主夫になり「何で俺が」の葛藤を乗り越えて 性役割にこだわらない方がハッピーになれる〈パパたちはどう生きるか・1〉

大久保謙司 (2024年5月3日付 東京新聞朝刊)

パパたちはどう生きるか

 本来はやるのが当たり前なはずなのに、父親が育児をすると世間から「イクメン」と特別視されてきた日本の社会。「当たり前」の実現がなお道半ばの状況で、かわいいけれど手のかかるわが子とともに、パパたちはどう生きていくのか―。自身も昨秋に第1子が生まれたばかりのさいたま支局の記者が、埼玉県内の先輩パパたちを訪ねます。

〈第1回〉元衆院議員 高木錬太郎さん(51)

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幼い3人の子ら家族と団らんの時間を過ごす16年前の高木さん(一番奥)=栃木県内で(本人提供)

妻は市議、私は退職 3児の子育て

 何で俺がこんなことをやらないといけないんだ―。育児をそんな風に感じていた時期がありました。3人の子を世話するため、仕事を辞めて、専業ではないものの「主夫」として生き始めた時期です。

 さいたま市議だった妻との間に双子の男の子を授かったのは2007年11月。私は埼玉県内選出の参院議員の秘書を務めていました。2005年2月に産まれた長女と双子を育てながらの土日休みがない不規則な共働きで、家の中が回らない状態でした。

 在宅勤務を許してもらい秘書を続けていましたが、双子の誕生から1年ほどたったころ退職しました。選挙で有権者に選ばれた立場の妻には議員の仕事を続けてもらい、私は妻の仕事を手伝いながら育児に取り組むことになりました。

納得いかない気持ちを戒めた妻の手紙

 そんな自分を苦しめたのは、無意識のうちの自分の物の見方でした。

 妻が外で働き、自分が育児するのを「納得がいかない」と感じました。それまで、男女共同参画や男女平等に「理解がある」と思って生きていたのに。無収入になって恥ずかしく感じる気持ちもありました。

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3人の子どもたちの世話をする16年前の高木さん(中)=埼玉県内で(本人提供)

 お世話になった年配の方から「いつまで遊んでいるんだ」と言われてぐさっときたことを覚えています。置かれた状況が苦しく、ふさぎ込みました。

 この状態は1年ほど続きました。甘えだったと思いますが、妻には不機嫌な態度をとり続けました。

 ある日、妻が手紙をくれました。「こんな状況では安心して外で働けない」。悲鳴にも似た言葉でした。「パパ、また怒っているの?」。長女からもそう告げられました。言葉や子どもの視線から感じたのは怒りではなく、悲しさでした。自分を戒めるのに十分な力があったと思います。

経験したからこそわかる「おりの中」

 そのころ、母親ほど年上で信頼できる人生の先輩に悩みを相談し、「今の立場、境遇でもやれることはやれる。今を一生懸命に」と言われたことも、自分を見つめ直すことにつながりました。子どもが健康でいて、妻が一生懸命活躍できるようにするのが自分の役割だ―。そう考えを変え始めた時から少しずつ、前向きな時間を過ごせるようになったと思います。

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3人の子を授かり、育児に専念する道を選んだ当時の体験を語る高木さん=さいたま市南区で

 自分が経験したからこそ、「育児は女性の仕事」とされる環境にいる女性の気持ちがよく理解できます。おりの中に閉じ込められて、ずっとそこにいなければいけない気持ち。連れ合いは働いて充実しているのに、自分は―。愛する子どもの面倒を見るのは望んだことで幸せなこと。なのに、葛藤がある。

 「俺はいつまでこんな感じで生きていくんだ」と愚痴を言ったことがあります。妻はひと言、「子どもは育つから」。時間が経てば違う選択肢が出てくるから悲観しなくてもいい、というメッセージでした。それに気づけないほど行き詰まって、ネガティブなことを考え続けていたんです。

私が衆院議員になって「選手交代」

 3人の子どもが10歳を超えるくらいまで「生きるのに必死」という日々。でも、自分の料理を子どもがおいしそうに食べたとか、新幹線のお弁当箱を与えたら喜んだとか、うれしい時間がありました。必死の中でも「ささやかなハッピー」が得られたと思います。

 2017年10月から4年間は私が衆院議員に。国会議員の責任を果たすのに必死で、その間は県議になっていた妻が選手交代して家のことを主にやってくれました。

 伝えたいのは、育児はやれる方がやれることをやればいいということ。男たるもの、女たるもの―。そんなことを考えず、性別の役割分担にこだわらない方がハッピーになれると感じます。「育児はママの仕事でしょ」。そんな会話がなくなればいいと思います。

妻からひとこと

高木真理さん(56) 当時の男性の育児参加は今以上に進んでおらず、本人もつらかったと思います。幼稚園のお迎えも、周囲は全員ママ。ずっと私の議員事務所の仕事をしてもらっていたのですが、他の議員秘書ならもらえる給料がないのも、相当きつかったと思います。何とか2人の時間のやりくりで、仕事も育児もここまで来ましたが、双子育児の一番大変な時を支えてもらい乗り切ることができました。

元記事:東京新聞 TOKYO Web 2024年5月3日

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