺らぎが起きている!本来死刑も体罰も、どちらも無い方がいいに決まっている!加害者に厳罰与えたところでその人が善くならなければ与える側の腹いせだ!腹いせしても亡くなった人は喜ばない!親が正しければ子も正しいなら教育で教えよう、小さな頃から!相手を憎む心を捨てることが平和を語る事が出きる。そう私は思います。

  • 匿名 より:

    言って聞かせてもわからない子には、叩いて聞かせてもわからないと思う。

  • 匿名 より:

    言葉だけで言って聞かせることができたら世の親たちはここまで苦労していません

  • 匿名 より:

    体罰は絶対に必要ありません。自分自身は叩かれて育ちました。叩かれた時の痛みと、言葉にならない悲しさが今でも忘れられません。自分のやったことを肯定し続ける親とは縁を切りました。自分がされた事を否定する事はとても大変です。だから、叩かれて育った人は「あのおかげで今の自分がある。」「自分には必要だった。」と思いたいのだと思います。叩かないと理解しないから叩いてよい?叩かないと痛みがわからない?…大人同士でそんなことしたら犯罪ですよね。子供は大人の所有物ではありません。大人から大切に守られて、甘え、育つ権利が子供にはあります。

  • 匿名 より:

    場合によっては必要。口で叱っても聞く理解力と意味がわからなければ、馬の耳に念仏。

  • 匿名 より:

    身の危険に関わること、人に迷惑をかけること、即座に止めるために「おしりを叩く程度の体罰」が必要なこともあります。24時間自宅保育をした経験者なら迷わずそう答えるはず。託児所に預けることで、子供が活発に遊ぶ時間帯は人任せなのが今の時代です。そして、このような決まりを作るのも24時間自宅保育は未経験な人達でしょう。

  • 匿名 より:

    体罰だけでなく怒鳴りちらす行為も厳禁にすべきだと思います。子供に体罰、暴言というのは親のストレスを子にぶつけさせるに等しい。それ以外何にでもない。

  • 匿名 より:

    なしだ!!!!!!

  • 匿名 より:

    私はそこまで叩かれて育ったわけではないですが、叩く教育は教育ではないと思います。『日本の古くからのやり方』『そうやって育った』という言葉により、現実から目を背けているだけで、叩かれたら痛いです。怖いです。悲しいです。そういう『人間らしい感情』を尊重して、それが当然な社会になれば、いいなぁ。
    本音と建前の国、だなんて、『本音』を殺すことが美徳ですか……そんなもん、なんになるっていうんですか……素直に正直に生きようよ、日本人。
    私は現在25歳。30年後の日本のために、私たちは今岐路に立たされていると感じて日々生きています。今、日本は改編期にあると思っています。国ごとまとめてターニングポイントなんだと思い、今この瞬間私が感じている苦痛も、不条理も、すべてが30年後の日本のためだと思っています。
    そんな考え方の私ら世代がどれだけの人数いるのかは知らないけれど、きっと私だけではない。叩いてこどもを育てることは、非効率的だし、非合理的だし、生物学的にも感情論でもいいことなんてありません。恐怖で支配することがどれだけ無意味か……私たち世代が、その意味を発信して、30年後のこどもたちが痛みなく生きられる世の中になれば……いいなぁ。

  • 匿名 より:

    自分自身、殴られ蹴られ頭ごなしに怒鳴られ、言いたい事があれば言えと言われ、言ったら100倍で返ってきて褒められず、やって当たり前出来て当たり前の環境で育ってきました。
    そんな私でも、必要な場合は度合いによりますが、良いと思ってます。
    仏の顔は三度まで。ってありますよね、三回注意してダメならオシリを叩いています。分かりやすく、どうしてやってはいけないのか?質問をして彼女が答えながら聞いていきます。それでも聞かない時は聞かないんです。だって、子どもだって人間です。大人の自分でも聞きたくない時ってありませんか?はいはい~。で、あしらったりしませんか?それと一緒ですよね。それでも耳にタコが出来るほど伝えています。彼女も分かっています。分かっていても好奇心でやってしまうんですよね子どもって。
    でもこれってある意味、これってお母さん側にも負担がかかりませんか?口で言っても聞かない子って絶対居ると思います。その場合は、今度からどう接すればいいんですかね?
    これって、お母さん達が鬱状態になる可能性もありますよね。聞かない子に聞くまで言い続けるのもその子にとってもストレスになりませんか?一発ビンタ食らった方が私は良いです。あぁ、そんなにいけなかったのか。と、目が覚めますから。
    虐待や異常なまでの体罰をする方たちのせいで歪んだ日本社会になりそうですね。あ、あと芸人のツッコミをいれる時にシバくのも禁止にしないといけませんね。

  • 匿名 より:

    行き過ぎ体罰はいけないと思うが、叱らないという育児には共感出来ない。我が子が、よその人やよその子に迷惑行為をしていても、謝罪のひとつもない親にもちょくちょく遭遇するが、体罰禁止、怒鳴るのも禁止という状況で、どの様に子どもをしつけしていくのか甚だ疑問。勿論、ヒステリックに怒鳴り散らすのは良くないと思うが、少々声高に子どもを叱ったぐらいで、体罰や虐待と捉えられてしまうのであれば、子どもに対しても、物事(善悪)の分別を充分に教えられないのではないのだろうか?
    例えば、公共の場で暴れ回っていて、明らかに周囲の人に迷惑なか行為をしている子どもに対して、親の代わりに、第三者がその子に対して、叱責や注意を与えた場合、その第三者が罰則を受けることになるのだろうかという疑問もわく。
    叱られずに育った子どもが、今後どの様な大人に成長していくのか、想像するだけでも恐ろしい。いま現在、既に無秩序な世の中であると感じている身には、今後どの様な世の中になるのかますます不透明であると感じている。

  • 匿名 より:

    叩かれるのが怖いから行動をやめるだけ、根本的な解決にならない。なにをもってこのような結論に至るのか自分はよく分かりません。普段、愛情いっぱいに接してくれる父と母が手をあげる。それは自分がどれだけ悪いことをしたのかと反省する機会でした。
    怖いからやめる。本質を理解しない。子どもってそんな考えが浅くないと思います。仮に怖いからやめるケースがあったとしても我が子を危険から遠ざけるために必要だと判断したなら私は手段を選びません。
    教育という大きなくくりの枝葉のひとつとして体罰を行わないのは選択する側の勝手で一律にまとめていいものではないと思います。

  • 匿名 より:

    今現在、まだ親に育ててもらっているような年齢だけど。子供の立場から体罰は必要だと言わせてもらう。もちろん自分自身親に叩かれた、殴られたことは何度もある、だけどそれが無ければ自分は人の痛みと自制心を知らない人間になっていたと思うし、体罰と虐待の区別もつかず、もし子供ができたら暴力を振るっていたのかも。
    虐待をする親は親から虐待を受けていたか、ないしは体罰を一度も受けたこともないというのが現状です。後者も一種の虐待です、綺麗事で飾ったネグレクトです。
    痛みを知らずに成熟する人間はいないと思います、痛みのない教育で生まれるのは虐待親や少年Aなんですよ。

  • 匿名 より:

    全く必要ない。日本は親も教師も何十年と上下関係による威圧で指導してきたが, その文化はヨーロッパに住む私の目には遅れて見える。こちらでは親は声を荒げることもなく理由を説明する。子供が言うことを聞くまで大人の態度で繰り返す。私も初めは日本の親のようにピシッと𠮟れと思っていたが, 結局, その教育が日本の閉塞感と心の狭い無数の大人たちを生んだのだと思い至った。
    日本が今後発展するには, 子供たちを今の大人たちと同じ様にしてはいけない。

  • 匿名 より:

    体罰と虐待の区別が付かない親は危険。しかし理想観と価値観を他人に押し付けるのも危険。人の心は科学でもAIでも計り知れず、自分の痛みが解らなければ、相手への痛みも解らない。自身の感情によらず、本当に愛している我が子へは心を鬼にしてでも手を上げる親御さんへ拍手を送りたい。幼少期に母親から頬を叩かれた記憶は、その手の温かさと感謝の気持ちだけが後生の宝です。

  • 匿名 より:

    程度によるが必要。親側はもちろん、子供側が愛情を感じられているかが重要。そして話し合いももちろん必要。げんこつやぺちんは体罰とは言わない。
    無条件で愛されていると感じる子供なら心に傷は負わない。絶対に許されない場面での制止する為の行動としては間違っていない。

  • 匿名 より:

    虐待や単なる暴力につながる体罰が問題であって、矯正に必要となる体罰は保護者ないし社会人の務めではないでしょうか。そもそもどのような時にどのような体罰が必要となるかという議論はされているのでしょうか。体罰も度合いや手段が広い言葉ですから、各家庭や習慣による違いがありますから、ケースバイケースに関するディスカッションをしていかないと、煮詰まらないのではないでしょうか。
    最近の傾向を考えますと、無思考型体罰といった感じの「子供の行動が気に入らないから体罰をする」や「恐怖によって子供を従えさせるために体罰をする」といった傾向が見受けられるのではないでしょうか。そもそも体罰する側の教養に問題があるように思います。
    少しそれますが、制度の中にゆとり教育というものがありますが、「未来を担う子供のやる気や才能をどのように引き出し、世界をリードできる社会人を育成する教育システム」を作るという考えや目指すところに問題があったと言うよりも、結局、休日を増やしたり、円周率を3.14から3にするといった習熟難易度を下げたりといった、教育があまり理解できていないかのような対応が多く、ここで話を戻しますと、現社会人方がどこまで世界に誇れる新社会人や中年を育てられたかというといかがなものなのでしょうか。ニート問題も解決していないことも踏まえると、本当に日本人の未来を考えてくださっているのでしょうか。

  • 匿名 より:

    必要な子もいると思います。その子供の理解力、思考の癖、学習の癖、それによって、【聞いて学習する子】【感じて学習する子】など個性があると思います。【感じて学習する子】の場合、いくら「駄目よ」と言っても、何が駄目なのかいまいち理解しきれず、また同じことを繰り返します。好奇心に負けるんです。でも、「危ないから駄目、痛くなるよ」と言って、怪我をしない程度に針をチクリと刺す。痛いことが分かるとピタリといたずらをやめます。【怪我をしない程度に】【根拠を持って】与える痛みも体罰になるのであれば、体罰は必要な場合もあると思います。

    ただ、私は【感情のはけ口として痛みを与える】ということは体罰というよりは【虐待】だと思っておりますので、虐待と体罰を混同してはいけないだろうと思います。「体罰は絶対に必要ない」と主張される方のおっしゃる体罰は、親の感情を子にぶつけるだけの【暴力】であることが多いです。私はそれを体罰とは思えません。【身体に痕が残るほどの体罰】はもちろん必要ありませんが、人間もただの動物ですので、ある程度の痛みが必要な場合はあります。

    昨今のニュース、親の体罰禁止法、などを見ていると【虐待、暴力、拷問】の類と【体罰、躾】を混同しているようで少し不安です。加害者が「しつけだ」と主張しても、「それはしつけではなく暴力です」と否定すればいいのに【しつけの体罰】などとカテゴリを作ってしまう。それが一番恐ろしいです。

  • 匿名 より:

    本来は必要ないと思います。
    ただ時間に追われたり、中々子供が言う事を聞き入れてくれない時にどうすれば良いかなど、私自身も未熟で手を上げる事もしばしばありました。正直大人向けの子育てに対する教育をもっとして欲しいです。
    体罰の他に良い方法があって、その方が子供が言う事を聞いてくれるならば、どの親御さんもやらないはずはないと思います。

  • 匿名 より:

    なんでもかんでも極論で「絶対いらない」と語るから駄目なんだよ。いくらイジメは駄目だと言っても大津事件の加害者に「一回いじめられてみろ」「イジメを知らないから痛みが分からない」「転校先の生徒はこいつを徹底的にいじめろ」と言う。いくら人を殺すのは駄目だと言っても、池袋暴走事故の犯人に「とっとと死刑にしろ」「こいつが死ねばよかったのに」という人間は絶えない。
    1歳半の、まだ物心すらついてない子供が寝ないくらいで手を上げたこの主婦はどう考えても駄目だが、例えばイジメで他人を自殺に追いやってしまった子供の親が「私の子供の起こしたことは殺人ですよ、子供を一発ぶん殴ってやりました」と言って世間はどう思うか、なんなら一発で済むのだろうか?
    臨機応変に頭使えとしか言いようがない、例えばエアコンもそうだが、35度なんかになってもエアコン使わないのは論外だが、27度とかで1日中ガンガンにつけるのは汗腺の成長からしても明確に「やってはいけないこと」。勿論最終的には個人の体調体質に寄るが、なんでもかんでも「絶対やらない」「絶対やるべき」なんてのは思考停止でしかない。

  • 匿名 より:

    体罰禁止ってどんな甘やかし教育ですかね。明らかに他人に迷惑を掛けた場合、及び危険な行為を行った場合に平手打ちを食らわせるのは、何の問題も無い。全国の親がやっているだろう。但し、体育会系の指導に於いて殴る蹴る怒鳴り散らすのはただの虐待。

  • 匿名 より:

    私自身、体罰を受けて育ちましたが、心の底に怒りを抱え続けた大人になり、いまだにオヤジと喧嘩してボッコボコにしてる夢を見ます。体罰では子供を良い子にも、幸せにも出来ません。

  • 匿名 より:

    まず、テレビ番組での暴力・暴言からやめてもらえましょう。子供らはテレビの真似をして言葉やチカラの暴力を覚えますよ。
    兄弟姉妹間や他の子供どうしの怪我に発展しかねない状況を阻止する場合、賛成または反対どちらかそれぞれの皆様はどうします・どうしていますか?ちなみに、各議会のヤジ暴言も法令で禁止しませんか?

  • 匿名 より:

    尻を叩く。「コラっ!」と叱る。これらをも禁止しようというのでしょうか? おとなしく親の言うことを聞き入れる子供ばかりでは有りませんよ? 他人事だと思って何でもかんでも禁止だ厳罰化だと主張するのは簡単ですが、それによって苦しむのはいつも疲弊した現場の人間です。ましてや自身のトラウマ話を持ち出して、反論されない鉄壁の守りを敷いた上で無理難題を吹っ掛ける論法には嫌気がさしています。

  • 匿名 より:

    必要ではありません。ただしその前提として、子育てを一人で抱え込まないサポート体制と、親自身が正しいトレーニングを受けることが必要不可欠だと思います。それらのきっかけとして、諸外国のように法の整備をすすめていくべきです。
    それがなければ、親は自分がかつてされたように、子どもを折檻してしまうと思います。愛のムチといえば聞こえはいいですが、虐待です。虐待は世代を超えて連鎖していきます。虐待を親のせいだけにしていては何も変わらないと思います。

  • 匿名 より:

    基本は要らない。体罰によるメリットがないため。しかし、過度に他人に対して迷惑をかけ、何回も注意したのにも関わらず、それでも改善が見込めなかった場合の体罰は容認でいいと思う。

  • 匿名 より:

    絶対にいらない

  • 匿名 より:

    いや、、、必要だと思いません。ただ、私も幼い頃、言うことを聞かないと、親から叩かれていました。口答えしても叩かれていました。なんなんだ!!と。今、私は子供を二人持つ母親になりました。核家族で、過ごしていますが、唯一の夫の帰りが遅いとなおさら、私も捌け口がなくて、上の子が小さい頃、叩いたり突き飛ばしたりしました。もちろん大泣きして自己嫌悪、でもその繰り返し。回りにはいい顔して、家では鬼のようになる。どうしたらよかったのか、今もわからないし、今のこの日本の状況、少子化なのに多いですよね。体罰じゃないです、もはや虐待であり、捌け口にして、最低な人間です。もっと夫に家にいてほしいとすら思います。寂しいですから、私も。。日本のこの労働すら憎みそうです。

  • 匿名 より:

    体罰は必要ではありません。障害がある私にとって、体罰は恐怖でしかありません。

  • 匿名 より:

    反抗期の子供を持つ母です。体罰は良くないと理解する一方で、あまりにもそこを強調すると、ネグレクトに繋がりかねないと危惧しています。反抗が激しく、何を言っても受け入れず攻撃をする子に、いつまでも冷静に話し合うなんて、親だって人間で、仏じゃないんだからできないと思う。だったらもう無視するしか方法ない。
    怒るのも叱るのも向き合ってるから。人間同士だから。愛してるから。向き合わなくなったらそれこそ終わりだと私は思います。
    愛情のない体罰なら論外。愛情のある体罰なら必要とは言いたくないけど、ある程度は仕方ないと思える部分もある。モラルの問題をこんなに一括りにされたら、ますます子育てしにくくなるし、育児ノイローゼになってしまいます。

  • 匿名 より:

    発達障害に加えて軽度の知的障害がある自分は、中1の時に、理解がなかった根性論タイプの学校の教師から何度も体罰や暴言など言われ、精神的苦痛から不登校の引きこもりになってしまった。

  • 匿名 より:

    いらないと思います。自分は今親に虐待を受けて後遺症が残っています。そのような子を増やさないためにこのようなサイトが増えて欲しいです。
    正直虐待を受けて素直に従いたいとか思いませんし、むしろ普通に言われた方が言うこと聞いてた気がします。

  • 匿名 より:

    年齢によりけり。思春期の頃人様に迷惑をかけてへらへらしてるだとか、反省の色が見えない時に一発ぶん殴るのも薬にはなりそうだけど、それより前の段階、つまり乳児から小学生の時期。危険な事をした時にお尻を叩くレベルならまぁ、まだわかります。頭ごなしに怒る、事情も聞かないでいきなりビンタされてきました。
    問題は兄弟の見てる目の前で怒ったり叩く事。自分は怒られないし殴られなかった=暴力を振るわれた兄弟を自分も殴っても良いとおかしな優越感をもってしまい、私は兄弟の「奴隷」になりました。こう言う兄弟間での連鎖もあります。親が兄弟の方を溺愛していた為私の居場所は全くありませんでした。
    後進国って言葉久しぶりに聞きました。発展途上国の事ですよね?

  • 匿名 より:

    しつけに体罰は絶対に必要ありません! 体罰は単に精神的・肉体的な暴力だけでなく、暴力によって従わせようとする人権侵害です。子どもも一人の人間です。
    子どもがなかなか言うことをきいてくれないとイライラしますよね。その“きく”には2つの意味があると思います。①“話をきく”と②“言うことをきく”。①には信頼関係が必要です。人は、傾聴し共感してくれた人に信頼をよせます。まずは、その子の言い分を聞いてあげましょう。②は無理です。だって子どもも人間だから。一人一人考えがあります。無理な事をなんとかしようとするから暴力に頼ってしまうのでしょう。でも、①が出来ていれば、こちらの言葉も聞こうとしてくれると思います。そこでこちらの考えも伝えてはいかがでしょうか。子どもが納得すれば、こちらの望む行動をしてくれるかもしれないし、会話によってお互いが納得できる別の行動が見つかるかもしれません。
    体罰を禁止する法律が保護者や保育者を見張る息苦しいだけのものにならないかが心配です。体罰をしない関わりをするためには、どうしていけばよいか社会全体で考えていくきっかけになりますように。特に①には時間と手間がかかります。その為には心と時間の余裕が必要です。子どもたちと関わる多くの保護者と保育者は追い詰められています。心と時間の余裕が持てるような雰囲気と仕組みをみんなで実現していかなくては!

  • 匿名 より:

    私も反抗期の頃に親からビンタされた記憶があります。が、不思議なことに怖かったという思いはありません。むしろ自分が悪いことをしたのだという自覚がもてました。
    多少は痛いことをさせないと理解してくれないだろうという思いから、エスカレートしていくのが問題になっているのでしょう。
    結果的に体罰は必要なときには有効だと思いますが、間違った使い方をすると子供には悪影響しか残らず大人になっても一生記憶に残ってしまいます。

  • 匿名 より:

    必要ではない

  • 匿名 より:

    今ZEROを見て感じた事は、体罰と一般的に言って居るのは虐待の言い訳のような響きをいつも感じてます。
    親が冷静であれば、子供と向き合って子供の目を見て言い聞かせる事が出来る。
    例えば今共働き社会やバツイチ女性が他の男性と再婚をし子供が邪魔!とか仕事の疲れによる子供へ当たる!
    何か子供の人格を無視した所で行われてる気がする。
    いつも子供の虐待のニュースを見てじゃあ逆に親に同じ事やってみたらどうだろう!って思いたくなる程痛々し内容が多い!
    子供も目も耳も口も考える脳もあります。もっと感情的にならず冷静に繰り返し繰り返し気長く子育てに向かって欲しい!子供の心の叫びをキャッチして欲しい!毎日しっかり子供と向き合っていれば子供のちょっとした仕草で今どんな状況であるのか気づく筈!
    子供も虐待される為に生まれて来たのではないですョ!二人の愛の証しでこの世に生を受けて生まれて来たのですから幸せになる権利があると思います。
    どうか一人でも多くの子供達が幸せになれるように大人である私達で育てましょうョ♪
    そしてあんな残酷なニュースが減り心温まるニュースが増える事を祈ります。

    三人の娘を育てた母親より〜

  • 匿名 より:

    絶対に必要!口で分からなければ叱るための痛みは必要だ。体罰という言葉で言い現すのもどうかと思う。躾には痛みは必要でありその痛みを覚えているゆえに人に対する痛みもわかり成長する。但し、叱る方も叱り方をよくわかっていない大人が多いのも事実である。人に対する痛みを知らない大人が叱るから体罰として問題になってるのではないか。
    またそれを安易に法制化するのもどうかと思う。

  • 匿名 より:

    ある程度の体罰は絶対に必要で、重要なのは程度の問題です。全面禁止などすれば必ず悪意ある子供の虚偽の訴えによって冤罪が発生します。子供が悪意だなんてと思われるかもしれませんが、悪意とはそうと知りつつ行うことですので、ちょっとしたイタズラや冗談のつもりでも同じことです。中には道徳上の善悪の意味での完全な悪意を持つ子供もいるでしょう。

  • 匿名 より:

    最低限は必要でしょう。子供の頃は大人に小突かれて反省をしたものです。日本は後進個と言いますが、あなたのいう先進国とはどこのことでしょうか? 欧米各国で体罰を禁止としている国でも「手のひらで顔以外の箇所を叩く」などは認められている国もあり、体罰禁止と言っても程度があるのです。罰として立たせるとか正座をさせるのも体罰なんですよ?座禅はおろか警策などもってのほかになります。その程度も許容されない完全禁止など悪法以外のなにものでもありません。

  • 匿名 より:

    不要だと思います。体罰を与えないことが甘やかされて育てられるのと同義のような意見も見ますが、体罰なしイコール叱らないではないと思います。大人に対してすべきでないことは、子供に対してもするべきではないと考えています。相手が思った通りに動かないからと暴力を振るうのは犯罪です。子供に対しても、それは同様ではないでしょうか。

  • 匿名 より:

    体罰を受けて育ってきた僕はダメな人間なんですか?
    最近の教師は生徒になめられ、逆にびくびくしながら注意もしづらいんじゃないかな。これからスマホの持ち込みOKになれば面白半分に大人達をはめていく子供が量産されるでしょうね。なぜか?罰がないから。怒られても体罰だと叫べばその大人は社会的に殺される。僕達は無敵だ!と思うよね。
    「そんなに子どもは馬鹿じゃない」と思ってるあなたの学生時代はどうでした?大人は敵じゃなかったですか?大人に食ってかかる先輩などに「すげー」とか思ってませんでした?
    子どもってそんな感じですよ?それが怒られないし自分たちの方が強いと思いだしたら手がつけられなくなるのは想像できると思うんだけどなぁ。自分の息子が女の子に乱暴した時に、「ダメじゃない、相手の気持ちを考えなきゃ。次からは気を付けるんだぞ」ですますの?娘親の気持ち考えたらとんでもないね。
    体罰禁止するなら少年法の罰則を厳しくしなきゃいけない。小学生からでも刑罰を与えなきゃいけない。どこかに怖い存在がいないとダメなのは人間も動物も一緒。自重ができないのが子供なんだから。

  • 匿名 より:

    体罰出来るのは尊敬されお互い信頼できる良い関係だからこそできるもの
    信頼関係も何も無しに、言う事聞かないから殴ったれ、叩いたれとか逆効果だろ
    大人に対する不信感からさらに反抗的になって非行に走るだろうな

  • 匿名 より:

    絶対必要です。子供が悪い事をしたら体罰無くしてどうペナルティを与えたら良いのでしょうか?
    子供が道を踏み外そうどしたら殴ってでも良い方に導くのが大人﹙親﹚の務めではないのではないですか?
    それ前にしつけと虐待の線引きの定義を考えるのもあなた方の仕事だと思うのですが。子供に対してのペナルティが無いような昨今、自分は何をしても許されると思ってる若者が増えているのも考えて下さい。

  • 匿名 より:

    体罰がエスカレートしたものが虐待。体罰容認は子供に言い聞かせて育てられない人の言い訳。体罰は怒りの感情が伴い、歯止めが効かなく、連鎖の危険があります。親の接し方ひとつで、子供は同じ子供かと思われるくらい、聞き分けが良くも悪くもなります。体罰が無く、言い聞かせてた育ててた戦前の日本の教育に戻るべき。戦後の教育から体罰、親子間の殺人が出てきた。現在では、欧米社会の方が体罰の危険を認識しているので、戦前の日本と逆転するのではと危惧してます。
    日本は昔から厳しい教育できたと勘違いしてる人が多いので、体罰容認から抜け出せないのだと思います。日本が評価されてる素晴らしい部分は、戦前の教育によるもの。

  • 匿名 より:

    不要です。
    私は4人子どもがいます。小学生だった落とし物や失くしものが多い上の子には「なんでなくしてしまうのか」ときつく叱って、叩いてしまうことがありました。叱ったり、叩いたりしたのはしつけではなく、ただの私のイライラでした。子どもたちも大きくなり、振り返るとそう思います。恐怖を与えるだけで、何の意味もありませんでした。
     高校、大学では子どもが起こす問題に周りの先生方、友人が対応してくれ、自分がどう行動すればいいのか、学んでいったようです。
     小さい頃の関りは親が中心です。本人が分かるように説明し、解決策を考えていくプロセスを踏まないと、子どもが生きていく上での学びにならないと感じています。
     しつけについて。
     私自身、子どもの行動に不慣れで、どうしたらいいのかわからず、育児本に頼りきりでした。親は当てにしていませんでした。なぜなら、私自身が劣等感のかたまりだったので、私のような子どもにはならないでほしいと願っていたからです。
     子どもだったころ、私の親は私の前で、子ども(私)の至らなさを話して「もう困ってしまう」とこぼしていて。それは一種の謙遜のかたちと今ならわかるのですが、当時は私は「だめな子どもなんだ、頭の悪いから勉強ができないんだ」と劣等感の塊になっていました。
     体罰は論外ですが、「しつけ」という考え方も問題があると思います。子どもは成長過程にある一人の人間として尊重しすべきです。親は公衆のルールや道徳、倫理を話し、一緒に考える姿勢で臨むべきだと思います。また親だけに育児をさせるのではなく、保健師やソーシャルワーカーにもっと関わっていただいて、体罰の怖さや自己肯定感を伸ばす関わり方を親や祖父母など子どもに直接かかわる保護者達に伝えてほしいです。その積み重ねが社会全体で子どもの福祉を考える土台になっていくのではないかと思います。

  • 匿名 より:

    しつけに暴力は全く必要ない。少なくとも自分はしつけのために暴力は絶対に使いたくない。普段はそう思う自分ですら、イライラして2歳の子供に暴言、暴力(近くの壁やテーブルを叩くなど)をしてしまった事があり、思い出すと自分が怖くなる。子供は暴力によって、いけない事と理解するのではなく、親の前では痛い、怖い思いをするからやらないというふうになるのでは。自分も小学生の頃に算数が解けなくて、父親に定規で叩かれたが、頭が萎縮して間違う事が怖くなってしまった記憶がある。

  • 匿名 より:

    体罰の程度による気がします。殴る蹴るは暴力です。閉め出しも駄目です。なぜ怒るのか、なぜ駄目なのか、ちゃんと子供と向き合って、理解させる努力をする。キチンと教育しないのは体罰より悪いと思う。褒める育児、怒らない育児も勘違いしてる人が多過ぎです。キチンとルールを守った上でなら良いと思いますが、公共のルールも守れない大人がその育児をするのは迷惑です。自分の子供の行動に責任を持たない親が多くて迷惑です。大人は子供の鑑です。自分が出来ていない事を、教育出来る訳ないと思います。子供は純粋な一個人であって、親の所有物ではありません。何故言う事を聞いて貰えないか、親が自分の中の原因を探るべきです。その上で痛みで抑える事は必要だと思います。

  • 匿名 より:

    自分が叱られ叩かれたことがなぜなのかわからないという人は叱られてすぐに自分で考えなかったからだと思います。なぜ叩かれるまで叱られたのか、自分なりの反芻がなかったから覚えていないだけでしょう。私の経験では叩かれた理由は鮮明とまではいかなくとも、覚えています。だから私はしっかり考えることを子供に伝え、忘れさせないために痛みとともに刻むつもりで叱ります。
    これは毎度叩くわけではなく、同じことを繰り返す度合いで、罰の程度を決めます。どんなに綺麗事を並べようとも、叱った時のその子に対する対処は[罰]です。私も自覚していますし、本人にも納得させます。初めは恐怖でも仕方ないと思います。あとは本人が後になって、[なぜ]ということをしっかりと考えるきっかけにして欲しいと願うばかりです。ちなみに私と子供達の関係は今のところ良好に見えます。私が子供達に考えることを意識させているせいか、世の中の不思議をよく尋ねられます。そういった時は答えを教えることもあれば、ともに考えることもしていますし、ともに想像の世界に耽ったりもします。これが根拠です。体罰も刑罰も制約も私にはあまり差がありません。程度の違いしかないと思います。体罰を否定するなら刑罰も制約も私にとっては否定することになります。そんな世界でどうして節度や倫理観が生まれるのでしょうか。

  • 匿名 より:

    私は34歳で二児の母です。体罰を受け育ちました。
    私は体罰反対です。
    体罰が体罰を生む…??人それぞれです。
    上の子には絶対手をあげないと誓い、10才まで自分がされていたことはしませんでした。今では冗談半分におしりをペンっとして早くやりなさいよ程度です。

    当時体罰を受け思っていたこと。それは、小さいうちは痛い恐いです。それが思春期の頃にはいってぇな!!くそっ!!と怒りでいっぱいでした。
    なので、小さいうちは体罰でどうにかできても、大きくなるにつれ体罰では対処できなくなります。

    体罰でしつけるのは一時しのぎです。

  • 匿名 より:

    必要だとは思いません。
    私は今21歳ですが小学生の頃から高校生まで親から成績のことや日々の態度でビンタをされたり頭を叩かれたり蹴られたりしていました。
    弟は父親に叩かれることが怖くて小学生の頃、父親が帰宅した音が聞こえると吐くようになりました。
    父親は普段は優しいけど、不機嫌になることも多かったです。でも、暴力のほとんどは躾のためと思っていたでしょう。うちの家庭では、暴力大丈夫です、と学校にも伝えていました。
    そんな両親が嫌いでした。弟は男の子だったから特に辛く当たられていたと思います。思い出すだけで泣くほど、今でも辛いです。
    親の口癖は「言葉でわからないなら動物と同じだから」でした。今でも許せません。でも辛かった思いを伝えることも出来ず表面上は仲良くしていて辛いです。言葉で伝えることを諦めないで欲しかったと思います。

  • 匿名 より:

    場合により必要悪ではないでしょうか。
    現在三十代後半の私が子供だった頃、周りには叱らない育児、褒めて伸ばす育児で育てられている子供がいましたが彼女たちがどういう大人になったかと云えばパラサイトシングルがその大多数です。義務教育の間、大半の子供たちは微温湯の中にいるように親から社会からの庇護下にありますが、それは人生のほんの束の間のことです。言い訳をして入れてくれる学校も会社も中産階級には普通ありません。大半の人間は元来楽な方に流れる生き物です。幼少の頃に良い生活習慣を身につけるためには私は言っても改善されない場合や嘘、言い訳をした際には手をあげることもあります。今この世の中で親が叱らなくて誰が叱るのか、子供に対する責任は誰にあるのかを考えたら無責任な他人の綺麗事には私は迎合できません。

  • 匿名 より:

    体罰を受けて育った子供は大人になった時、3つのタイプの大人になるね
    体罰しても良いんだ・正しいんだと思いこみ体罰を正当化して、子供の頃から体罰されて育ったんだと子供に体罰をするようになる
    2つ目は大人になっても子供の頃に体罰されたトラウマを引きずり精神疾患を持っているか
    3つ目は攻撃的な性格の人間になるか
    20世紀最大の独裁者のヒトラーやスターリンは幼少期に親から体罰と言う名の虐待をされて育っていった為、心が歪んで、人々を弾圧・殺害するような冷酷で残忍な性格の人間となったとされる
    刑務所に服役してる受刑者にも幼少期に体罰(虐待)されて育った人も多いから有り得る

  • 匿名 より:

    日本人は、表向き暴力を否定しつつも、過去に受けた体罰を美化し、「体罰は必要悪」だと思い込んでいる人が非常に多いです。
    結果、体罰(暴力)というものに反発心も、嫌悪感も、強く感じる事なく、寛容になり、しつけだ、教育的指導だ、等と正当性を今も主張し続けるばかりで、体罰をせずに教育をする方法を、教育者以外の大人達は考える事を避けているように感じます。
    また体罰を受けてきた世代による体罰容認論は、過去の暴力に今も尚、支配されている証拠と言えると思います。
    これでは「体罰は必要悪」とする大人が多くを占める今の日本では、学校でも家庭でもスポーツでも体罰をなくす事は至難の業です。

  • 匿名 より:

    私だって体罰などしたいわけではありません。
    我が家の5歳児、なぜいけないのかきちんと何度も説明するも、そんな事情はお構い無し(本人の為なのに、です)、ただ、今やりたいから!と聞く耳は持たず、何度も同じことを繰り返しやるような時、最終的には私の余裕もなくなる所為もあるとは思いますが、体罰をして止める方法をとることがあります。この他にダメと思い知らせ、やめさせる方法がわかりません。 子供になぜダメなのか、話すときも親として上から目線などではなく、できるだけ子供の気持ちに寄り添って話をしているのですが。。。
    悪影響と知っても、他にどうしたらいいのでしょうか。。今後どうして対応したらいいかとても悩みます、

  • 匿名 より:

    子供に体罰する親は基本的に指導力の低い毒親が多い。子供の気持ちとか考えていない。子供が親や大人の言う事聞かないのも子供ならではの理由があるはず。それに気づいて、なぜ言う事を聞かないのか?というのを大人目線の上から目線の命令口調で叱るのではなく、子供と同じ目線でちゃんと子供の言いたい事をちゃんと聞いて、子供に合わせた対応をするのが良いかと。

  • 匿名 より:

    子育てをしていく上で、子供がいうことを聞かないなどの事態になってくると解決策がなく、体罰をしてしまう人がいると考えるとなかなか難しいですね。しかし、子供にとってはたたかれても痛い、傷つくだけなので本当に子供をしつけたいのなら、ほかの方法を考える必要性があるように感じます。

  • 匿名 より:

    日本の体罰文化は戦時中の軍隊訓練が起源 。戦時中の日本は軍国主義だったが、当時の旧日本軍の兵士の訓練では精神論によるビンタされるなどの体罰が当たり前の様に行われていた。学校現場での「教育的体罰」も軍国主義の時代に根付いた。戦後、軍隊を経験した元軍人の方が学窓に復学し、教育現場での指導の際、軍隊時代の鉄拳制裁による体罰を持ち込み、以降、体罰は一定の教育効果があると支持されるようになり、今日まで続いている。

  • 匿名 より:

    9.9割は必要ない。残り0.1には体罰も必要。本気で悪さしたとき、相手の命を脅かす怪我をさせるなど、反省もなく理解した上で遊びの延長とふざけている子に言葉が届くとは思っていない。
    小学校四年、五年くらいが1番難しいのではないかと。言い訳することも、話しを理解した上で聞かないということにもできるような能力も、知恵の一つとして育ちますので。

  • 匿名 より:

    発達障害などの障害がある子供もいるから、そういう障害がある子供に体罰やっても無駄で、2次障害となって、精神的な障害を引き起こし、深刻な不登校や引きこもりになってしまう。
    無知と無理解で力支配による根性論と精神主義による間違った教育指導で子供に接するのは良くない。
    戸塚ヨットスクールの行き過ぎた暴力による体罰行為見てるとそう思う。

  • 匿名 より:

    ただ、はたくだけではダメでしょ
    叩いた後、子供が落ち着いてからどうしてあんなに怒ったか等を伝えなければ
    子供が命に関わる危険を起こした時は
    時には必要だと思います
    体罰といっても、手をはたくだとかで、大人の力で殴る蹴るは体罰ではなく暴力でしょう

  • 匿名 より:

    必要だと考えてる人は絶対体罰を受けたことがないか、軽く済んだだけ。
    体罰を受けると怖いという記憶しか残らず、早く過ぎて欲しいとひたすらわからないのにわかった振りをしてやり過ごし、結局何で怒られたのか頭に入っていないということがよくあります。自分がそうです。もちろんこれは虐待の経験ではなく、体罰の経験です。賢い親は何故怒っているのか詳しく説明しますし絶対に体罰なんてしません。

  • 匿名 より:

    必要。ただし、最終手段。「本当に怒らせると怖い」と認識させるのに必要。

    日常は言って聞かせるべき。これは、それが出来ない未熟な親の為のフールプルーフ。

  • 匿名 より:

    子供の頃よく親に叩かれたが、何で怒られたのか覚えてない。ただ叩かれた、辛かった、怖かったという記憶しかなく、暴力では根本的に何も伝わらないし教育に必要ないと思う。