芸人・俳優 マキタスポーツさん 妻と息子は山梨の山村へ 東京との2拠点生活がご機嫌家族にしてくれた

マキタスポーツさん(市川和宏撮影)

各界で活躍する著名人が家族との思い出深いエピーソードを語るコーナーです
東京での生活は過密状態
2年前から東京都内と山梨県丹波山村(たばやまむら)の2拠点で生活しています。当時大学生だった長女と高校生だった次女は就学状況を考えて僕と都内の自宅に残り、小学生の双子の息子たちが妻と一緒に山村留学することになりました。最寄りのコンビニまで車で40分。本当にディープな田舎です。
きっかけは、移住の半年ほど前に家族で村に小旅行したこと。妻が村を気に入って、思い詰めたように「住みたい」と言い始めたんです。
確かに、東京で暮らし続けることへのSOSは出ていました。都会で6人の核家族。僕の仕事がルーティンではない分、妻のタスクがあっという間に詰まってしまうんです。僕の方も仕事に家事、妻へのサポートと過密状態。子どもたちにも「精神的な過密さ」を感じさせていました。
ただ、子育ても大変でした。忘れもしないのは、まだ双子が幼かったころのこと。ドラマの主演の仕事で忙しく、睡眠不足で前後不覚のときに、双子が夜泣きするんです。僕が寝ぼけながらミルクを与えていたんですが、役に入り込んでいたのか、なぜかぼろぼろ涙を流していたみたいで。怖がった妻に何度も止められてようやくわれに返る、ということがありました。
いま、村での暮らしをエンジョイしている妻はご機嫌です。妻のご機嫌が、僕や子どものご機嫌にもつながり、家庭の安寧をもたらしています。結果的に2拠点生活をして良かったと実感しています。
双子は村の学校にもなじんでいます。うちの子たち、人好きなんですよ。僕がよく後輩や芝居仲間を家に呼んでいたので、大人たちとの交流の中でそういう勘所が育まれたのかもしれません。
娘たちとの会話を大切に
家庭内では、よく言葉を交わすようにもしていました。娘たちとは特にそう。リビングで晩酌しながら、娘が見ている動画を一緒に見て「これ何?」とか聞いて。今の若い子たちは1980年代のリバイバルを「かわいい」と言いますが、僕たちはそれをリアルタイムで経験している。そんな話を添えながらね。あんまり長く話すと逃げられますけど。
長女との会話では驚いたこともあります。数年前、あるタレントの不倫騒動とそれを報じた週刊誌について議論したんです。彼女は「一番悪いのは不倫の当事者だ」と言いましたが、一方で、単純な正義不正義だけではない、いろいろな力が働いている世界だという話もしていたんです。面白いなと。僕が与えた影響かもしれませんが、物事を一面だけで捉えない考え方はすごくいいなと思いました。
双子が村の中学を卒業したら、暮らし方はまた変わるでしょう。でも今後はどこで暮らすかは関係なく、家族それぞれが自立し、ご機嫌なところに立っていられるような、そういう共同体でいられたらいいなと思っています。
マキタスポーツ
1970年、山梨県出身。本名は槙田雄司。「オトネタ」と称する音楽ネタを得意とし、ミュージシャン、文筆家としても活躍。映画「苦役列車」で第55回ブルーリボン賞新人賞。近年は映画「ゴールデンカムイ」、Netflixドラマ「地面師たち」などに出演。3月には食へのこだわりをつづった著書「グルメ外道」(新潮新書)が発刊された。
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