はんにゃ.金田哲さん 厳しくて怖かった父には、実は楽しい一面も 「自分がなりたい大人は近くにいた」

川合道子 (2025年7月13日付 東京新聞朝刊)

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自身の家族について話すお笑いコンビ「はんにゃ.」の金田哲さん(芹沢純生撮影)

カット・家族のこと話そう

各界で活躍する著名人が家族との思い出深いエピーソードを語るコーナーです

土下座して「芸人になります」

 今年2月に71歳で亡くなった父親は、子どもの僕にとって、厳しくて怖い人でした。みんなが遊んでいたミニ四駆やゲーム機をほしいと頼んでも、一切買ってもらえなかった。読書が好きで、本棚には哲学書や歴史書がたくさんありました。お酒の関係の会社に勤めていたので、ワインの図鑑も。家では静かに本を読みながらお酒が入ったグラスを傾けている感じでしたね。地元で剣道教室の先生もしていて、とにかく威厳に満ちていました。

 中高時代は反抗期で、父親とはほとんど話しませんでした。学校の文化祭などでお笑いをしていたけど、芸人になるとは予想してなかったと思います。高校を出てNSC(吉本興業の芸人養成所)に進もうと決めたときは、父親に土下座して「東京で芸人になります」と伝えると、しばらく考えて「分かった」とだけ言われました。

 上京して2年、21歳のときに、電気やガス、水道の支払いもできず、携帯電話も全部止まったことがあって、どうしようもなくて公衆電話から実家に電話しました。

 父親が出て「少しでいいからお金を振り込んでほしい」と頼むと、「それは自己責任。生活できないなら帰ってこい」とガチャンと切られました。その厳しさのおかげで自立するという覚悟を決められました。

 僕にとっては厳しい人でしたが、大人になって知る父親は違いました。地元の居酒屋でバイトしていた友人から「よく冗談を言う楽しいお父さんだね」と言われたり、テレビのロケで僕の実家に来たタレントさんに、父親が「合コンしましょうよ」と言って盛り上がったりと、すごくユーモアのある人でした。

父には似てないと思っていたが

 地元に帰って時間があるときは、父親といろんなことを話しました。「金田家は酒好きだけど、胃腸が弱いから、飲むときは熱燗(あつかん)かお湯割りから始めろ」という教えもあれば、詳しくは言えないけど、僕より芸人っぽいエピソードも。亡くなってあらためて父親に関わりのあった人たちから生前のことを聞くと、冗談を言って場を和ませつつ真剣な話もできる、緩急のある素敵(すてき)な人だったんだと思いました。

 僕は小さいころから「ユーモアのある大人」になりたいと思っていました。父親は真面目で物静かな人で連れて行ってくれるのは山や海ばかり。だから楽しそうなお笑いの世界が魅力的に見えていたと思います。

 でもふたを開けてみれば、自分がなりたい大人は近くにいたんですね。父親には似てないと思っていたけど、気付けば僕も歴史書や哲学書を読み、自然が好きでお酒好き。僕が10歳ぐらいまでに父親が埋め込んだ“起爆装置”に今、まんまとハマっています。

金田哲(かなだ・さとし)

 1986年、愛知県田原市出身。2005年に川島章良さんとお笑いコンビの現「はんにゃ.」を結成。俳優としても活躍し、24年はNHK大河ドラマ「光る君へ」に出演。テレビ朝日系で放送予定の木曜ドラマ「しあわせな結婚」ではエリート弁護士を演じる。自身のユーチューブチャンネルを開設し、やしの実FM「はんにゃ.金田のちょいのめり」(第2、4水曜)ではパーソナリティーを務める。剣道3段。

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  • 匿名 says:

    金田さん、昨年の大河ドラマでとても良い演技されていましたよね。歴史好きのお父様も大変喜んでおられて大河ドラマ館で息子さんの写真と一緒に写真を撮っていたのをsnsでお見かけしました。

    大河ドラマに出て親孝行できたかなと金田さんもおっしゃってましたよね。息子さんにこんなふうに思ってもらえるお父様。良いお父様だったのでしょう。それだけに寂しいですね。

     女性 40代

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