作家・獅子文六の長男 岩田敦夫さん 夏休みの旅行がないほど忙しい父 子ども向け作品を読むと引き込まれた

両親について話す岩田敦夫さん(池田まみ撮影)

各界で活躍する著名人が家族との思い出深いエピーソードを語るコーナーです
相次ぐ復刊、今も古びない理由は
父は忘れ去られていく作家だと思っていました。新しい作家はどんどん出てくるし、仕方ないです。それが、恋をユーモラスに描いた「コーヒーと恋愛」が2013年に筑摩書房から復刊されてヒット。相次ぐ復刊本は書店で平積みになり、手作りのポップで宣伝する店も。新しい読者が増えて、喜ぶ昔の読者も残っていて、両方うれしいです。
私は父が還暦の年の子で、おじいちゃんと孫くらい年が開いています。身長は今の私と同じ175センチほどで、物心ついた頃の印象は「でかい」でした。流行作家の父は午前中に3時間執筆して、午後は担当者との打ち合わせや散歩しながら構想を練るのが日課。打ち合わせでは相手の話を「ふんふんふん」と聞いて、たまにコメントを返す感じで、口数は少なかったです。
野球観戦で後楽園球場へ連れて行ってくれたぐらいで、執筆があるので夏休みの家族旅行はなかったです。小説を書くバーターじゃないですけど、私を気遣って出版社の担当者に私と遊んでくれるように頼んでいました。
小学生の時に、父の書いた子ども向け作品から読み始めました。私が好きなのは「大番」です。愛媛県の貧しい若者が上京して株で身を立てていく展開や、証券取引の深さに引き込まれました。
フランスに留学した父は、日本の旧来の女性像にとらわれていませんでした。主人公の女性は年齢に関係なく、自立した強さを持っています。だから古びずに、今も支持されていると思います。一方、作中の家族だんらんには憧れがあったのではないでしょうか。9歳で父親と死に別れ、最初に結婚したフランス人女性を病気で亡くし、苦労も多かったでしょう。
文学座と家族を守るために書いた
父は激動の昭和を生き抜きました。個人を尊重する生きざまからして米国との開戦には賛成できなかったはず。でも、岸田国士さんたちと設立した文学座と家族を守りたくて、国が戦争に突き進む中、「海軍」を書かざるを得なかった。斜に構えた見方と真面目さの両方を備えた人でした。この小説は戦争を一方的に称賛するのではなく、真珠湾攻撃に参加した軍人の一生をテーマにしています。
晩年の代表作「父の乳」が昨年復刊されました。私や存命だった人が実名で登場するので、長く復刊をためらっていました。後書きを書くため読み返すと、年を重ねた私は父の悩みや考えに共感するように。私は飛行機が好きで小説を書こうと思いませんでしたが、無口なところや人に関心を持つ性格は似ています。
父は私が16歳の時に亡くなりました。もし私が成人するまで生きていたら、「これはどうして書いたの」などと小説の裏側を聞いてみたかったです。「おまえ、自分で考えろ」と言われたかもしれないですけど。
岩田敦夫(いわた・あつお)
1953年、東京出身。小説家、劇作家、演出家の獅子文六(1893~1969、本名・岩田豊雄)の長男。慶応義塾大を卒業し、77~2010年、旅行会社に勤務。子どもが文士の姿を振り返る「父の肖像」(かまくら春秋社)や18年に復刊した「南の風」(朝日文庫)の後書きなどで、父の姿を伝え続けている。
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随分久し振りに「獅子文六」と言う名前を目にして懐かしさを感じました。本は読んだ事はなかったですが昔NHKTVで朝の連続ドラマ「娘とわたし」を観ていましたので懐かしさを感じたのです。これをきっかけに小説を読んでみようと思いました