香港初のプレーパーク誕生の裏に一人の日本人女性 日英での経験買われ「自由な遊び」熱烈支援【香港プレーパーク奮闘記・上】

プレーパークの全体を見渡す堀田奈都希さん。自ら遊具に乗って安全確認を行うようにしている=香港・紅磡の夢想無界二份一遊楽場で
プレーパーク
子どもが自由にやりたいことをできる環境を整えた遊び場。第2次世界大戦中のデンマーク・コペンハーゲン郊外につくられた廃材遊び場が発祥とされ、日本にも1979年に最初の常設プレーパークができた。日本冒険遊び場づくり協会(東京)によると、2024年時点で全国に450以上のプレーパークがあり、40以上の団体が週3日以上の常設で運営している。
子どもの遊びへの挑戦を実現
1月中旬。50人ほどの親子連れでにぎわうその場所に、子どもたちを見守りながら一緒に遊ぶ日本人女性の姿があった。遊び場を支えるプレーワーカー、愛知県蟹江町出身の堀田奈都希(なつき)さん(35)だ。
靴下を脱ぎ、素足にサンダルで泥エリアに入っていく堀田さんは、泥水をすくって子どもたちと笑い合っている。「これ、コーヒーみたいだね」。かと思えば、保護者に話しかけに行ったり、遊び道具に危険がないか見回ったり。別の日には、高所で立ち上がる2歳の男の子が転落しないよう、手を添えながら一緒に遊んだ。「ただ子どもと遊ぶお姉さんじゃないんです」
大切なのは安全を確保しつつ、子どもの遊びへの挑戦を可能な限り実現させること。保護者と会話するのは、来場への思いなどを聞くだけでなく、遊び方に口を出したくなる大人の目をそらすという意味もあるという。こうした遊び場は現地でも受けており、長男(3)を連れて訪れた地元の男性(37)は「自由度の高い遊びに集中できる環境。何事も自分で解決できる力が身に付くと思った」と話した。

プレーパークに来た男の子(左)を見守りながら一緒に遊ぶ堀田さん
教育熱心で「子どもが忙しい」
プレーパークの理念は第2次大戦中のデンマークで生まれ、戦後の英国で育まれた。運営団体の「智楽(Playright)」によると、香港にプレーパークができるのは今回が初めてだ。その名も「夢想無界二份一遊楽場(Dream Together Playground)」。二份一は「半分」を意味する言葉で、遊びの半分を運営者が提供し、もう半分は子どもたちが作り上げるという願いが込められている。
香港には教育熱心な土壌がある。現代香港政治に詳しい立教大の倉田徹教授によると、世界的に評価の高い高等教育機関が集中しており、入試の競争率も高い香港では「政府が教育産業を奨励している」。堀田さんも「子どもが忙しそう。小さいころからプレッシャーの中で生きているのかな」という印象を抱いた。
そんな香港にプレーパークが必要だったのはなぜか。智楽の職員、ミン・シャムさん(41)は「子どもたちの生活が親主導になっていること」を理由に挙げる。「遊びや食事の時間すら親に管理されている」といい、「子どもたちが自分の意思でやりたいことを決められる場所が必要だった」。整備には政府からの資金援助も受けた。
東アジアにありながら英国統治時代の情緒を残しているだけあって、プレーパークにも各国の要素が取り入れられている。ミンさんによると「日本は人と人との関係を重視する。英国は泥遊びなど汚れを気にしない特徴がある」。智楽はその両方をプレーパークに浸透させているという。堀田さんは日本だけでなく英国でもプレーワーカーとして働いた経験があるため、「私たちの助けになる適任者だった」(ミンさん)。
オファーを受けて悩んだが・・・
堀田さんは渡英前、智楽が香港で期間限定のプレーパークを開いた際に、サポート役として現地を訪れたことがあり、もともと縁があった。オファーを受け、当初は荷が重いとも感じたが「私の経験が香港の子どもたちの役に立つなら」と意を決した。そうして再び香港の地で働き始めたのは、昨年7月のことだった。


〈香港プレーパーク奮闘記〉香港初のプレーパークで奮闘する堀田さん。その姿から、国や地域が違っても変わらない子どもの「遊び」の大切さを3回の連載で考えます。
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