劇作家・俳優 土田英生さん 母の不条理な愉快さ 社会への問題意識は父から 二人の影響は演劇づくりの財産

家族について話す劇作家で俳優の土田英生さん(坂本亜由理撮影)

各界で活躍する著名人が家族との思い出深いエピーソードを語るコーナーです
仕送りの食料はマヨネーズやジャムばかり
母親はよくしゃべり、父親はどちらかというと静か、という両親の元で育ちました。
母親は割とふざける人でした。テニスラケットを手に「ウィンブルドン」と唱えて踊ったり、道を歩いている時に電柱を指さして「危ない! 電がチューッとしている」と叫んだり。ちょっと不条理系。そんな母親に面白いと思ってもらおうと、僕もおしゃべりになった気がします。
故郷の愛知から京都の大学に進み、学生劇団で演劇を始め、4年生の頭で大学をやめて「役者になる」と東京へ行き、1年で挫折し京都へ戻り、今の劇団をつくりました。中退に反対していた母親が「やめたことを人に言うな。それだけは頼む」と言うもんだから親戚から卒業祝いをもらっちゃって。困りました。
毎年公演を続けたけれど、お客さんは増えず赤字で、借金がかさむばかり。バイトも続かず、母親によく「1万円振り込んで」と電話していました。実家から食料が送られてきても、マヨネーズやジャムばかりで、つけて食べる物がない。宇宙食みたいにそのまま吸ったりしていました。
「いいかげん諦めたら」と母親から言われるたび「来年にはちょっと変わりそうなんだよね」と、根拠のない答えを繰り返していました。「一生、こうかもな」と思いながら。ようやく、29歳でバイトせず生活できるようになり、30代から忙しくなりました。
世の中をうまく渡るよりやりたいことを
脚本を書く時は「何か愉快なことを」というところから出発します。恐らくそれは母親の影響。でも、深く掘っていくといつも、「笑ってるだけじゃすまない、真面目なもの」に突き当たる。愉快さの中に、社会に対する問題意識のようなものが、自然な形で頭をもたげてくる。それは、父親の影響だと思うんです。母親の愉快さとともに、演劇をつくる上で、僕がいただいた一番の財産かもしれません。
父親は朝鮮半島からの引き揚げを体験した人。差別的な言動にすごく敏感で、人の悪口を言わず、分け隔てなく接する人でした。枕木に打ち込む割れ止めリングを作る小さな工場の経営者で、いつも作業着姿。「鶏口となるも牛後となるなかれ」ということわざを教えてくれたことがありました。故郷を離れ小さな劇団を続ける僕のことを一切否定せず、「世の中をうまく渡るよりやりたいことをやれ」と、ただ黙って応援し続けてくれていたのだと思います。
家族みんな犬が好きで、引き取り手のない犬を父親がもらってきたりして、実家には多い時で犬が5匹いました。夕方、必ず散歩に行き、僕は父親の後をついて歩く。道の脇に土手があるので、そこに登り「僕の方が背が高い」と父親に向かって言う。「背を抜かれたら何でも好きな物を食わしてやる」って約束してくれたから、毎日、そう言っていました。
幸い今も母親はよくしゃべるし父親も元気。僕は京都と東京を行ったり来たりして仕事しています。できるだけ名古屋駅で降り、犬の話でもしに帰りたいと思っています。
土田英生(つちだ・ひでお)
つちだ・ひでお 1967年、愛知県大府市生まれ。在籍した立命館大の仲間と89年、主宰する「MONO(モノ)」の前身の劇団を結成。全作品を作・演出し、ユーモアあふれる会話劇に人間が抱える矛盾、現代社会への問題意識を織り交ぜた作風で人気を博す。1999年に「その鉄塔に男たちはいるという」でOMS戯曲賞大賞、2001年に文学座に書き下ろした「崩れた石垣、のぼる鮭たち」で芸術祭賞優秀賞を受賞。11月、ロシアの劇作家アントン・チェーホフの作品を題材に脚本・演出を手がける喜劇「チェーホフを待ちながら」が、長野県松本市と横浜市で上演される。
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