俳優 坂口涼太郎さん ちゃぶ台の上で踊る3歳ごろの私の写真 ずっと財布に入れてくれていた両親

幼少期の両親との思い出を話す坂口涼太郎さん=大阪市で(野村和宏撮影)

各界で活躍する著名人が家族との思い出深いエピーソードを語るコーナーです
「もう1回子ども体験をするんだ」
本当に幼いころから、私は歌うことが好きで、母がコンサートや音楽会に連れて行ってくれました。帰ってきて、ちゃぶ台の上で踊り出したそうです。2、3歳のころに、いとこのバレエの衣装を着て踊っている写真が残っているので、やめさせようとしたことはなかったんじゃないかな。母と父は写真をずっと財布に入れてくれていました。
今、この世界にいられるのは母が背中を押してくれたから。これまで自分で一歩踏み出したという自覚がないんです。小4のころ、母が連れて行ってくれたミュージカルを見て、舞台に立ちたいと思いました。でも、それから5年くらい何もしない時期があり、母が「どうすんの?」って。ダンススタジオを探してきて、脇に抱えるようにして私を連れて行ってくれました。
母は、私が生まれて、「この子と一緒に、もう一回子ども体験をするんだ」と、仕事をやめてずっと一緒にいてくれました。私は5~7歳くらいの時、アトピーがひどく、鏡を見るのも、外に出て光を浴びるのも嫌でした。その時にサポートしてくれたのも母。体質改善のため、油や肉を控えたり、砂糖をみりんに替えてくれたりしました。料理をするようになって、母は大変だったんだろうなと思うようになりました。
つまずいた時は言葉に救われた
読書好きなのも、母の影響です。家には本がたくさんありました。母は20代の時にしんどいことがあり、温泉のようにぬくもりのある、よしもとばななさんの本に救われたそうです。私も10代のころ、人間関係につまずいた時によく本を読みました。私が書いた本も、読んだ人の救いになってほしいです。
父は商社に勤めていて、週末にはタクシー運転手の仕事もしていました。当時は知らなかったのですが、阪神大震災の影響で商社の給料が減った時期があったそうです。3年ほど前、私が映画でタクシー運転手の役をすることになり、父にどんな仕事だったか尋ねると、マニュアルと手紙が送られてきました。幼いころは「なんで毎日出て行くんだろう」と思っていましたが、その時初めて理由を知り、習い事などができるように父が頑張ってくれていたんだと気付きました。
今、両親は2人で国内外の旅行を楽しんでいます。私の演劇公演にはいつも来てくれますし、パリ公演の時にはイギリスまで足を延ばしていました。2人が行動するきっかけに、私がなっているならいいなと思います。一人っ子なので、両親に何かあったら、どうにかしなきゃいけない。でも、どうにかなるだろうし、私が信頼している、血がつながっていない人にも助けてもらえばいいと思っています。

坂口涼太郎(さかぐち・りょうたろう)
1990年、兵庫県出身。2007年、ダンサーとして初舞台に立ち、2010年に映画「書道ガールズ!! わたしたちの甲子園」で俳優デビュー。NHKの朝の連続テレビ小説「らんまん」や大河ドラマ「べらぼう」など、多くの作品に出演。2025年8月には初のエッセー「今日も、ちゃ舞台の上でおどる」(講談社)を出版。
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