私は子どもに向き合えているだろうか 大人の受け止め方ひとつで

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ワークショップで子どもたちの意見に耳を傾ける齋藤美保さん(木口慎子撮影)

自分は本当に子どもに向き合えているだろうか。

「宿題やった?」「歯みがいた?」「明日のランドセルの準備した?」

家で小学3年生の息子にかける言葉は、どうしても“確認”が多くなる。学校のことを尋ねても「ふつう」「忘れちゃった」と返されることが多い。

親子でくだらない話をして、腹を抱えて笑っているのを見るとうれしいけれど、子どもが何をどう感じているかをちゃんと理解できているのかと言われると自信はない。

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先日「キリン先生」のワークショップを取材した。

みんながよく知る動物でも、実はわかっていないことは多いという。イルカは仲間を左のヒレでなでる。なぜ右じゃないのか、まだ解明されていないそうだ。

キリンの場合、例えばツノ。頭を振り回してけんかするオスだけでなく、あまりけんかしないメスや子どもにもある理由はわかっていない。

そうした「なぜ」に小学生が仮説を立ててみる、というワークショップだった。(詳しいレポートはこちらです)

「キリンはほとんど声を出さない。なぜだろう?」

このお題に、子どもたちからたくさんの仮説が出た。

  • 敵から居場所をわからなくするため
  • 目で合図しているから
  • ベロが長くてしゃべりづらいから
  • 声を出すのがめんどくさいから

などなど。

タンザニアで研究を続けている「キリン先生」こと京都大学大学院 アジア・アフリカ地域研究研究科の齋藤美保助教は、一つ一つ「ありえると思います」と受け止めて、調べるならどんな方法が考えられるか、真剣に解説していった。

私は「めんどくさい」のシンプルさに思わずぷぷっと笑ってしまった。子どもらしくて、かわいいなぁ。

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終了後、齋藤さんに感想などを取材した。

―今日、子どもたちから出た意見の中で、これは意外だな、おもしろいな、と思ったものはありましたか?

「声を出すのはめんどくさい、です」

私は「えっ」と言いそうになった。私が笑ってしまったあの仮説が?

「その子に聞いたら『自分はめんどくさい時がある』って言っていたんです。私の勝手な想像ですが、キリンと人間でも共通する部分がある、という考えがあっての仮説かな、と。キリンと私は別、キリンと人間は別、という考えだと『めんどくさい』にはならないような…」

「そういう二項対立的な考え方は良くない、と今、いろんな研究分野で言われていて、『もっと一つになって考えよう』みたいな流れがある中で、自分の気持ちをキリンもきっと感じる時があるんだ、って考えて導き出された答えがおもしろいなと思いました」

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笑われるのではなく、そんなふうに認めてもらえるのなら、どんなにうれしいだろう。子どもは自分を表現することへの自信が、自然についていくはずだ。

ワークショップの最後、子どもたちに「修了証」が授与された。齋藤さんはひざをついて、子どもの目線よりさらに低いところから目を合わせて、手渡していた。

子どもに誠実に向き合う姿勢は、言葉にもふるまいにも表れるのだと思う。

私は宿題や歯みがきの進捗確認に必死になって、子どもが発しているものを次から次へと見落としているのかもしれない。そう突きつけられた気がした。

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