〈坂本美雨さんの子育て日記〉19・娘を知り、自分を知る
「かぞくのうた」
去年「かぞくのうた」という曲の中で「あなたと話したい/わかりあえずにいたとしても/ただともに優しい時を/すごせたら/それだけで」という歌詞を書いた。
自分の環境を含め、周りの母と娘の関係性を見たり聞いたりするうち、親と子が分かり合えずにいても、穏やかな時間が流れているならいいではないかと思い始めた。そもそも分かり合うとはどういうことか。母の本当の心の内は理解できていないだろうし、私自身もきっと一生全てをさらけ出すことはない。それよりも、笑い合って、少しでもいい時間を積み重ねたい。
そのくせに娘に対しては知りたがりの自分がいる。彼女がどういう人間なのか隅々まで知りたい。どんな人生を送っていくのか。あぁ全部、全部、見ていたい。自分でも、うっとうしいくらいだ。
数日前、私は大泣きした。35歳で娘を産んだので、彼女が35歳のとき、もう70歳だ。娘50歳、私85歳。娘60歳、私95歳。娘がおばあちゃんになって寿命を全うする姿をきっと私は見られないんだ、とがくぜんとし、涙があふれた。長生きしてほしい、そして娘がおばあちゃんになってどんな人生になったのかを終わりまで全部見たい。そのためには、いったい私は何歳まで生きればいいのだろう…。
好きっていう言葉
最近、娘は「ママだぁいすき」と言ってくれるようになった。「ママのほうが好き~」「○○ちゃんのほうが好き~」と言い合い、付き合いたてのカップル以上のイチャイチャである。が、しかし。だぁいすき、にもいろいろな種類が出始めた。先日、何かで私に怒られそうになったのを察してすかさず娘が「ママ、だいすきー」と言ったことがあった。先手を打つ形で。ほぅ、そうきたか、と思った。私は彼女へ「あのさ、好きっていうのは、本当にそう思ったときに言うんだよ。不安になったからって言うのはよくないよ」と言った。その声に自分でハッとした。
彼女に向けて発した言葉が、自分に対しての言葉のように響いた。好きっていう言葉を、別の用途で使ってはいけない。でも反対に、本当に思ったのなら伝えなきゃいけない。そう思っていたのか。
こうして、娘というフィルターを通して、自分の生き方やルールを発見することがある。彼女と知り合っていくのは、自分を発見すること。(ミュージシャン)
なるほど!
グッときた
もやもや...
もっと
知りたい