俳優 羽田美智子さん 「結婚して以来、つらいことは一切ない」と父に言わせる母はすごい

家族のことを話す羽田美智子さん

各界で活躍する著名人が家族との思い出深いエピーソードを語るコーナーです
お風呂で気付いた両親の共通点
88歳の母は屈託なくて同性から見てもかわいい人。会った人が「癒やされた」「あんなふうに年を取りたい」と口をそろえます。娘ながらにすごいな、こんなふうにかわいいおばあちゃんになれたら人間として大成功だな、って思います。
父は3年前に87歳で他界しました。その少し前に親子3人で温泉旅行に行った時、「パパにとって人生で一番つらい時って何だった?」と聞いたことがあります。私の祖父に赤紙が来て、「万歳万歳」と見送った祖母の沈痛な顔を見て、父は子ども心にただごとじゃないと思ったそうです。祖父が戦死して、兵隊さんが持ってきた木箱に入った歯ブラシがカタカタ鳴っていた。その音が耳に残って「おやじが死んだと認めるときが一番つらかったかな」とポツッと言ったんです。その後に「お母さんと結婚してから、この人が明るくて強いから、もうそれ以来つらいってことは自分の人生には一切ない」。男の人にこんな言葉を言わせる母って、すごい人だなと思うんです。
2人はお見合いで結婚。私が子どもの時に父や母とお風呂に入って、2人の腰の同じ場所にあざがあるのを見つけた。結婚してからお互いに気付いたそうです。本で読んだのですが、来世で一緒になろうねっていう2人には、同じ場所にほくろなどの印がついて生まれてくるんだって。
子どもの頃に戻れる実家のおかげ
実家は朝7時から開く商店で、母は大家族にお嫁に来ました。子ども心に理不尽だなと思うくらいすごく働いた。店番に家事、兄2人と私の世話。私は何か手伝わなきゃと思って、母の実家に帰省した時には片付けとか洗い物とかやりました。母の両親が「2人で働く姿はそっくりで見てて楽しいよ」と言ったのを覚えています。
母には孫が4人。特に20代の男の子が面倒見がよくて、母の靴を履かせたり、手を引いて歩いたり。母は人に温かい手を差し伸べてきたから、今誰かが手を握ってくれるんだろうなと思います。
私は中学生の時にスカウトされたのですが、その時は両親が猛反対。短大を出て進路を決める時「やっぱりこの世界に入りたい」と話したら、「そんなことを言い出す気がしてた。自分の人生は自分で切り開け」って。おばあちゃんも「駄目だったら戻ってくればいいのよ」と背中を押してくれました。
仕事でうまくいかない思いを抱えて実家に帰ると、「天ぷら揚げるから手伝って」とか、あまりにも普通の暮らしがそこにあって。ひゅーって子どもの頃の自分に戻る。自分がやってこられたのは、実家のおかげですね。
羽田美智子(はだ・みちこ)
1968年、茨城県出身。94年公開の映画「RAMPO」で日本アカデミー賞新人俳優賞。96年には「人でなしの恋」で日本アカデミー賞優秀主演女優賞。ことし6月2~27日に東京・新橋演舞場で上演される熱海五郎一座「黄昏のリストランテ~復讐(ふくしゅう)はラストオーダーのあとで~」に出演する。
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