漫画家 山本おさむさん 母子家庭で貧困…差別され、ルサンチマンの塊に 自由にさせてくれた親にはうらみなし

家族のことを話す漫画家の山本おさむさん=さいたま市大宮区で(坂本亜由理撮影)

各界で活躍する著名人が家族との思い出深いエピーソードを語るコーナーです
漫画家を志したのは解放されたくて
物心がつく前に両親が離婚して、母と祖母、兄、僕の4人家族の中で育ちました。母が和裁の仕事で一家を支えていましたが、とにかく貧乏。貧しいとつらい目に遭うことがいっぱいある。学校でも教師たちに差別されたりして、早くから社会の現実を知りました。当時はルサンチマン(怨み・憎悪)の塊でした。
でも、親を恨むことはなかったですね。恩恵も受けなかったけれど、抑圧もなかった。母は生活に追われていたのに、ピリピリしたり子どもに当たったりということが全くない人で、僕の自由にさせてくれました。教師だった父には年に1、2回会っていましたが、文学好きで話が結構合いました。
ただ、置かれている状況からは早く解放されたいと思っていました。差別されてきた社会へ普通に入っていくのは無理だなと感じ、小学3、4年で「漫画家になりたい」と切望するようになりました。
運良くデビューできて、人生の9割を漫画が占めてきました。なぜこの仕事だったのか。父方の血筋が影響しているのかもしれません。父方の祖父は浄土真宗の信徒団体をつくって布教に打ち込んだ人でした。のめり込むタイプだったらしく、結局挫折して鉄道自殺してしまった。旧制高校、東京帝大の同窓だった作家・上林暁の短編「大懺悔(ざんげ)」のモデルになっています。
祖父は恐らく、何かに夢中になる脳内物質が出やすかったんだと思うんです。僕にもそういうところがあります。危険だけれども創作者には必要な資質かもしれません。
加えて、僕にも宗教的なところがあります。利他に強く引かれるところがあって、学生運動がはやったころ政治的人間か性的人間かという議論がありましたが、僕はやはり宗教的人間なんです。
「かくあれかし」こそがリアリズム
ルサンチマンの塊だったという話をしましたが、ルサンチマンだけでは作品は描けないんですよ。それに対抗する思想は何かと考えていた時に障害者運動に出合った。彼らは僕なんか比べものにならない差別を受けてきたのにルサンチマンがない。自分だけが救われればいいではなく、仲間つまり他者も一緒に救おうとして世の中を少しずつ変えようとしている。共感して何本もの作品を描きました。
漫画家の後輩から「山本さんは障害者をいっぱい描いているけれど、リアルな姿じゃないんじゃないか。あんなにきれい事ばかりじゃないでしょう」と言われたことがあります。それでこう答えたんです。「そう、全然リアルじゃない。じゃあ本当のリアリズムってあるのか。観察者によってリアルが違うだろう。俺は『かくあれかし』という祈りを込めて描いている。希求のリアリズムなんだ」。時間があれば祖父の人生を調べてみたいと思っています。
山本おさむ(やまもと・おさむ)
1954年、長崎県出身。「遥(はる)かなる甲子園」「わが指のオーケストラ」など障害者を主人公にした作品で知られる。「どんぐりの家」で日本漫画家協会賞優秀賞。「今日もいい天気」で同協会賞特別賞。超高齢社会の闇に迫る「れむ a stray cat」を「ビッグコミックオリジナル」誌で連載中で、4月末に単行本第3巻が発売された。
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