詩人・作家の井戸川射子さん 大好きな祖父を忘れないために詩を書く それが私に自由をくれた
格好良くて、優しくて、おしゃれ
小さいころから本を読むのは好きでしたが、文章を書くのは全然好きじゃなかった。詩や小説を書き始めたのは遅くて、高校の国語教師になってから。詩を教えるのが難しく、自分で書いてみたら詩が分かるかなと思って書き始めました。同時に、高校3年の時に亡くなった祖父を忘れないために書きたいという思いも湧いてきたんです。
祖父のことが大好きでした。がっしりした体格で、格好いい、孫たちに優しくて。とてもおしゃれで、ダンヒルの財布、ハンティングワールドのボストンバッグ、太い指輪、外出時によく掛けていたサングラスが似合っていた。
地元は兵庫なので、小学1年の時に阪神大震災に遭いましたが、祖父は近くに住んでいたので毎日来てくれて安心できました。いろんな祖父の姿を思い出します。帰る時、いつも「握手」と言って握手する、その手の厚み。自転車で去って行く後ろ姿。
そんな祖父が病気になって弱っていったのはすごく悲しかった。その時、ぼんやりですが思ったんです。人って死んじゃえば思い出しか残らないんだ。その思い出だって、私たちは忘れていっちゃうんだろうなって。
でも書いておけば、思い出す助けにはなる。最初の詩作品「川をすくう手」は、祖父を思い出しながら書きました。病室を出て7階から階段を一気に駆け降りた時の「1階に着くまでに泣き終われば、誰にも気づかれない」という気持ちが今でもよみがえってくるようです。
子どもの誕生で「限界」を知って
書いたからといって、つらい気持ちがなくなったわけじゃない。今でもあの時のことを思い出して書いていると、新しい涙が出てきます。それでも、あの時が遠くなったから語れるようにはなった。そして書くことは私に自由をくれました。
私はめっちゃ「気遣い」なんです。それまでは何を書く時も、先生がどう思うかとか、誰かの目を意識していました。でも、詩だったら、自由に何を書いてもいい。何にでもなれる。実際、「川をすくう手」の語り手は「僕」。少年にしたんです。
その自由の限界を教えてくれたのは、祖父の死とは対照的な子どもという新しい生の誕生でした。妊娠中の気持ち悪さやつらさは妊娠するまで分からなかった。人って結局、自分が経てきたことしか分からないのかなって絶望的な気持ちになりました。自分の知らないこと、経験していないものに、自分は真に共感できているのかなって。
ということは、他人の経験や思いを当事者でもない自分は書けないことになってしまう。でも、そういう限界を設けたら、私が何よりも大事に思う自由ではなくなる。自分の中で書く必然性があれば書ききれる、それを目指して書き続けようと思っています。
井戸川射子(いどがわ・いこ)
1987年、兵庫県出身。2019年に詩集『する、されるユートピア』で中原中也賞。2021年、小説集『ここはとても速い川』で野間文芸新人賞。昨年、「この世の喜びよ」で芥川賞。先月、小説集『共に明るい』を出版した。初の長編小説「無形」を文芸誌「群像」に連載中。ほかに詩集『遠景』がある。
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