きょうだい児に生まれて、よかった?【歌人の服部真里子さんが語るきょうだい児の思い・上】
人の本質にあるという「暴力性」に向き合っている歌人の服部真里子さん(38)は昨年10月、障害者と家族をテーマにした集いで「きょうだい児」の立場から講演しました。きょうだい児とは、障害や重い病気のある姉妹、兄弟がいる子ども。障害者差別などに感受性が高くなるからこそ自分を出さなくなりがちな、きょうだい児の秘めた思いを、表現にたけた歌人として代弁する形で東京すくすくにも、自らの体験も交え語ってくれました。
教会で行われた服部さんの発題(講演・問題提起)テーマは「きょうだい児に生まれて、よかった?」でした。「きょうだい児は、存在や苦しみになかなかスポットライトが当たらないというか、言葉に今まで耳を傾けてもらえない立場にあったから、招いてもらえてうれしい」と感謝を述べて、話し始めました。
この記事は連載の初回です。

服部真里子さん(山本哲正撮影)
服部さんは1987年、横浜市で生まれました。早稲田大に進学し、短歌の世界へ。第1歌集「行け広野へと」(2014年、本阿弥書店)では第21回日本歌人クラブ新人賞、第59回現代歌人協会賞を受賞しました。第2歌集は「遠くの敵や硝子を」(18年、書肆侃侃房(しょしかんかんぼう)。ここに収録された「水仙と盗聴、わたしが傾くとわたしを巡るわずかなる水」は、分かるか、分からないかの論争も注目を集めました。
服部さんが参加した集会は、東京都杉並区の日本聖公会 聖マーガレット教会で「障がいを負う人々・子どもたちと共に歩むネットワーク」が主催した「東京・障害がい者問題を考える集い」。ここでの話をベースに、補足取材を加味して紹介します。
今現在は「よかった」ほうに入る
私は、父、母、姉と私の4人家族で育ちました。8つ年の離れた姉は全盲で、重度の知的障害があります。つまり私は、きょうだい児です。
「きょうだい児に生まれて、よかった?」。この答えは人によって違うと思います。私は今現在の時点では「よかった」方に入るでしょうか。でもこれはおそらく、現時点で私がある程度幸せな人生を送っているからにすぎないと思います。今後、人間関係がうまくいかない、詐欺に遭う、タンスの角に足の小指をぶつけるなどの不幸に見舞われたら途端に、「きょうだい児に生まれないほうがよかった」と言い出す可能性は十分にあります。そのへん私の人間性がなかなかクズいもので。
とはいえ、それなりにアップダウンのある人生の中で、ある程度変わらなかった私の感覚では「障害児のきょうだいに生まれたことは、よかった。ただし、障害児の親の子どもに生まれたことは、なかなかしんどかったことがある」といったところです。振り返ってみると、私も摂食障害、不登校をやっていまして、それなりにしんどかったんだなあと思いました。

人には「健常者」になる瞬間がある
障害には先天性と後天性とがあります。生まれた時からある障害を先天性、生きていく途中で負った障害を後天性と呼びます。私の姉は、知的障害は先天性、視覚障害は後天性です。では、「健常者になる」のはいつですか?「生まれたときから健常者だよ」と思う人もいるかもしれません。でも私は、健常者には健常者に「なる」瞬間があると思います。
それは、自分が「障害者ではない」と気づいた瞬間です。多くの人にとって、それは初めて障害者に出会った瞬間。人生のある時点で、障害者と呼ばれる存在を目の当たりにし、彼らと自分の違いに気づき、自分が健常者なのだと気づく。その意味で、多くの人は後天性の健常者といえます。
私はずっと姉のそばにいて、いろんな障害のある人に子どものころから出会ってきました。先天性の障害者に、後天性の障害者にはないさまざまなご苦労があるのは言うまでもありませんが、後天性の障害者にも先天性の障害者にはないご苦労があると聞きます。そのご苦労の一つに、ご自身の障害を受け入れることがあると思います。

生まれたときからある障害なら、障害を前提として人生のあらゆる問題に対策を練っていくことができます。ところが、後天性の障害では、対策を練るためにはまず、障害によって今までできていたことができなくなるという事実を受け入れるところから始めないといけません。多くの人にとっては大きな苦痛が伴い、時間を必要とする場合もあるかもしれません。
後天性の健常者にも、同じことが言えるのではないでしょうか。後天性の健常者は、職場の同僚として、あるいは私の両親のように親としてある日、障害者に出会います。障害者は自分と比べて、できないこともいろいろあり、ケアが必要です。車椅子の人には、職場や家にスロープを設けなくてはならない。言葉によるコミュニケーションが難しいなら、手話や文字起こしなどいろんなケアが必要になってくる。これまで割いていなかった労力を割くことになります。
これが、後天性の健常者と障害者の間に、あつれきが生まれる理由だと思うのです。後天性の健常者にしてみれば、障害者は後から自分たちの社会に入ってきた侵入者に見えてしまう。これまで割く必要のなかった労力を、新たに障害者のために割かなくてはならない。すると、自分たちの権利が奪われた、自分たちが圧迫された、という感覚が生まれます。だから、「むしろ、自分たち健常者の方が弱者だ」などと言い出すわけです。
障害者のいる前提の世界に生まれ落ちた
でも私は、そこが違うのです。私は次女で、障害者である姉のいる家庭に、後から生まれました。人生の途中で障害者に出会ったのではなく、そもそも障害者のいる前提の世界に生まれ落ちた、いわば先天性の健常者。姉にしてみれば、健常者である私の方が、後から自分たちの社会に入ってきた侵入者なのです。だから私は、職場で、国会で、スロープのないお店の入り口で、手話通訳や文字起こしのないイベント会場で、「障害者を受け入れるべきか」と議論している健常者たちを見ると、首をかしげてしまうのです。「いや、受け入れるも何も、障害者はもともとそこにいるじゃないか」と。
私が「障害児のきょうだいとして生まれてよかった」と思う理由はこれです。障害者の存在価値がどうこうとか、本当に考えたこともないんです。だって、私にとって姉は、初めから障害を含めて姉だったから。なぜ、障害の有無が人間の存在価値と結びつくのか、本気で分からないです。そういう前提で生まれ落ちているので。これが本当にラッキーなこと。なので私は本当に「きょうだい児に生まれて、それはよかったな」と。当たり前に生きていける。
健常者が「障害者は社会の負担になる」と思っているなら、それは健常者が「社会だ」と思っている範囲が狭すぎるのです。「奪われた」のではなく、そもそも割くべきリソースを割いていなかったのです。障害者が健常者の負担になるというのは、障害者の存在を前提としてこなかった社会の設計ミス。負担を、障害者とその周囲の個人のみに押しつけるのではなく、そもそも障害者が「負担」にならないように、社会そのものを設計し直すべきなのです。

服部真里子さん
「私たち」を障害者まで広げて
この社会に電車や道路があるのは、私たちが何十キロも歩けない生き物であることを前提に設計されているからです。だから私たちは、誰の負担にもならず長距離を移動できたにすぎないのです。この「私たち」の範疇(はんちゅう)が、ちゃんと障害者まで広がるといいなと思っています。いいなというか、当然のことですよね。理不尽なこととかあれば、社会の方を変えようとしたい。私はこの社会を「私が生まれる前よりも生まれた後の方がよい」ところにしたい。
よく、女性問題というのも「いや、男性問題だ」と私はいつも思うけれど、これも障害者問題というよりは健常者の側の問題だよなと思います。社会ってそもそも障害者たちを含んだものであるのが私にとっては当然のこと。「なのになんで」という思いがあり、健常者の側の責任として「変えていきたいよな」と常に思っています。

服部さんは、ここで冗談めかして「うちのきょうだい児にも、私のように障害者の味方になってくれる子に育ってくれたら、と思ってくれました?」と参加者に尋ねました。「その方法をお伝えします」と、きょうだい児の願いへ話をつなげます。
服部真里子(はっとり・まりこ)
1987年、横浜市生まれ。現在は、NHK文化センター青山教室の短歌講座「こんにちは短歌」「おはよう短歌」の講師を務める。2025年12月24日に「あなたとわたしの短歌教室」(山川出版社)を刊行した。

歌人の服部真里子さんが語る「きょうだい児の思い」
【上】きょうだい児に生まれて、よかった?(このページ)
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