夏休みが終わるのが怖い 親に打ち明けて後悔〈ソーシャルワーカー鴻巣麻里香 10代の相談室〉3

相談:夏休み明けの不安を伝えたら「きっと大丈夫」 言わなければよかった
もうすぐ夏休みが終わります。どうしよう、学校に行くのが怖くて不安でたまりません。「学校に行きたくない」と親に打ち明けたら、ちょっと困った顔して「行ってみればきっと大丈夫だよ」と言われました。言わなければよかったと後悔しています。(中学2年、女子)

イラスト・東茉里奈
連載「10代の相談室」
精神保健福祉士の鴻巣麻里香さん(46)が、中高生を支えるソーシャルワーカーの立場から、10代の悩みや葛藤をときほぐし、向き合います。保護者や学校の先生など周りの大人がしてしまいがちな、子どもたちをつらくさせる言動への対処の仕方も丁寧に伝えます。回答の最後には、10代を見守る周囲の大人へのメッセージを「大人のみなさんへ」としてつづります。
回答:周囲にある「安心できる場所」、検索して
自分で自分の命を絶ってしまう子どもの人数は増え続けています。特に増えるのは、多くの地域で夏休みが明ける9月1日です。
このままではいけないと各メディアでは特集が組まれ、「なぜ夏休み明けに子どもたちは死にたいほどつらくなってしまうのか」の原因を探し、どうすれば子どもたちを守れるかをたくさんの専門家が考え、話し合っています。
私はスクールソーシャルワーカーとして、「夏休みがつらい」生徒さんにも、「夏休みが明けるのがつらい」生徒さんにも会ってきました。後者の「夏休みが明けるのがつらい」生徒たちの多くが、学校という場所に何らかのしんどさ、居づらさを感じています。
いじめや厳しすぎる部活動の指導、先輩後輩関係、勉強に追いつけない、クラスの「ノリ」に合わせるのがつらい、校則やルールへの違和感など、さまざまな理由で学校にしんどさ、居づらさを感じる子どもたちにとって、夏休みはようやくそのつらい場所から離れられる、まとまった時間です。

1学期の間ずっと耐えてきて疲れてしまった心と体をゆっくり回復させると、夏休みはもう終盤です。夏休みが終わってしまうことへの不安や2学期が始まることの怖さで心がいっぱいになり、「もうどうにもならない」と絶望してしまいます。
さまざまな理由から学校に行けなくなってしまっていた子どもたちにとっても、夏休みが明けるのはつらいことです。
学校がある間は、日中外出することができず、息をひそめて家の中で過ごしていた子どもたちにとって、「みんな学校に行っていない」夏休みは、「自分だけ行けていない」という重い荷物を下ろすことができる期間です。
それが終わってしまうと、また「学校に行けていない自分」に戻ってしまいます。それはとてもしんどいことです。
本来なら安心できるはずの学校や家で
夏休み明けにつらくなってしまうのは、「夏休みが明けるのがつらい」子たちだけではありません。「夏休みがつらい」子もいます。
例えば家庭の中に暴力や緊張がある子たち、家計が苦しくてたくさんの我慢を強いられている子どもたちです。
家庭に居づらい子たちにとって、家で過ごす時間が長くなる夏休みはつらく、暴力や貧しさによって心身の健康に深刻なダメージを受ける場合もあります。たくさんのダメージを受け、夏休みが終わる頃には限界を迎えてしまうのです。
このようにして、夏休み明けに生きることを諦めたくなるくらいのつらさを感じる子どもたちは、学校がしんどかったり、家が苦しかったりといった、「居場所のなさ」という困難を抱えている場合が少なくありません。

学校も家も、本来ならみなさんにとって、安心して快適に過ごせる場所でなくてはいけないはずです。
まだ子どもであるみなさんは、それぞれが暮らすエリアから自分の意思で遠く離れることが難しく、学校か家のどちらか、あるいはどちらにも苦しさがあると、それこそ世界そのものが危険で苦痛に満ちているように感じられてしまいます。
その苦しさは「夏休み明けだから」?
ただ、夏休み明けの苦しさは、「夏休み明けだから」ではありません。学校が苦しい、家が苦しい、どちらも夏休みに関係なく、夏休みの以前からずっと続いてきたことです。
夏休みは、その苦しさが限界に達して「もう無理」という最後のスイッチが入ってしまうタイミングにすぎません。「夏休みが原因」ではないのです。
それなのに大人は、夏休み明けが近くなると途端に「子どもたちを守らなければ」と騒ぎ出します。子どもたちに「どうか死なないで」と呼びかけます。
夏休みのずっと前から、自分が今いる場所で苦しさを感じ続けていた子どもたちが、この大人たちの姿を見てどう感じるのだろうと、私は毎年胸が苦しくなります。
そもそも学校がつらいのも家が苦しいのも、みなさんに原因はありません。家も学校も、その場で力を持っているのは大人です。つまり、大人に原因があるのです。

私たち大人がみなさんに言えることといえば、「つらい時は相談しましょう」「学校や家以外の居場所を見つけましょう」だけです。
私たち大人が原因を作ったのに、「相談する」「居場所を見つける」という努力をみなさんにお願いしています。それは本当に申し訳ないことです。
かつて苦しんだ大人たちが支援の側に
ですが、やはり私も、学校と家以外の「居場所」を見つけてほしいとみなさんにお願いします。
私たち大人にとっても、家や職場といった「所属先」以外に安心していられる場所の存在は、自分を助けてくれます。
学校や家庭だけが世界ではないことを知るためにも、みなさんの周囲に「もうひとつの居場所」がないか、少し視野を広げて周囲を見渡してほしいのです。

私はこども食堂を運営していますが、こども食堂もひとつの居場所の可能性です。中高生から気軽にふらりと行って過ごせて食事や相談といった支援が受けられる「ユースプレイス」といった名称の居場所も各地に広まっています。
私も含めて、かつて学校がしんどいな、家が苦しいなと感じたことのある大人たちが、その経験から学んだことを生かそうとしています。それをどんどん検索して利用してほしいと、みなさんにお願いします。
大人のみなさんへ:「問題の入り口」という認識は捨てて
さて。夏休み明けに「学校に行きたくない」あるいは「死んでしまいたい(くらいつらい)」と子どもから打ち明けられると、大人は「問題が起きた」と考えがちです。
ですが子どもたちにとっては、今が問題の始まりではありません。ずっとずっと苦しくて、限界を迎えて、ようやく言えたのです。
子どもたちの中で時間をかけて積み重なってきたさまざまな困難に対して、大人の側に「問題の入り口だ」という認識があると「まだこの先でなんとかなる」という甘さが出てしまいます。
ですが、子どもにとっては「この先」などないのです。
大人と子ども 見ている景色が大きく違う
大人と子どもとでは、見ている景色が相当に違っているということです。
大人には問題の入り口に見えるので「今対処すればなんとかなる」と思いがちです。その結果「ここで休んだら休み癖がついてしまう」などと考えて、「頑張ってみよう」などと励ましてしまいます。
すでに頑張り尽くした子どもに対して、その励ましは負荷でしかありません。

あるいはすぐになんとかしなければと焦り「どうしてつらいのか」「何が苦しいのか」理由探しをしようとします。しかし子どもからは「わからない」や無言が返ってきて戸惑ったり、イライラしたり、「ただ無気力なだけ」などとジャッジしてしまいます。
「ギリギリで出してくれたSOS」に集中
ですが、多くの子どもは「つらい」と吐き出したり、学校を休むなどの行動をとることが精いっぱいです。気持ちや意見は、それを普段から聞かれ慣れていないと伝えることができません。
子どもとは見えている景色が違うことを念頭に、まずは「ギリギリでSOSを出してくれた」事実だけに集中しましょう。

そして今後や将来についての「これからの不安」は、「大人の不安」として「子どものつらさ」とは別のお皿におき、子どもが「言っても大丈夫だ」と安心できるまで、子どもたちの心と体の健康を最優先に、休ませ、聴く姿勢を保ってください。
今ここの健康と安全が守られなければ、子どもの将来も守られません。
鴻巣麻里香(こうのす・まりか)

1979年生まれ。ソーシャルワーカー、精神保健福祉士。子ども時代には外国にルーツがあることを理由に差別やいじめを経験する。ソーシャルワーカーとして精神科医療機関に勤務し、東日本大震災の被災者・避難者支援を経て、2015年、非営利団体KAKECOMIを立ち上げ、こども食堂とシェアハウス(シェルター)を運営している。著書に「わたしはわたし。あなたじゃない。 10代の心を守る境界線『バウンダリー』の引き方」(リトルモア)、「思春期のしんどさってなんだろう? あなたと考えたいあなたを苦しめる社会の問題」(平凡社)などがある。
なるほど!
グッときた
もやもや...
もっと
知りたい











小学4年生のときにいじめられていたことがあって、学校に行くのも辛くて、でも親に心配はかけたくなくて、学校に相談してくれていると知ったときもほんとに申し訳ない気持ちで一杯で辛い毎日でした。
「頑張って学校行ってみたら?」って言われたときに、「頑張って学校行けるんだったらもうとっくに言ってるよ!」って八つ当たりすることもありました。
記事の中に「大人と子どもでは見ている景色が違う」とありますが、本当にそうだなって共感しました。こんなに子供の気持ちに寄り添っている記事は見たことがなかったので、やっと自分の気持ちがわかってくれる大人の人がいるんだなって思い、心が軽くなりました。この記事を書いてくださり本当に感謝しています。ありがとうございます。