子どものあと〈6〉専業主婦が夢だった私が、共働きになって気付いた母の思い
今回、話を聞いたのは…
さちえさん
50歳、会社員、千葉県松戸市。子どもは、高校1年の長男、中学1年の長女、小学5年の次男。
母のお迎えが遅くて寂しかった
私は、共働き家庭で育ちました。当時はまだ少なかったと思います。夕方5時までの預かりだったのですが、私の親は間に合わないことが多かった。保育園の先生も私1人だけ残っているのがかわいそうだったのか、3時のおやつの後にたぶん4時半とかに余っていたおやつを出してくれることがありました。
忘れもしないのが、5時過ぎにうちの母親が「申し訳ありません!」と走ってきた日。ドラマみたいですけど、西日に照らされた園長先生が母を厳しく叱ったんです。「どんな思いでさっちゃんが待ってると思ってんだ」って。手をつないだ母に「ごめんね、ごめんね」って言われて帰った思い出があります。
私は3人きょうだいで、上の2人の時は母は専業主婦だったので、「自分で育てた」という感覚がきっとあるんだと思います。5年あいて私が生まれ、その時両親は自然食品のお店を始めていて、私だけ保育園なんです。保育園のお迎えは、途中から姉や兄でした。
やっぱり保育園で一番最後になりたくないな、という気持ちはありました。姉や兄が迎えに来てくれたとしても、家に着いたら遊びに出かけてしまうので、結局1人になるんです。だから私の親友はぬいぐるみ。おかしいと思われると思いますが、ぬいぐるみと会話していました。
火事のニュースとか見ちゃうと、うちが燃えたら大事なものを持って逃げなきゃと思って、すぐ持ち出せるように「キティちゃんごめんね、ちょっと苦しいけど我慢してね」と、袋に詰めて寝たこともあります。冬はぬいぐるみたちが寒い思いをするんじゃないかと思って、布団の真ん中にぬいぐるみを寝かせて、私は端の方で寝ていました。
夢は専業主婦…でも仕事も好き
そういうこともあって、私は子どもの頃から専業主婦になりたいとずっと思っていました。手作りのおやつなんか作ってあげる親になろうって。一方で、いつも好きになるのはダメ男なので、専業主婦になれるような高給取りの人とは結婚できない気もするなあ、なんてぼんやり考えていました。
でも大人になってみて、そうもいかないというか、そうもできない自分もいたのかな。せっかく総合職に就いたので、キャリアを追求したい自分もいたし、でも子どもの世話もしたい、と揺れました。結局、結婚当時に働いていた職場は、男尊女卑が強いこともあって、妊娠中に辞めました。それもあったし、予想通り、私よりも年収が低い人と結婚することになって、(夫は全然ダメ男とかじゃなくて、光る原石です!)産後も働いた方が家庭は回るのかもしれないけれど、もし夫といざこざがあった時に「あなたがいなくても、私はやっていける」とかひどい言葉を浴びせちゃう自分が嫌だなと思ったからっていうのもあります(笑)。
いざ子どもの世話をしてみたら、そんなに子どもにべったりできない自分もいました。大好きなんだけど、ずっと読み聞かせしたりとか、一緒にブロックで遊んだりとかできないんですよ、疲れちゃう。親の介護のために資格を取ることをきっかけに、1歳半ぐらいから保育園に通わせました。
参観日に行けなくても気にしない?
2人目の妊娠で体調を崩してしまって、ヘルパーの仕事も辞めて、2人目、3人目は幼稚園に通いました。でもやっぱり、子どもが3人ともなるとお金が必要だとなって、1番上が3年生、2番目が年長、1番下が年少の時にパートを始めました。マクドナルドです。
子どもには「ママ、お仕事に出てもいい?」と聞きました。子どもたちの帰りを迎えられる範囲にしようと思っていたので、最初はオープンスタッフで朝の5時から7時に働いて、子どもが起きる頃には家に帰っていました。次第に昼にも仕事を入れて、一度家に帰って子どもたちを送り出した後にまた職場に戻って、という生活でした。
だんだん「意外と大丈夫じゃん」となってきて、子どもの帰宅時間になっても働くようになりました。自分が描いていた専業主婦像とどんどんかけ離れていくわけです。子どもに鍵を持たせる自分に「あれ、これでよかったんだっけ」と、ふと思うこともありました。でもね、末っ子が小学校に上がった年のクリスマスにこんな手紙を突然くれたんですよ。「マックいっておかねをかせいでくれてありがとう」って。「子どもは見てくれている、仕事がんばってもいいんだな」ってうれしかったですね。
今はIT企業に勤めています。今でも私は親が授業参観に来てくれなくて寂しかったと思っているので、私も行けないとなった時に、「お母さん、今度の授業参観に行けないんだけどいい? 仕事休んで行った方がいい?」と甘えん坊の末っ子に聞いてみたら、「ううん、全然いいよ」って言われて、心の中で若干ズッコケました。
働く母を誇らしく思うと伝えたい
気づきとして思ったのは、母親を反面教師のようにして「専業主婦になりたい」と言っていた自分がどれだけ親を傷つけたかなって。寂しい思いはしたけれど、それが自分の人生に影を落とすことがあったのかって言ったら、そんなことないなって。寂しいって気持ちと同じぐらい、自分たちのために働いている母親のことをどこかで誇りに思っていたし、逆に「寂しい思いをさせて申し訳ない」って気持ちにさせてしまって申し訳なかったなって思いました。
だから自分が母親になってから、34、5歳くらいの時ですかね、作文コンクールを見つけて「母の背中」というタイトルの作文を書いて応募しました。それを母親に見せたかった。ずっと母親は私に「申し訳ない」と思っていただろうし、「そんなことないよ」って伝えてはいたつもりだったけれど、私はあなたを誇らしく思っているということを明文化しておきたかった。母に読んでもらったら泣いてましたね。私が36歳の時に母は病で他界してしまったので、改めてちゃんと伝ることができてよかったです。
子どもは面と向かって話をする、対峙(たいじ)することも大切だけど、子どもに見せる背中もすごく大事だなというか、子どもは絶対見ています。親が自分のために時間を使えるってすばらしいことです。それが巡り巡って子どものためになると思います。今は共働きの方はとても多いと思うので、後ろめたく思う必要ないよって、子どもはちゃんと気付いてくれると思うよって、私は今そう思っています。
〈1〉よく泣く子だった長男 あの頃、チーズが私のお守りだった
〈2〉長いお風呂に寝かしつけ 5歳の娘にとことん付き合う僕の願いは
〈3〉取り戻せない日々を塗りかえてくれた、息子の食べ歩きノート
〈6〉専業主婦が夢だった私が、共働きになって気付いた母の思い(このページ)
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