〈考える広場〉ネットに性情報が氾濫する今こそ…性教育はどうあるべきか
「知識を持てば自分を守れる」NPO法人ピルコン理事長 染矢明日香さん
活動のきっかけは、私自身が大学3年で思いがけない妊娠をした当事者だったことにあります。性教育は受けましたが、妊娠が自分にも起こるという実感を持てていなかった。とても戸惑い、困ったのです。中絶という選択をしましたが、それはやはり重いことで、性によって人生が左右されると感じました。
日本の中絶件数は年間約17万件。出生数の約6分の1です。誰もが妊娠の当事者になり得るのに、必要な知識を習っていない。一方で、今はネットで性情報が簡単に、そして際限なく手に入る。ネットでエッチな漫画を検索すると、人気のジャンルは性暴力物。これがセックスの教科書にされるのは危険です。きちんとした科学的な情報、相手を傷つけないような性の在り方を伝えることが必要と思い、ピルコンの活動を始めました。
性教育について「寝た子を起こすな」という意見があります。しかし、秋田県で2000年から、県教委と医師会が連携して中高校生向けに性教育を実施した結果、10年後には10代の中絶率が約3分の1になりました。性教育で性行動はより慎重になることも知られています。
中高校生向け講座では、自分たちのつらい経験談も交え、知識を持つことで自分を守ることができるし、産む産まないの選択の前に避妊の知識を持っていることが人生において大事だということを伝えます。性が単なる知識ではなく、身近に思ってもらえます。
保護者向けの講座もしています。日本では、親が子どもに対して性を語る言葉を持っていない。性的な行為をしていいか、悪いかではなく、幸・不幸の観点から恋愛や性をどう考えるかということを親子で話し合ってほしい。いろんな考え方や価値観があることを知ることは自分の人生を決めていく力にもなります。
私が妊娠を知らせた時に親は「産むにせよ、中絶するにせよ、あなたの味方でいるよ」と言ってくれました。中絶して「つらい」とこぼした時も「自分の選択にどれだけ前向きになれたかで、その価値は変わるよ」と。親が子に伝えることとして、知識はもちろん大事ですが、子に対して「支える存在でいるよ」と伝えることの大事さを実感しました。それは、自分が自分らしくあっていいという人生の根底につながると思います。(聞き手・大森雅弥)
◇染矢明日香(そめや・あすか) 1985年、石川県生まれ。慶応大卒。2007年にピルコン設立、13年に法人化。著書に『マンガでわかるオトコの子の「性」』(監修・村瀬幸浩、漫画・みすこそ、合同出版)。
「『性と生』の授業、生徒は支持する」大学・高校非常勤講師 水野哲夫さん
大学や高校で性教育の授業を担当しています。専門は国語で性教育とは無縁でしたが、30年ほど前、勤務していた私立高校の卒業生の一言に衝撃を受け、取り組むようになりました。
勤務校は当時、女子高で、生徒の性の問題に抑圧的でした。持ち物に避妊具があったら「不純異性交遊をしている」と考え、親を呼び、懲戒処分もちらつかせて交際をやめさせる。教師自身が性に対して「いやらしいこと」という貧困な発想しか持たず、生徒の意思もプライバシーも踏みにじっていました。
そんな中、優等生だったある卒業生を、後輩に向けて講演してもらうため、学校に招きました。終了後に開いた慰労会でのことです。その場にいる教員らに、卒業生が在学中の思いを訴えました。「友達に困ったことが起きても、学校に相談できなかった。先生たちの指導は、私たちを苦しめていた」。禁止するだけで必要な知識は教えず、頼れなかった-という指摘。ショックでしたが、向き合うきっかけになりました。
問題意識を持つ教員を中心に勉強会を重ね、「高校生の恋愛は制約せず、性交も否定しないが、大人、先輩としてアドバイスする」というスタンスを確認。主に1年生を対象にした総合科目「性と生」のカリキュラムを練り上げ、1996年度からスタートしました。私も2年後から加わり、ほかの教科とは違う、生徒の生き生きした反応に驚きました。
授業では、「性」は家族や友人、恋人など人間関係の根本に深くかかわるものととらえた上で、思春期の心と体の変化や避妊、性感染症、DV、性暴力、性の多様性、ジェンダーなど幅広いテーマについて、ビデオやクイズも織り交ぜ、学びます。
生徒は最初、興味や不安を隠して面倒くさそうにしたり、逆に「セックス」などの単語に過剰反応したりしますが、こちらが気負わず対話するうち真剣に考え始める。悩みの相談も増えました。年度末の感想文では、「最初はエロい授業だと思ったが、生きていく上ですごく大切なことだと分かった」などと支持する内容がほとんどです。
性を学ぶことで、他人も自分も大切にする生き方を学べます。子どもたちが豊かな人生を送れるように、人権を基本にした性教育が全国の学校に根付くことを願っています。(聞き手・柏崎智子)
◇水野哲夫(みずの・てつお) 1953年、長野県生まれ。98年に大東学園高校(東京都)で「性と生」の授業を開始。現在は非常勤で複数校を担当する。“人間と性”教育研究協議会(性教協)代表幹事。
「専門家による政策提案が必要です」専修大教授 広瀬裕子さん
性教育は、性行動や家族のあり方、避妊や中絶、ジェンダーなど、価値観と密接に関わる分野です。そのため、常に政治や宗教的対立のただ中に置かれます。それは世界中で共通です。
日本では1990年代ごろまで、性教育に注目する人は一部の専門家などに限られていました。ところが99年に男女共同参画社会基本法が制定されると、ジェンダーの平等が一気に政策の主流となった。その反動で2000年代、ジェンダー平等が行き過ぎであると主張する人々が「『ジェンダーフリー』の名のもと、過激な性教育、家族の否定教育が行われていることがわかった」などと主張。いわゆるバッシングを組織的に展開しました。
諸外国と同様、日本でも学校の性教育が「過激である」と批判する定番の構図がありました。90年代には教育学者の高橋史朗氏らが中心となり、性教育の授業実践に重点を置く全国規模の民間組織「“人間と性”教育研究協議会」を批判。05年には自民党で「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」(安倍晋三座長)が設立されました。
02年5月の衆院文部科学委員会では山谷えり子氏が、厚生労働省の関係団体が中学生向けに作成した副教材「ラブ&ボディBOOK」に避妊や中絶が具体的に書かれていると問題視。05年3月の参院予算委員会では、山谷氏による別の副教材への批判に、当時の小泉純一郎首相が「これはちょっとひどい」と同調し、ワイドショー的な話題となりました。
東京都日野市の都立七生養護学校(当時)では、障害児に対応した性教育を理由に教員が処分されました。ある面で、政治的対立のターゲットに性教育が使われた象徴ともいえます。
文部科学省の緊急調査では性教育への苦情はそれほど多くはなかった。数年は学校現場で性教育の積極的な実施が控えられましたが、学校が親への説明を丁寧にするなどの目配りもあり、今は性教育に対する組織的批判は大方収束しています。
学校での性教育の充実のためには、政策形成集団が必要です。資金や人材が求められるため道のりは困難ですが、性教育には多様な意見があることを念頭に、専門家が全国レベルで合意可能な政策方針や制度を構想し、政府に提案することが不可欠です。(聞き手・出田阿生)
◇広瀬裕子(ひろせ・ひろこ) 1955年、東京都生まれ。専門は教育行政学、セクシュアリティー論。著書に『イギリスの性教育政策史-自由化の影と国家「介入」』(勁草書房)など。
日本の性教育
学習指導要領によると、性教育の授業は小学校4年生から始まる。しかし、小中高を通じて性教育が実際にどのように行われているのかは、地域差があり、学校ごとの違いも大きい。性教育には教師だけでなく、医師、助産師、看護師らも関わる。学校と地域の連携、保護者への支援が必要との指摘もある。
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