伝えられなかった「尾久本土初空襲」荒川区の中学生が壁新聞に 尾久図書館で4月展示 住民が口止めされた実態を伝えたい
小形佳奈 (2024年3月15日付 東京新聞朝刊)
太平洋戦争中の1942年4月18日、日本の本土が初めて米軍に攻撃され、荒川区尾久町8、9丁目(現在の尾久橋付近)も被害を受けた。地元では「尾久本土初空襲」と呼ばれて語り継がれる。荒川区立第九中学校の生徒4人が、その歴史や体験者の話を壁新聞にまとめた。4月に区立尾久図書館(東尾久8)で開かれる初空襲関連の資料展で展示される。
語り部の堀川さんから話を聞いて
4人は、3年生の加藤羽夏(はな)さん、加藤唯人さん、後藤柚季さん、高野勇斗さん。教育に新聞を活用する「NIE」に力を入れる第九中の香山昌彦教諭の呼びかけに応じた。
2月28日、9歳で空襲に遭い、語り部として活動する堀川喜四雄さん(90)の案内で、着弾地や戦禍を伝える記念碑などを巡った。「行商の魚屋さんは、爆弾の破片で右手を失った」「自宅の隣に爆弾が落ち、あと少しずれていたら私が死んでいた」-。今の街並みからは想像できない現実に、4人は神妙な面持ちで耳を傾けた。
実際の場所で「リアルに感じた」
「実際の場所に行って話を聞き、よりリアルに感じた」「平和の大切さを伝えていきたい」。後日、初空襲の被害状況や堀川さんへのインタビュー内容などを文章や4こま漫画にして壁新聞を制作した。
目を引くのは「伝えられなかった空襲」との見出しだ。尾久本土初空襲では、爆弾3個と焼夷弾(しょういだん)1個が投下された。10人が亡くなり、48人が重軽傷を負い、43戸が全焼したとの記録が残る。しかし、直後から口止めされた地元住民は長らく沈黙。2009年から体験者が中心となりコンサートや座談会を企画するようになった。荒川区内の小中学校では「尾久初空襲を語り継ぐ会」による公開授業も行われている。
尾久図書館での展示は4月4~17日。13日午後2時から、堀川さんや戦争体験者によるトークイベントがある。
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