俳優 寺島進さん 子育てのマニュアル本も読んで何でもした 成長を感じた小5の息子との男旅

自身の家族について話す寺島進さん(小沢徹撮影)

各界で活躍する著名人が家族との思い出深いエピーソードを語るコーナーです
父は俳優業に反対、でも陰では…
実家は、東京の下町・深川の畳屋。おやじは、口数は多くないけど仕事は丁寧な「不言実行」の職人でした。
勉強は嫌いでね。小学校で通知表をもらった日、「成績悪くてごめん」っておやじに言ったら、「体育と図工が良いんだから、十分じゃねえか」って。心が救われたね。おやじは中学卒業してすぐ家業に入った人だけど、俺が思春期の頃にはもう畳業は斜陽だったし、将来も「好きな道に進みな」と言ってくれた。
とはいっても、高校を出て俳優養成所に入ると言ったら、大反対。もう、勘当もの。それでも卒業公演は見に来てくれて、殺陣の立ち回りで俺がトリを飾って20人斬りくらいした時は、おやじ、うれしかったみたいでね。その後、新宿の台湾料理店でご機嫌に紹興酒を飲んでたらしいよ。ちょっとしたチンピラ役で出たドラマも、隠れてビデオを見てたとか。おやじは、俺が24歳の頃に亡くなった。俺も今、子どもが2人いるけど、人に迷惑かけなきゃ、好きな道に進めばいいと思ってる。
俺が結婚したのは46歳。甘い世界じゃないし、殺陣師集団に入り大部屋俳優をやり、20年続けてやっと飯が食えるようになった。30代の後半までテーマパークでウエスタンショーのアルバイトをして、ならず者役にロープで縛られ、馬に毎日引きずられたよ。
仕事が増えりゃあ幸せかと思ったけど、43歳で初めて車を買い、銀座辺りを飲み歩いても、何か物足んねぇなぁって。それが天のお告げだったのかもしれないね、そんな頃、カミさんと出会ったんだ。
家族の笑顔は「心のビタミン剤」
長女が生まれた頃は地方出張の仕事が多くて、カミさんに大変な思いをさせた。もう、昭和じゃないから、オムツ替えるでも何でも、気付いた人がやることにした。子育てのマニュアル本も読んだよ。
下の息子は今、小学5年。去年の夏、「お父さん、名古屋に行こう」って。どこ行くのって聞いたら「『指スケ』(指で動かすスケートボードのミニチュア)の工場」。自分でアポを取ったらしくて、製造工程を撮影して夏休みの自由研究にするんだって。行動力あんだなぁと思ったよ。
旅先で息子と釣りをしたら、マスが釣れたの。その場で焼いてくれるんだけど、「自分で釣った魚だよ」って言ったら、きれいに食べんだよね。それからは感心するくらい、家でも上手に魚を食べる。「男旅」で成長したんだな。
最近はトカゲを捕りに川に連れてけ、ってよく言ってくる。蛇も飼いてぇと言い出した。そういや俺も、おやじと出かけた先でアオダイショウを捕まえて、蛇屋さんに一緒に持って行った思い出がある。血、なのかもしれねぇな。
一番切ないのは、子どもが病気した時。代わってやりてぇなって思う。治って笑顔を見せてくれると、ほっとする。家族の笑顔って、元気をくれる、心のビタミン剤だよ。
こんな当たり前の日常が幸せってことなんだって、家族が、教えてくれたんだよな。
寺島進(てらじま・すすむ)
1963年、東京都生まれ。86年に松田優作監督の「ア・ホーマンス」で映画デビュー後、北野武監督作品で活躍の場を広げる。ドラマ「ドンケツ」や「日本統一」シリーズにも出演し、いずれも好評配信中。主人公の父を演じるフジテレビ系「土ドラ」(東海テレビ制作)の「ミッドナイト屋台~ラ・ボンノォ~」が、まもなく最終回を迎える。
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