320グラムで生まれ、今は音楽好きな中学生に…小さな赤ちゃんが育った奇跡が歌になった
担当医が思いを込めて作詞
モデルとなった名古屋市の小川拓真さん(14)は2011年、在胎期間24週2日で八事日赤で生まれた。出生時は心停止状態。体や口が小さく、挿管して酸素を送り込む処置も難しかった。新生児集中治療室(NICU)に入院し、大動脈と肺動脈をつなぐ「動脈管」を縛る手術も経験。退院できたのは8カ月後だった。

「小さな小さな赤ちゃんへ」の楽譜を見せる田中太平さん=名古屋市昭和区の八事日赤で
歌作りはそれから約10年後のこと。田中さんと親交のあった山形交響楽団(山形市)創立名誉指揮者の故村川千秋さん、音楽療法士の二瓶明美さん(69)が八事日赤のNICUを見学し、「小さく生まれた赤ちゃんを応援する歌を作ろう」と持ち上がった。
田中さんの頭に浮かんだのが、自身が携わった赤ちゃんの中で最も低体重で生まれた拓真さん。「出生時の状況を考えると、これだけ成長できたのは奇跡的」。歌詞にもそんな思いを込めた。村川さんが曲をつけ、二瓶さんが詞を補作し、「小さな小さな赤ちゃんへ」が2020年に誕生した。

誰が歌っても構わない
実際、拓真さんの出生後、家族は不安な日々を過ごしていた。母久美さんは「明日生きているか分からないと思いながら過ごしていた」と明かす。
成長の過程にいくつもの困難があると覚悟していた。一方で、それこそが「子どもを否定的に捉えているのでは」と自己嫌悪にも陥った。「せめて生まれて『楽しい』と感じる瞬間が来れば」。そう願いながら育ててきた。忘れられないのが3歳になる前の散歩中のこと。手をつなぎ、「たのちーねー」と言われ、涙が止まらなかった。
「マイペースで不器用だけど、成長してくれてありがたい」と久美さん。ドラムとパーカッションが好きな拓真さんは「ミュージシャンか学校の先生になりたい」と将来の夢を描く。
みんなで一緒に歩んでいこう
歌はそう呼びかける。10月には、八事日赤の「NICU同窓会」でシンガー・ソングライターの季子さん(44)が披露した。田中さんは「誰に歌ってもらっても構わない。小さく生まれながら困難を乗り越えて成長した子どもたちの存在を、歌を通して広く知ってほしい」と願っている。
親が抱える不安や孤立感に長期フォローを
人口動態統計によると、在胎37週未満で生まれる早産児の割合はここ10年間、5.5~5.9%で推移し、1000グラム未満の超低出生体重児も0.3%の割合で生まれている。出生後に医療的ケアが必要な場合も多く、親子双方への支援のあり方が問われている。
慶応大医学部小児科専任講師で日本NICU家族会機構(東京)の有光威志(たけし)代表理事によると、日本では周産期医療の治療成績が良く、超低出生体重児でも約9割が退院できる。ただ、「救命だけできればいいわけではない」と強調し、赤ちゃんや家族を支える態勢の拡充を訴える。
小さく生まれた赤ちゃんの親は、子どもの容体や発達について不安感が強い。日本NICU家族会機構と総合育児用品メーカーのピジョンがこの夏実施したアンケートでは、早産児の親の97%が出産や子育てに不安を感じたと答えた。「治療や検査のたびにリスクを説明される」「周りの子どもの成長と比較してしまう」などの声が寄せられたという。
有光さんは「当事者は孤立感や自己開示の難しさに悩み、周囲の何げない言動で傷つくこともある。早産児の発達には個人差があり、長期のフォローも必要だ」と指摘。「こうした悩みや課題をまず社会が知ることが大切」と話している。
世界早産児デー
早産の課題や負担に関する意識向上のため、ヨーロッパNICU家族会(EFCNI)や連携する家族会が2008年に制定。世界保健機関(WHO)の年間予定にも公式キャンペーンとして加わった。100カ国以上で啓発活動が展開され、公共施設をシンボルカラーの紫にライトアップする取り組みなどが行われる。
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