学校プールの管理は教員の業務なのか 高まる市民の問題意識 賠償請求した川崎市に抗議殺到
半額の約95万円を教諭と校長に
川崎市教委によると、5月17日午前11時ごろ、市立小の男性教諭が屋上プールのスイッチを操作し、注水を始めた。しかし、直後にろ過装置の誤作動を知らせる警報音が鳴ったため、それを止めようと教諭はブレーカーを落とした。
同日午後5時ごろ、教諭は注水スイッチを切ったつもりだったが、ブレーカーが落ちたままで機能せず、そのまま注水が続いた。5日後の22日に用務員が気付いて水を止めた。
川崎市教委は、流出した水は約220万リットル(25メートルプール6杯分)で、損失となる上下水道料金を約190万円と計上。8月8日、半額相当額の約95万円を教諭と校長に請求した。
過去の事例「5~8割」の判断も
神奈川県内ではプールの流出事故が、2018年に綾瀬市、2021年に横須賀市で発生し、それぞれミスした教員らに損害の半額を請求。同様の事件を扱った1997年や2017年の東京地裁判決では、損害の5~8割の請求が妥当と判断している。市教委はこうした事例を参照し、請求額などを決めた。
川崎市教委は、ブレーカーを独断で落としたことを重く見て「うっかりミスとは言えない」と指摘。校長については、プール注水の手順書を十分に整えていなかった責任があるとしている。
「教員のなり手がいなくなる」
ところが、8月10日に報道発表したところ、電話やメールで「個人に多額の損害の賠償を請求するのは酷だ」「教員のなり手がいなくなる」などの抗議が相次いだ。
福田紀彦市長は同28日の定例会見で、賠償請求について「妥当な線」との見解を示したが、その後も「電話が鳴りやまず、職員総出で対応する状態だった」(担当者)。9月5日までに受けた電話やメールは530件。X(旧ツイッター)では「ヒューマンエラーを個人に請求するのはあり得ない」「プールの水を張るのは教師の仕事なのか」などの投稿が続いている。
弁護士団体も教職員組合も反応
教諭らは教職員向けの損害賠償責任保険などには未加入だった。
弁護士団体「自由法曹団」神奈川支部は9月6日、「一労働者に過ぎない教員に対してあまりにも過重な負担を押し付ける」などとして請求の撤回を求める声明を発表。川崎市教職員組合は「教職員の労働環境の改善などを市教委に申し入れる」としている。
「当たり前」への違和感が広がっている
◇教員の労働環境を研究する名古屋大の内田良教授(教育社会学)の話
教員への賠償請求について批判が続く背景には、単純に誰が賠償責任を負うべきかという点だけでなく、教員の業務とは何かを問う空気が学校の内外で高まっていることがあると感じる。
教員がプールの施設管理や水質管理をするのが当たり前ととらえられてきたが、そもそも教員が担う仕事なのか、という感覚を持つ人が増えている。予算面や教員の負担の観点から、施設維持のコストを考え、水泳学習の民間委託を進める自治体も出ているくらいだ。
かつては、本来の勤務時間外にただ働きでプールの管理などをすることが当たり前ととらえられてきたかもしれないが、「それって先生がやる仕事なの?」という疑問は教員以外の市民からも上がっており、個人が高額の賠償を負うことへの違和感が広がっているのではないか。
法的な観点で検討すれば、現状では先生が一部賠償を負担するということになるかもしれないが、お金の問題だけに矮小化せず、今回の問題を教員の働き方の改善につながる根本的な議論を深める機会にすべきだ。
なるほど!
グッときた
もやもや...
もっと
知りたい
今更ではあるが、水道局の見解も聞いてみたい。
私は、本件が本欄で紹介された時に「水道局は(慣例的に好意で)学校のような大口のユーザーには使用量に注意を促すのではないか」と反射的に思ったからである。本件のように人間が間違えるリスクは常にある。ルール上は、水道局に連絡の義務はないのだろうが、1本「水が出しっぱなしなのでは?!」電話を学校に入れていたら、と思うのだ(甘いか?)。ルールでガチガチに縛るのは好ましくないが、そのような配慮が無理なくできるのであれば、同様の出しっぱなし事件は防げるように考える。どこも人手不足で、夢のまた夢かもしれないが。
過去の事例・判例を参照したというのはそれだけでは理由にならない。職員の過失に対し賠償請求しなかった事例もあるしそうした事例は裁判にならないから判例もない。意図的に偏った事例を集めていないか。
税金で払うのは違うだろうと理解を求めているが、税金の特殊性を論じるなら民法を根拠にするのは何故か。公務員法の議論から逃げようとしていないか。
ブレーカーを落とすのはうっかりミスではないと主張しているが、警報を止める他の適切な手段の有無及びその認識について説明がない。そんなものは関係ないというのか、そうであるならば全教員に迅速かつ専門的な調査技能まで求めるつもりか、それとも子供に何時間も警報を聞かせ続けて怯えさせるのが正しいとでも言うつもりか。
マニュアルの紛失も聞かれるまで隠していたのは何故か、先の件も合わせ情報提供に恣意的なものを感じる。他にも重要な事を隠していないか。
地震や火災が起きれば状況によっては停電も起きる。その時子供の避難誘導を担う教員にプールを管理させることを前提とするならば電源喪失程度で流れっぱなしになるのは設計が甘くはないか。
何年も前に他自治体で類似事例が起きた時、川崎市には各学校の調査・改修を行う義務があったのではないか。設計や改修を職務とする教育委員会事務局は今回の責には問わないのか。
具体的な賠償請求額まで算定しているのに具体的な再発防止策の話はなぜしないのか。再教育だけでは自治体全体としての予防策にはならないのは前例が複数ある時点で明らかではないのか。
まさかとは思うが、また起きても部下を生贄にすればいいなどと思ってはいまいか。
…このように、なんとでも言えます。誰かを責めるのは簡単です。今の教員の労働環境を考えればなおさらです。市長には責任どうこうの話の前に納得のいく再発防止策の話をしていただきたい。
働きやすい職場とはそういうものでしょう。
まずは北條・小林両氏のご尽力に感謝申し上げる。
さて、本件における責任の所在であるが、文科省のHPを覗いた限りでは、市教委にルール上の責任を負わせることは難しいようだ。私は校内人事の把握も教育委員会の仕事だと思っていたが、それは違うようである。そうであれば校長と事務長が不当な校内人事を該当教員に(結果的に)押し付けたことが問題なのではないか。繰り返すが、本来、プールの管理は教員の仕事とはなり得ない。無理を承知で(ないかもしれないが)引き受けた責任が問われるのはあまりに気の毒である。
一つ気になっているのは190万円の残り半分は誰が支払うのか?水道局に市から賠償されるのだろうか?それが明らかになると、また別の議論も必要になってくる可能性がある。まあ、「道義的」責任は全面的に市長並びに小田嶋教育長以下市教委にあることを一連のニュースは教えてくれた。「トカゲのしっぽ切り」は表現が過ぎるかもしれないが、何とか自らに降りかかってくる火の粉を避け、大事なことを隠蔽しようとしているように感じる。
内田教授の指摘する「教員の業務」であるが、これは既に申し上げたように明確である。プールの管理は教員の仕事ではない。校長が年度初めに該当教員に何を申し渡したのか知らないが、教員の逃げ場はなかったのか?それとも、この小学校では恒常的に教員の仕事にされていたのか?学校規模は全校805人(Wikipedia)であるから、昨今の情勢を鑑みると大規模校と言っても差し支えない。とすれば事務職員も5、6人配置されていてもおかしくない。教員が(責任を)負わなければいっぱいいっぱいの規模ではない。校長と事務長は何を考えていたのだろう?判断の基準を知りたいところだ。
私は他の自治体の教員であったが、改めて教育委員会という組織の無責任体質を感じる。できる限り責任を負いたくないものだから、議会で答弁者の氏名は(記事では)書かれていなかったし、今回の事故において「苦渋の決断」と発した担当者が誰なのかも判然としない。教育長の氏名も検索で漸く判明した。自分の仕事に後ろ暗い所が無いのなら、名前を晒しても良いのではないのか?