ラジオパーソナリティー ジョン・カビラさん 父の教えは「フェアであれ」 多元的な物の見方をリスナーと共有したい

中沢佳子 (2025年10月19日付 東京新聞朝刊)

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両親の経験や兄弟との思い出などについて話すジョン・カビラさん(木戸佑撮影)

カット・家族のこと話そう

各界で活躍する著名人が家族との思い出深いエピーソードを語るコーナーです

父は日本の現代史そのもの

 父、川平朝清は沖縄の戦後初のアナウンサーです。僕が今の仕事に転身することが決まって報告すると、喜んでくれましたね。「同じ放送の世界に身を置くんだね」と。

 父の言葉で印象的なのは、「フェアであれ」。どっちつかずになりがちな「中立」ではなく、「公平」の意味です。どういう意図で、誰に何を伝えるのか。ファクトチェックはできているか。両方の視点を紹介した上で発言しているか。シンプルな言葉にそういう意味が込められていると思います。伝え手としての僕の立脚点になっています。

 父は日本の現代史そのもののような人。日本統治下の台湾に生まれ、終戦で両親の郷里・沖縄に引き揚げ、アナウンサーになりました。東京で研修中、日本がサンフランシスコ講和条約で主権を回復した際に大手新聞が「日本は分割統治を免れた」などと報じ、沖縄が忘れられたと愕然(がくぜん)としたそうです。そんな不合理を体験した父の話を聞くたび、日本や沖縄の歴史の側面が僕の中に刻まれました。

 米国の大学に留学した父と知り合った母は、カンザス州の農村部育ち。電気が通っておらず、冷蔵庫の代わりに氷を使って食品を保存したそうです。母は祖父がトラック1台分の小麦を街に売りに行った話もしてくれました。「お父さん、小麦のお金で何を買ったと思う? 万年筆1本。『これが欲しかったんだ』って」。イメージする「豊かな米国」とは違う暮らしです。

 母方のおじたちは戦場に行っていません。農場の働き手だったことや、平和主義を貫くキリスト教一派の信者で「良心的兵役忌避」が認められたためです。日本は赤紙一枚で兵にとり、沖縄戦で少年兵も動員した。その違いを体感できる意味でも、両親の話は僕の宝物です。

先人の思いを次世代に届けたい

 家族の話で知ったことを、僕の胸にとどめていてはもったいないと考え、父に自身の体験や日本と沖縄への思いなどをインタビューする番組を作りました。先人の話には、さまざまな思いとドラマが詰まっている。それを受け止め、次の世代に伝えるのが役目だという気がしています。

 伝える時に心がけているのは「明るく、楽しく、分かりやすく」。兄弟の影響です。小学生の頃、造成が始まったばかりの「ぽつんと一軒家」状態の住宅地で暮らしました。学校から帰ると、2人の弟たちとその日あったことを、面白おかしく語り合う日々。牛乳を飲んだら鼻から出た。同級生とセミを食べた。たわいない話で盛り上がりましたね。弟で俳優の慈英がニュース番組のサッカー担当キャスターを打診された時、「こんなチャンスはない」と熱く勧めました。2022年のワールドカップは、兄弟それぞれ別の放送局で伝えるという、うれしい経験もしました。

 新番組では「こんな意外なこと、前向きになれることがある」と思う話題をジャンルを問わず取り上げ、リスナーと面白さや発見を共有していきたい。または、違う角度で見てみるという多元的な物の見方。それは、父の言う「フェアであれ」に通じるのかもしれませんね。

ジョン・カビラ

 1958年、沖縄県生まれ。本名は川平慈温。大学卒業後、レコード会社勤務を経て、1988年のJ-WAVE開局時からナビゲーターとして活躍。2004年度ギャラクシー賞ラジオ部門DJパーソナリティ賞、2019年度には父・朝清さんへのインタビュー番組で、ギャラクシー賞ラジオ部門大賞を受賞した。10月からJ-WAVEの新番組「MIDDAY LOUNGE」(月-木午後1時半~4時半)で木曜ナビゲーターを担当。

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