バウンダリー侵害が起きる理由 子どもの不安より親の不安で動いていませんか〈スクールソーシャルワーカー・鴻巣麻里香さんに聞く〉②

タイトル:「バウンダリーって?」親子に必要な境界線

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10代の心を守る境界線「バウンダリー」の引き方について話すスクールソーシャルワーカーの鴻巣麻里香さん=松崎浩一撮影

【第2回】子どもと良い関係を築くために必要な心の境界線「バウンダリー」について、スクールソーシャルワーカーとして中高生やその保護者を支援する鴻巣麻里香さん(45)と考える連載。初回は、子どもたちが「私は」を主語にして考えられない背景に触れました。今回は「なぜ大人は子どものバウンダリーを侵害してしまうのか」を取り上げます。親が設定する「正解」についての解説が胸に響きます。

連載目次【「バウンダリー」って? 親子に必要な境界線】

第1回 子どもの「バウンダリー」侵害していませんか?
第2回 バウンダリー侵害が起きる理由 子どもの不安より親の不安で動いていませんか(このページ)
第3回 子どもが親の機嫌を気にするのは、バウンダリー侵害のサインです
第4回 意見やノーが言えるようになるためには、「聞かれる体験」の積み重ねが必要(近日公開予定)

第2回のポイントは…

  • バウンダリー侵害が起きる理由は2つ。親自身もバウンダリーを大事にされてこなかったから。そして、子育てに正解がないから
  • 大人の「期待」が先に来ると、子どもが「どうしたいか」「何をしたくないか」が見えなくなる
  • 世の中の側の問題は、世の中の側に返していい

「バウンダリーを守る」がしみこんでいない

ーなぜ大人は子どものバウンダリーを侵害してしまうのでしょうか。

理由は2点あると考えます。

まず一つは、私たち大人もバウンダリーを大事にされて育ってきていないこと。今の子どもたち以上に、子どもの権利がないがしろにされている中で育ってきました。私たちも守られてこなかったので、「バウンダリーを守る」ということが体にしみこんでいない。

そうした中でも「自分がつらかったことは繰り返さないようにしよう」とその壁を乗り越える大人もたくさんいますが、自分自身が体験していないことを子どもに対して実践するのは、やはり難しい。意識して変えていくためには、どうしてもスイッチが必要で、それを入れられなければ自分がされたのと同じことを繰り返してしまいます。

もう一つは、子育てに正解がないことです。

正解がないので、自分の子育てがうまくいっているのかどうかが分からない。例えば、仕事だと、うまくいけば誰かから評価してもらえたり、「そのプロジェクトよかったね」「よく頑張ったね」「大変だよね」とある程度評価してもらえるので、正解も分かりますよね。

ただ、子育ては基本的に誰もほめてくれないので、正解のない子育ての中で、親の足場がグラングランになってしまっている。そうすると、子どもを、子育てで正解を導き出す道具のように扱ってしまいます。

分かりやすい例は、「周りから評価されるような進路を選ぶ」とか、「友達とうまくいっていてトラブルなく過ごす」とか。「学校に行けている」「親の言うことを素直に聞く」もありますね。

これが子育ての正解だ、という分かりやすい答えを大人が先につくって、それを子どもに期待するようになるので、「子どもがどうしたいか」「子どもが何をしたくないか」より、大人の期待が先に来てしまう。

その期待も、私たちの子育てがあまりにも孤独で、やってることが正しいかどうか分からず、よかれと思ってしたことが裏目に出る、そういった苦しさが背景にあると考えます。

「学校に行けるようになる」のが「正解」?

ー「正解の子育て」をしないと子どもの安定した将来につながらない、という不安があるように思います。

そうですね。非常に不安だと思います。私も1人で子育てをしていますが、これでいいのかなと不安です。子どもが学校に行けなくなってしまった時に、本人の「もう行かない」という意思を尊重した決断を下したこともあったけれども、これでよかったのかな、と迷いました。

結局、今ここにいる子どもが何を感じていて、何を考えていて、どんな意見を持っているのかよりも、親は常にその「正解」が訪れるだろう先を見てしまうので。

よくあるのが、学校に行きたくない不登校の子どもについて相談する親御さん。「とりあえず様子を見て、今は少し休ませましょうか。本人も『疲れた。休息が必要だ。休みたい』と言っているので、休ませてあげましょう」と提案すると、「休ませたら学校に行けるようになりますか?」と聞いてくる方がいるんです。

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イラスト・横田眞未子

多分、親御さんは「学校に行けるようになるのが正解」と設定している。「今ここ」ではなくて、「ちょっと先の正解」に設定していて、そこに行くためにはどうしたらよいかを考えています。そうすると、「今ちょっと疲れた。学校のことは今考えたくないんだ」「とにかく疲れたんだ。休みたいんだ」というその子の願いは、ないがしろにされてしまう。ここでも、親の期待が、子どものバウンダリーを侵害してしまってるわけです。

とはいえ、「学校に行かないことで、どんな不利益があるんだろう」というのは、一つの妥当な懸念です。「勉強が遅れてしまったらどうなってしまうんだろう」という心配や、「この不安定な世の中、しかも1度つまずいてしまうとなかなかリカバリーが難しいような世の中で、安定した収入を得てほしい。確固としたキャリアを手に入れてほしい」という願いは、人生を生きやすくするためのライフハック(仕事や日常生活で役に立つテクニック)としては間違いではありません。この世の中が非常に不安定で恐ろしいものとして私たちの目に映ってしまっていて、それによる不安が大きいのです。

世の中の側の問題は、世の中の側に返していい

ー「どんな生き方をしても、それなりに稼いで食べていける」ことが見えれば、無理に子どもを学校に行かせなくても大丈夫だと思えるかもしれません。

その通りです。もっと言ってしまうと、働かなくても、稼がなくても、生きていけさえすればいいんです。そういう世の中であれば、親も不安にならずに済みます。

社会がこういう状況で、私たち大人がすごく不安になってしまっている。ただ、それを親の個人の問題にしてしまうのも間違っている。私は今回の本の前に「あなたを苦しめる社会の問題」という副題の付いた本(※編集注「思春期のしんどさってなんだろう? あなたと考えたいあなたを苦しめる社会の問題」2023年、平凡社刊)を出しているんですけれど、要はそこにも実はバウンダリーを引くことが大事で、世の中の側にある問題は世の中の側に返す必要があります。

非正規雇用が非常に増えていて不安定な働き方をする人が多いのも、男女で賃金格差が大きいのも、当然、世の中の側の問題です。ですから、それを親自身の不安にしてしまうと苦しい。

「この不安は向こうからやってくるものだから、向こうに返そう」 と、自分と社会の間にいったん境界線を引くことが必要です。私たち大人が子どもを育てる時に感じる不安や恐ろしさは、「私たちの中にあるものなのかな?」と疑ってください。外からやってくるもの、世の中の側からやってくるものかもしれません。

「不安なまま子育てする私、ダメだわ」ではなく、「子育てが不安な私ではなく、私の子育てを不安にしてる世の中があるんだ」というように、まなざしを変えてみることも大切です。

もし10代の妊娠を祝福できる社会だったら?

例えば、思春期以降になると、親は子どもが性的なことで傷つくことがないように、性被害やセクシュアルハラスメントを受けないようにと心配し、「自分の身を守りなさい」と言いたくなる。もちろん自分の身を守ることはとても大切です。ただ、それは、子どもを傷つけるものが今の世の中に満ちあふれているから、当座の対処法として身を守ることが必要なのであって、私たち大人が目指していくのは、子どもを傷つけるリスクがない世の中をつくっていくことですよね。その世の中の側に働きかける努力を、大人たちは一体どのぐらいしてきたでしょうか。

妊娠をしてしまったお子さんに対して、大人はどうするかばかりを考えます。でも、10代で妊娠したときに「おめでとう」「安心して産んでいいんだよ」「あなたのキャリアは何ひとつ傷つかないよ、安心して産んでごらん」「もちろん産まない選択もあるよね。産んでも自分で育てないって選択もあるよ」と言える世の中だったらどうでしょうか。10代の子の妊娠がトラブルではなくなる世の中づくりに、私たち大人はどれだけ力を注いできたでしょうか。

社会の側に問題を返すと同時に、これは大人が考えていかなければならないことです。

※続く【第3回 子どもが親の機嫌を気にするのは、バウンダリー侵害のサインです】の記事では、バウンダリーを侵害を避けるために、どういうことに気をつけるとよいかを考えます。立ち止まるための親側・子ども側のサイン(兆候)があります。
子どもが進路や学校の悩みに直面したとき、保護者がどうかかわり、どうサポートするかは悩ましい。保護者のかかわり方によっては、子どもが余計につらい思いをしてしまうこともある。子どもの意見を受け止めることができているか、親の考えを押しつけてはいないか。スクールソーシャルワーカーとして中高生を支える鴻巣麻里香さん(45)は、近著「わたしはわたし。あなたじゃない。 10代の心を守る境界線『バウンダリー』の引き方」(リトルモア刊)で、保護者が子どもと良好な関係を築く上で大きなヒントになる「バウンダリー」という考え方を紹介している。

「心を守る境界線」を意味する「バウンダリー」は、「子どもの権利」とも深くかかわる考え方だ。11月20日は1954年に国連が制定し、今年70年を迎える「世界子どもの日」。「子どもの権利条約」は35年前の1989年のこの日、国連総会で採択された。節目の日を前に、大人が子どものバウンダリーを侵さないために大切なポイントを考えたい。

鴻巣麻里香(こうのす・まりか)

1979年生まれ。スクールソーシャルワーカー、精神保健福祉士。子ども時代には外国にルーツがあることを理由に差別やいじめを経験する。ソーシャルワーカーとして精神科医療機関に勤務し、東日本大震災の被災者・避難者支援を経て、2015年、非営利団体KAKECOMIを立ち上げ、こども食堂とシェアハウス(シェルター)を運営している。著書に「わたしはわたし。あなたじゃない。 10代の心を守る境界線『バウンダリー』の引き方」(リトルモア)、「思春期のしんどさってなんだろう? あなたと考えたいあなたを苦しめる社会の問題」(平凡社)などがある。

書影「わたしはわたし。あなたじゃない。」

鴻巣麻里香さん著「わたしはわたし。あなたじゃない。 10代の心を守る境界線『バウンダリー』の引き方」(リトルモア)

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