俳優・プロデューサー 高野菜々さん 宝塚には受からなかったけど、ミュージカルやコンサートで夢を実現

イベントごとに家族で集まる俳優の高野菜々さん(松崎浩一撮影)

各界で活躍する著名人が家族との思い出深いエピーソードを語るコーナーです
母の涙が衝撃で、心を入れ替えた
ミュージカル好きの母に、小学校低学年のころから「アニー」の広島公演などに連れて行ってもらっていました。そのころは「すごい人がやる世界」という感じ。子どものころから親戚一同頻繁に集まるほど仲が良く、私はそういう場で歌ったり踊ったりして、褒められるとうれしいという思いはありました。でも、当時は体形がぽっちゃりで、とても自分がミュージカルで演じることになるとは思っていませんでした。
転機が訪れたのは、小学4年生のとき。叔父が内緒で市民ミュージカルに参加していたんです。会場と時間だけ教えられて「来い」と。行ったら叔父が上から2番目ぐらいの役で出ていました。そんなことをしなさそうな人なのに。叔父の姿を目の当たりにして「私もできるかも」と思って翌年、市民ミュージカルに応募したのが全てのきっかけでした。
中学2年で見た「キャッツ」で、本格的にミュージカル俳優を目指そうと決め、ミュージカル専攻のある私立高校へ進学。その後、宝塚音楽学校を2度受験しました。最初の不合格の後、母と話し合って、レッスンを増やそうと高校を中退。通信制の高校に編入して挑んだのですが、やはりダメでした。18歳で2度目の不合格となり、プツンと糸が切れて、何もできない時期がありました。そのとき、母が泣きながら言ったんです。「あのころのなっちゃんはどこに行ったんだ。今は別人だ」と。私は衝撃を受け、心を入れ替えました。
そのタイミングで、最初の高校でお世話になった教頭先生に、「(ミュージカル俳優の)新妻聖子さんがゲスト出演する広島交響楽団のコンサートにバックコーラスで一緒に出ないか」と誘ってもらって。リハーサルで新妻さんに「あなたすごく輝いていた」と声をかけてもらったことが励みになり、「音楽座ミュージカル」のオーディションを受験、合格しました。
冷静な父、味方の母との三人四脚で
音楽座退所後は、迷うことも多く、両親によく相談しています。母は、どちらかというと私の意見に賛成してくれる。冷静な父にも聞いて、三人四脚でやっています。家族だけでなく、叔父も含め、親族一同が「何かあったら全部やるから、あなたは表現を通してみんなに感謝や感動を届けることに集中して」と言ってくれます。温かいお守りを持っている感覚です。だからチャレンジできる。
夢のバトンをつなぐプロジェクトも自分のミッションの一つだと考えています。独立後初のソロコンサートでは、広島でのオーディションに合格した子に、私の子ども時代を演じてもらいます。家族がいるふるさと広島で、表現や歌を通して思いを届ける場、感謝を形にする場を持ち続けていきたいと思います。
高野菜々(こうの・なな)
1989年広島市生まれ。2008年、初舞台の「マドモアゼル・モーツァルト」で主役を務めるなど、東京を拠点とする「音楽座ミュージカル」の看板俳優として活躍した。25年に独立。ソロコンサート「GIFT」は広島公演に続き、22日に東京・有楽町のI’M A SHOWで2公演がある。7月からはミュージカル「ディア・エヴァン・ハンセン」にも出演予定。
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