脳性まひの息子の日常つづる「歓多新聞」12年続けた両親の思い 医療的ケア児への理解と支援を
「もう笑っちゃいけない」と思ったけれど
歓多さんは、夫妻が結婚14年目に授かった。出産予定日直前の健診で、赤ちゃんの心音低下が判明。緊急の帝王切開の末、仮死状態で生まれ、別の医療機関の新生児集中治療室(NICU)に運ばれた。退院は2カ月後だった。
「健康に産んであげたかった」と自分を責め、「もう二度と笑っちゃいけないと思った」と賀代子さん。だが、目の前の小さな命に向き合う中で、成長と家族を支える医療・福祉分野の支援があることを知った。「歓多と一緒に何だってできるじゃん、と思えるようになった」と振り返る。
計190号 たくさんの人に愛された証拠
支えてくれる友人らにも歓多さんの様子を分かりやすく伝えようと、新聞作りを発案し、2010年4月に第1号を発行。A4サイズの紙に手書きで、障害児施設に入園した1歳半の歓多さんの様子とともに「(好きなものは)バナナ、はみがき、ひなたぼっこ」などと紹介した。
以来、夫妻が「書きたいときに書く」という不定期発行で、歓多さんの成長と家族の思い出を書き留めてきた。先月に最新の190号を発行。毎回、原本をカラーコピーして知人や利用施設の関係者らに配っており、これまでの読者数は約200人に上る。
入退院が続いた日々や、胃ろうの手術や食事の苦労を伝えた号も。沖縄やハワイへの家族旅行は、航空会社とのやりとりなど、事前にどんな準備をしたかも記した。笑顔の写真が紙面を彩るが、その裏には諦めや悔しい思いもある。賀代子さんは「歓多がたくさんの人に愛され、お世話になりながら前向きに生きている記録。紙面は明るくと心掛けています」と話す。
主治医も愛読「親の願いをかなえたい」
主治医で大同病院(名古屋市南区)の水野美穂子・大同こども総合医療センター長(62)も愛読者の1人だ。「歓多君との毎日に全力で向き合うご両親から受けた刺激は大きい」。同県東海市に今秋開所する重症心身障害児者施設「にじいろのいえ」で施設長を務める予定で、「太陽の下で遊ばせたい、おいしいものも食べさせたいっていう、親の当たり前の願いをかなえたいという思いが強くなった」と話す。
歓多さんはこの春、特別支援学校の中学部2年に進級した。「家族でやりたいこと、行きたい場所がたくさんある」と、夫妻は日々計画を練る。「歓多は『いつまでも親のわがままに振り回されちゃかなわない』って思ってるかも」と顔を見合わせ、笑う。
昨年9月に「医療的ケア児支援法」が施行されるなど、制度も少しずつ整う。「医療的ケアを受ける子どもたちは決して特殊な存在じゃない。ただ、他の子よりも困り事が多い。周囲の人に少しずつ手伝ってもらえると、すごく生きやすくなる」と賀代子さん。理解と支援の輪の広がりを願い、ありふれた幸せと歓(よろこ)びのある家族の日々を発信し続ける。歓多新聞の問い合わせはメール=4946kanta@gmail.com=で受け付けている。
なるほど!
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知りたい
私も、脳性麻痺、重度てんかんを持つ子どもが居ます。
障害が有るから解る、泣ける、笑える。一緒に色々な面で成長しました。
かけがえのない私の人生だと思います。