亡くなる3日前まで「同じ境遇の誰かのために」 キャンサーペアレンツ発起人・西口洋平さんに学んだこと

神谷円香
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今年2月にインタビューした時の西口さん

 子どものいるがん患者で交流し、がんへの理解を広めていこうと活動する一般社団法人「キャンサーペアレンツ」の発起人、西口洋平さんが5月8日に亡くなった。享年40。ステージ4の胆管がんと診断されてから、5年3カ月後だった。

同世代で悩みを共有できるコミュニティー

 初めて会ったのは2016年の秋。自ら「取材してください」と依頼を送ってくれた西口さんは、末期といわれるがん患者とは思えない、働き盛りの元気な男性に見えた。

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2017年2月、勤務先の会社が開いたセミナーでがんと就労について語る西口さん

 その1年半前、がん告知を受け、もう手術はできない状態。一人娘がいて、人生これからの時に、なぜ―。同世代で悩みを共有できる人は周りにいなかった。そこで立ち上げたのが「キャンサーペアレンツ」。オンラインのコミュニティーでがん患者が悩みを共有し合う場だ。

小林麻央さんが亡くなり、大きなショック

 子どもを持つがん患者でつながろう。このフレーズには正直、やっかみも覚えた。その時の私は31歳の独身で、欲しくても子どもはいない。「病気になるまでは、ベンチャー気質の企業でばりばり働いていた」という西口さん。家庭も築き、周りの人たちに惜しんでもらえる、いい人生じゃないか、と。

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2017年6月のイベントで、キャンサーペアレンツの事業の方針を語る西口さん(右)

  「末期がんだから働けない、と思わないでほしい」「社会とのつながりが無くなると生きがいを失う」。西口さんが参加した、がん患者が意見を交わすイベントなども取材し、当事者が直面する課題を学んでいった。無知だったな、と痛感した。フリーアナウンサーの小林麻央さんが幼い子を残して乳がんで亡くなった時、西口さんは大きなショックを受けていた。「いつ自分も」との恐怖は常にあっただろう。

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活動が広まり絵本を出版。2019年1月には華やかなパーティーも開いた。ひな壇横で司会を務めた西口さん(左端)

「その時が来るのは怖いですか」の問いに…

 最後に会ったのは今年2月。キャンサーペアレンツの今後を考え「自分がいなくても続いていくように」と、協力してくれる人材を増やす説明会を開くとのことで、東京都内のレンタルオフィスで1時間話した。告知からちょうど5年。もうあまり食べられなくなっており、明らかにやせていた。

 「いなくても」はすなわち、近く自分が死んだ後にも、を意味した。淡々と団体の現状を話すのを、どんな表情で聞けばいいか分からなかった。仕事として、こちらも淡々と質問した。でも最後、尋ねてしまった。「その時が来るのは怖いですか」。西口さんはあいまいに笑って、「うーん、怖いというか、今、体の痛みがつらいから、それが嫌ですよね」。その後、ツイッターには時折、弱音もあった。でも、亡くなる3日前にも、初めて開催した会員同士のオンラインイベントに顔を出し「みんなでつくっていってください」と呼び掛けたという。

 「このコミュニティーを必要とする人はこれからもいる」と、最後まで、同じ境遇の誰かのためを思い活動を続けたことに頭が下がる。私もそんなふうに生きられるだろうか、と、やはり少しやっかむ。西口さん、多くを学ばせてくれてありがとうございました。

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  • きいちゃん says:

    主人が幾ばくもない今の心境が辛くて辛くて、この痛みを和らげたくパソコンを見ていたら、キャンサーペアレンツの西口さんの記事に遭遇しました。どんな思いで日々過ごされていたのでしょうか。それを考えるだけで気の毒でなりません。現在、主人はすい臓がんの手術を2年前に終え、その後もリンパ腫や質の悪い前立腺がんなど患い、1日の内殆どは横になっていますが、車が大好きで体調が安定している日には稀に運転もします。既に医師からは、1年か2年か3年か、、と2年前に宣告されています。徐々に衰えていく姿を見ながら、美味しい食事を作ることしかできない自分が情けなく。心が張り裂けそうになり、同じ思いをしている人と会話ができたら・・と。苦しいですね。

    きいちゃん 女性 60代
  • 匿名 says:

    33歳で胃癌になって、9年。西口さんの存在を知っていたら、違う時間が過ごせたかもしれません。
    でも、つい先日永眠されたなんて…。
    このタイミングでの出逢いでも、何かできることがあるのかもしれないと思えました。
    今はまず、ご冥福をお祈りさせていただきます。

      
  • 匿名 says:

    有難う。最後まで強く生きる姿、感動。感心!とてもまねはできない。亡き後のことを続けてくださいと。この記事を読んでとてもこんなに強く生きることはできない。感心しました。
    まーじゃんで世間をさわがせた公務員や記者さんの常識など大変、ショックでした。立派にいきる日本人!頼もしい!合掌。

      
  • 匿名 says:

    誰にも起こりうる病気であり自分で選ぶことはできない。だとすれば、何ができるか考えた生き方と思う。
    コロナがその命の長さを短くしてしまったと思うとまた巡り合わせが辛い。
    残された家族や支えてこられた方々に心よりお悔やみを申し上げ、遺志を継いで各々のできることを問い、親亡き後の子どもへの周りのサポートが本人の願いに沿ったものであります様に。

      
  • 匿名 says:

    母が一年前に膵臓癌で亡くなりました。
    治療しなければ3ヶ月、治療して1年と宣告され、抗がん剤治療をうけ1年4ヶ月後に旅立ちました。治療内容の選択。苦痛の緩和や心のサポート。治療に限界が来てからの過ごし方。最期の時をどう迎えるのかまでを考え、緩和ケアに入院するか自宅療養していくか。わからないながらに最善を探りながら決断していかなければならない日々は、母だけでなく家族もとても不安が多く悩みはつきませんでした。闘病している本人には普段通りできる限り明るく接し、最期まで希望を失わせたくない。良い人生だった、幸せだったと思って逝かせてあげたい。
    家族が癌患者になって初めて体験することが多かった中、西口さんの活動は患者さんやご家族の大きな力になっているのだろうと感じながら記事を読ませて頂きました。素晴らしい活動が続いて行くことを心よりお祈りしています。

      
  • 匿名 says:

    自分の余命がわかったあとに自分と同じ方々のために、活動し続けた西口さんのご冥福をこころから祈ります。
    私は、昨年の9月に22歳の娘をがんで亡くした母親です。病気がわかった時には余命1年と告知されましたが、そんなはずがないと、治療を続けました。娘は、心臓に悪性腫瘍ができ脊椎に転移し、下肢麻痺になり寝たきりになりました。が、治療とリハビリで半年で少し歩けるようになりましたが、肺に転移し病気がわかって1年3ヶ月で天にめされました。病気のことは話しましたが余命については伝えることができませんでした。良くなって学校に行く、留学もしたいと言ってましたが叶いませんでした。
    私や家族は、良くなるといい続けることで、不安、苦しみ、辛さ、悲しみに耐えるしかなかった。でも、娘は、どうだったかと思うといたたまれなく発狂しそうになります。亡くなって8ヶ月たちますが、娘のいない空虚感、苦しみ、悲しみは、なにをしてもかわりません。私は、まだまだなぜ、自分が生きているのか、いなくなった娘を感んじたくて、模索しています。
    西口さんが命の限り活動を続けたことは、残された家族の方にとっても生きる力となるのでは、西口さんの悲しみ苦しみ勇気が、これからも皆様の活動の源になりますようにお祈りいたします。

      
  • 匿名 says:

    手術後、抗がん剤治療をするか悩んでいた時に、看護師さんから紹介され隣の診察室で一度だけお会いしました。あれから1年余り、記事で西口さんの訃報を知り、まさかと言葉を失いました。

    奥様・お子様のこと、職場でのこと、食事制限や定期的な抗がん剤のこと、キャンサーペアレンツの方々の話、色々と聞かせていただき、当時の私にはとても励みになりました。今思い返せば、私の悩みなど西口さんから見たら聞きたくもないぐらい、しょうもない悩みだったろうと思います。選択肢があるのですから。。

    こちらはお陰様で元気にしています。選択肢がある事の有難さ、今後どう生きたいか、あらためて色々と考えてみます。貴重な時間、一瞬でも関わってくださり、本当にありがとうございました。

    長くなりましたが、お疲れ様です。ゆっくりお休み下さい。

      
  • 匿名 says:

    子を持つ癌患者のために、人生を捧げた西口様、とっても素晴らしいと思います。西口様のご意向どおりに、この活動が、続いてゆきますようにと、思います。

      
  • 匿名 says:

    キャンサーペアレンツを創ろうと決めた当初からずっと自分がいなくても続くものにしたいと言われてました。
    今思えば、命のバトンを初めから意識していたのだと思います。

    ぎゅっと詰まった素敵な記事を有難うございます。

      
  • 匿名 says:

    ひとは誰でも死ぬことになっています。
    癌は交通事故や自殺と違い、いつ頃か大体分かると思われます。
    母が胃がんの再発なった時、もう1年あるかないかと理解しました。
    毎月、大阪、福岡間を必ず黙って帰り、ウォーキング、食事、お見舞い、病院の愚痴など付き合いました。
    初めは自力で歩いてましたが、杖を使う様になり、そして車椅子になり、その後は病室のベッドから動けなくなりました。
    親孝行は出来ませんでしたが、私なりに母の時間に付き合ったつもりです。

    いま、私が癌に罹患したら西口さんのように幼い子ども、家族をどうしたら良いか途方に暮れます。
    今後のことを考えさせられました。

      

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