お笑い芸人 くまだまさしさん いじめを言い出せなかった反抗期 母はいつも「窓」を開けてくれていた

神谷慶 (2025年8月17日付 東京新聞朝刊)

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家族について話すお笑い芸人のくまだまさしさん(安江実撮影)

カット・家族のこと話そう

各界で活躍する著名人が家族との思い出深いエピーソードを語るコーナーです

母や姉に手を上げ…感情が爆発

 両親と姉3人、末っ子のぼく、という家庭で育ちました。「すいません」が口癖の母親は、駄じゃればかり言って、人前でもおならが出てしまう、楽しい人。中華料理店を営んでいた父親は仕事人間で、自分が生きてきた中でも父が作った以上の春巻きを食べたことがないくらい、腕は最高。だけど経営能力は最低で、家はかなり貧しくて、お風呂がなかったのでいつも銭湯に行っていました。

 中学に入って間もなく、銭湯帰りに学校の先輩と会い、仲良くなったのですが、いつの間にか使いっ走りになり、呼び出されて殴る蹴るの暴行を受けるようになりました。背中にエルボーされて10日間くらい消えなかった痛みは、今も覚えています。お金も取られ続け、家族の財布やお店のレジから盗んで渡していました。地獄の日々でした。

 「おかしい」と親も思っていたはずです。でも、反抗期で、格好悪くて話せなかった。ぼくも荒れ始め、今は本当にひどかったと思っているんですけど、母や姉に手を上げるようになりました。

 夏休みが始まったくらいの頃、「なんでそんなにお金が必要なんだ」と聞く母にまた手を上げると、感情が突然爆発して、「『金を集めろ』と言われてるんだ。俺だってつらいんだよ」と、涙ながらに打ち明けました。母は、割れたお皿を片付けながら、驚いた様子も見せず、平静を装いずっと話を聞いていました。

父はいじめた先輩を怒らなかった

 すぐ両親は動きました。3人で学校に行って相談すると、先生たちもすごく親身に対応してくれて。いじめていた先輩全員が、ぼくや、同じようにいじめられていた同級生たちの家に行って謝罪し、いじめはなくなりました。

 「許さない」と怒る親御さんもいた。でも、一番被害を受けたぼくの父は「長い目で見たら良い経験になる」と、決して怒らなかった。その考え方のおかげで「謝ってくれたなら、それでおしまい」と前向きになれました。ぼくの妻と、高校生の娘もそうなのですが、ぼくがつらい時、一緒に落ち込まない態度を取ってくれることが、ぼくにとっては大きな救いなんです。

 思春期の子どもって、どんな時に悩みを打ち明けるか分からないから、母は僕に対する窓をいつも開けていてくれたと思います。家が狭かったからかもしれませんが。ぼくも娘に「何かあったら、一人で答えを出そうとせず絶対に話してね」と言っています。

 父は30年近く前に、母は去年の8月16日に亡くなりました。人を楽しませ、できることなら助け、感謝し、嫌な経験も前向きに捉える-。親から学んだことを娘にも伝えていきたいです。母が亡くなった後、黒いチョウが、一緒にエレベーターに乗ろうとしてきたことがありました。どこの舞台でも「スベり知らず」のぼくを、いつでも見守ってくれていると思っています。

くまだまさし

 1973年生まれ、東京都荒川区出身。96年、吉本興業の養成所「NSC東京」に2期生として入学し、翌年デビュー。小道具を使ったネタを武器にテレビのバラエティー番組で人気を博し、現在は劇場やイベント出演を合わせ年500ステージをこなす。自宅のある墨田区から任命され、「すみだお笑いアンバサダー」を2023年から務める。

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