俳優 森川葵さん 芸能界入りを相談したら「自由にやれば」と母 自分の考えで生きる母みたいになりたい

大森 雅弥 (2024年7月21日付 東京新聞朝刊)
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俳優 森川葵さん(五十嵐文人撮影)

家族のこと話そう

実は歌も運動も苦手

 15歳で芸能界に入って、人生のほぼ半分をこの世界で過ごしてきました。振り返ってみると、やっぱり母の存在が大きかったですね。

 テレビの企画で、アーチェリーからテーブルクロス引きまでいろんな技に挑戦させられて、なぜかどれもすぐに習得できたので意外に思われるかもしれませんが、実は運動が苦手です。歌もうまくなくて、小さいころ母から「あまり人前で歌わない方がいいよ」なんて言われたぐらい。

 そんな何もできない私が中学3年の時に、コンビニのチキンを友達と買って食べたいという理由で、新聞配達の仕事をするか、芸能の仕事をするか、という二つの選択肢を思い付きました。当時は家が豊かではなくて、母に「お金ちょうだい」と言えなかったからなんですが。

 ティーン向けの雑誌がオーディションの募集をしていることを知って母に相談しました。住んでいた愛知の田舎からすれば、芸能界なんて想像もできない世界。「危ないから」と言って止められても仕方ないと思うんですが、母は「やりたいんだったらやればいいよ。自由にすれば」と言ってくれたんです。

 けんかしたり、嫌になったりしたことは一度もありません。一言で言えば、母は自由な人。人が決めた規則に縛られず、自分の考えで生きている。喜怒哀楽の感情もあまり出さず、ずっと同じテンション。だから意見がぶつかり合うことがない。

要所で生きるヒント

 自分の考えを押しつけることもしません。私は「あれしなさい、これしなさい」と言われたことがない。そう言うと放任に聞こえるかもしれませんが、要所要所で生きるヒントをくれるんですよね。

 私がたまに「もうやめたいよ」なんて言うと、「やめたいならやめれば」って返すんです。じゃあ、もうちょっとやってみるか、となるじゃないですか。本人はそこまで考えてないと思うんですが、結局自分で考えて、やらなきゃいけないことをやるように仕向けている。

 その根っこに何があるのか分かりませんが、母は母親を病気で早くに亡くしたそうで、そのせいか自分の人生をこうしたいと思ってはこなかったみたいです。

 そんな母の生き方、考え方を尊敬していて、母みたいな人になりたいなと思います。あんまり頑張らない。楽に生きていく。俳優としての私も大きな目標や夢は持たないようにしています。

 でも、先日出版した初のエッセー集のタイトルは『じんせいに諦めがつかない』。自由に生きたいと思っていても私なりにプライドはあるし、なんかやってみたいことがあって、結局諦めきれないですよね。だから、一層母に憧れるのかもしれません。ずっと今のままでいてほしいです。

森川葵(もりかわ・あおい)

 1995年、愛知県出身。2010年に「ミスセブンティーン」グランプリとなりデビュー。近作は映画「ある閉ざされた雪の山荘で」など。バラエティー番組でさまざまな難技に挑戦、マスターする早さから「ワイルド・スピード森川」と呼ばれる。今年6月に初のエッセー集『じんせいに諦めがつかない』(講談社)を出版。

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