産婦人科医 高尾美穂さん 「可能性」を広げる体験は両親からの贈り物
たくさんの人が出入りする家で社会性を
7つ離れた兄との二人きょうだい。両親には大事に育てられました。国立の小中学校に通っていた9年間は、毎朝父と自転車で地下鉄の駅へ。途中いろんな話をする仲の良い親子でした。
大学で日本文学を専攻していた母は、毛筆で字を書くのが当たり前。筆や万年筆が身近にありました。あこがれて、小学生の頃から母の万年筆を使わせてもらいました。毎日学校に出す日記が苦でなかったのも、「書く」ことが身近だったからかもしれません。中学生になって、誕生日に両親から贈られた万年筆は今も大切にしています。
母は自宅で茶道を教えていたので、お弟子さんなどたくさんの人が出入りする家でした。両親以外の多くの大人が成長にかかわってくれたことは、今の私の社会性につながっていると思います。
写生会、工作教室、キャンプ、スキー…
両親は、私がどんな分野で伸びるか可能性を探し、幅広い体験をさせてくれました。思い出深いのは、毎週日曜日に写生会に行ったこと。もちろん絵を描くのですが、私にとっては家族でのピクニックみたいで楽しかった。今はネットで地域のイベント情報を簡単に入手できますが、当時、毎週どう見つけていたのかなと思い母に聞くと、新聞をチェックし、記事を切り取っていたそうです。
もう一つ、名古屋市内の工場みたいな場所で開かれていた工作教室も好きでした。板や金属、電動のこぎりなどの工具など置いてあるものを自由に使って何を作ってもいいよ、という場所でした。自分のアイデアで何かを作り出す楽しさを知った体験でした。
毎年、親と離れて過ごすキャンプやスキー教室に行かせてもらったほか、2歳からバイオリンも習っていました。どれも教育のため、という感じではなく、可能性を広げてその中でやりたいことを見つけていったら、というスタンスでした。親の役割って子どもが興味を持てるようなものを日常の中にちりばめていくことなのかなと思います。お金がかかることじゃなくてもいいんですよね。
母の病気を知らされず…寂しさも感じて
中学校でいじめに遭ったとき、両親は私の気持ちを聞き、100%味方でいてくれました。学校だけがすべてじゃない、自分の居場所はいくつもあると思えました。
小学4年の時、母が乳がんを患い、手術したことを家族で自分だけ知らなかった、という出来事がありました。大切に育てられたからこそ、心配させたくないという両親たちの配慮でしたが、後で知った私は寂しさも感じて。この時「大切なことを話せると思ってもらえる人、信頼される人になりたい」と思ったことが、医師を志すきっかけになったような気がしています。
高尾美穂(たかお・みほ)
名古屋市生まれ。産婦人科専門医。イーク表参道副院長。ヨガ指導者としても女性の健康を支えるほか、女性アスリートに助言するスポーツドクターとしても活躍。音声配信番組「高尾美穂からのリアルボイス」では多くの女性たちの体や心の悩みに答えている。近著に「大丈夫だよ」(講談社)。
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