陶芸家 加藤智也さん 「家業を継ぎなさい」と言われたことはなく、パイロットになることが夢だった

加藤智也さん(井上昇治撮影)

各界で活躍する著名人が家族との思い出深いエピーソードを語るコーナーです
実家は江戸時代から続く窯元
自宅(岐阜県多治見市)も母方の実家(同県土岐市)も美濃焼の窯元です。わが家は江戸時代の寛政6(1794)年頃から続き、昔は日本酒を入れる源蔵とっくりなどを作っていました。今はすり鉢。家族4人で切り盛りしています。
私は父の跡を継いだ7代目。でも、小さい頃から夢はパイロットになることでした。家の上空をよく飛んでいた飛行機を見上げて、「乗りたいなあ」「操縦したいなあ」と憧れていたんです。
両親や同居していた父方の祖父母から「家業を継ぎなさい」というような話は全くありませんでした。窯元を続けるのが大変なことは分かっているから「やらされるものではない。やるからには覚悟がいる」と思っていたのかもしれません。唯一、母方の祖母から「継ぐんやぞ」と言われたぐらいですね。
言葉では言わなかったですけど、一緒に暮らしていた父方の祖父は、小学生の頃に僕をよく山に連れていきました。歩いて周辺の山に入ると、焼き物の材料になる土や釉薬(ゆうやく)の材料があるんです。焼き物の素材が全て家の周りで取れていることを伝えたかったのかもしれません。
おやじに「仕事をさせてください」
大学では航空工学を学びました。パイロットは難しくても、航空関係の仕事に就きたかったから。でも、ちょうど就職氷河期。迷いもありました。ゼミの先生と話していたときに「江戸時代から続く窯元をつぶすのはもったいないだろ?」と言われ、「そういう考え方もあるのか」と思った記憶があります。
就職に悩んでいた4年生の夏、おやじから「焼き物の世界ものぞいてみたらどうか」と言われました。帰省したときに多治見市陶磁器意匠研究所(意匠研)を見学し、「就職せず、2年間、ここで焼き物の勉強をするのもありかな」と思いました。おやじとしては息子が焼き物に関心を持ち始め、「しめしめ」という気持ちだったかもしれませんが、まだ家業を継ぐ気はなかったですね。
意匠研の先生の焼き物への熱い思いに触れ、自分でも手を動かしていく中で、魅力にはまりました。陶芸の大きいオブジェ作品を作り、家業も手伝うようになりました。窯元に入るなら、おやじにきちんと言わないといけません。めしを食う仕事として、ちゃんと家業をやると。意匠研の卒業間近になって、「仕事をさせてください」とおやじに言うと、淡々と言われました。「一緒に働いているみんなにあいさつしてこい」
祖父や祖母、おやじなど家族の思い、先生方との縁。いろいろなつながりが奇跡のように重なり合って、今がある気がします。50代になった今も20代の頃と変わらぬ情熱を焼き物に注いでいます。家業のすり鉢、自分の表現としてのオブジェのどちらもおろそかにはできません。
加藤智也(かとう・ともなり)
1972年、岐阜県生まれ。同県多治見市陶磁器意匠研究所修了。2003年、長三(ちょうざ)大賞(愛知県常滑市)。08年、台湾国際陶芸展審査員賞。09年、‘PREMIO FAENZA’大賞(イタリア・ファエンツァ)。12年、家業のすり鉢でグッドデザイン賞。17年、国際陶磁器展美濃金賞。米シカゴ美術館などに作品が収蔵されている。
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