公認心理師・臨床心理士 信田さよ子さん 育ててくれた教育者の祖父は「女は男に仕えるもの」という考えがなかった

大森雅弥 (2026年3月22日付 東京新聞朝刊)

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信田さよ子さん(石橋克郎撮影)

家族のこと話そう

各界で活躍する著名人が家族との思い出深いエピーソードを語るコーナーです

夕食は男女、老若関係なく議論する場

 実家は岐阜市の北に隣接する旧高富町(現岐阜県山県市)で本や文房具などを商う店でした。両親と祖母は忙しく、祖父と曽祖母に育てられたようなものです。

 特に祖父は元小学校校長だったこともあり、私の教育係でした。5歳からバイオリンを習わせてもらい、家にはピアノもありました。小学校に入る前から百人一首を教わり、美術展にも連れて行ってくれました。

 何よりも祖父には、家父長としてふんぞり返っているところが全くありませんでした。実は店は祖母が始めたんです。経営者として忙しい祖母のために台所に入って、料理こそしなかったものの洗い物はしていました。

 祖父は頭のいい女性が好きだったんですよ。だから女は男に仕えるもの、みたいな考えはない人でした。写真を撮るときに、脚を開いて座るのも「恥ずかしい」と言ってましたね。権威主義的な振る舞いを嫌う美学がありました。

 そんな家でしたから、店の営業が終わった後の遅めの夕食は男女、老若関係なく家族が皆意見を言い合う場でした。大声でののしるとか暴力的な振る舞いをするとかは全くなく、議論していました。

アルコール依存の人たちに共感して

 小中学校時代の同学年の女子は皆、20歳ごろには結婚していましたが、東京への進学も認めてくれた。充実した学生生活でしたが、就活でつまずきました。志望した出版業界は全滅で、教員試験まで不合格。そこで思い出したのが、学生時代のサークル活動で非行少年少女の更生をサポートした体験でした。よし、カウンセラーにでもなろうと。

 そう、私はデモシカカウンセラーだったんです。逆にそれが良かった。相談者に入れ込んでは絶対駄目なので。私は専門家として、相談者に対して絶えず他者でいます。

 それには自分の家が多様性に満ちていたことが関係していると思っています。みんなそれぞれ違う意見を持っていて、陰では悪口も言っていたけど何とか共存していたという。一色に染まるとか、いちずになるとかにならない。

 率直に言って、私が深く関わったアルコール依存の人たちは転落に転落を重ねて、この世の一番果てに生きているような人たちでした。自分が生きてきた世界との違いがあまりに大きいので、文学的と言ってもいい興味を引かれたわけです。

 当時、学生運動の闘士だった人たちが、エリートとしてしれっと官庁や大企業に就職していくのを見てきました。そういう人たちと、普通には「どうしようもない」と思われている人たちのどちらが素晴らしいのか。私はアルコール依存の人たちに共感したんです。そういう人たちに関わることには、政治的な正義ではなく、ヒューマニズムの正義があると。そんな感性も高富の家が養ってくれたのだと思います。

信田さよ子(のぶた・さよこ)

 1946年、岐阜県出身。お茶の水女子大大学院で児童臨床学を学び、臨床心理士に。95年に原宿カウンセリングセンターを設立。2022年、日本公認心理師協会の会長に就任。著書に「家族と国家は共謀する-サバイバルからレジスタンスへ」「暴力とアディクション」など。近著は「なぜ人は自分を責めてしまうのか」。

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