公園のゴールデンタイムは「芋洗い」状態 もう少しなんとか…〈瀧波ユカリ しあわせ最前線〉15

(2025年6月18日付 東京新聞)

瀧波ユカリ しあわせ最前線

16時の人口密度に圧倒されて

 つかの間だった涼しい季節。窓を開けると、近くの公園で遊ぶ子どもたちの声が聞こえた。その日はいつもよりにぎやかだったので、買い物ついでに公園をのぞいてみた。そして、圧倒された。人口密度がものすごいことになっている。一言で言うと「芋洗い」だ。

 時間は16時ごろ。放課後の小学生たちと、お迎え後の未就学児たちのゴールデンタイムだ。

 すべり台のついたジャングルジムには子どもたちが鈴なりに群がり、周りを親たちがぐるりと囲んで見守っている。すべり台の下には、高学年の男子たちがゲーム機を手に車座になっている。すべり台が日よけになって、画面が見やすいのだろう。

 大人の目を盗んで塀によじ登っているチャレンジャーもいるが、ちょっと待て君、それは公園ではなく隣家の塀だぞ。合計30人くらいだろうか。ちなみに公園の敷地面積はおよそ250平方メートル。郊外の庭付き一戸建てと同じくらいだ。全力で走るのは不可能な広さである。

イラスト:古今東西・子どもと公園

イラスト・瀧波ユカリ

 ここから「都会の子どもは思い切り遊べない。運動能力や情操発達への影響は」みたいな紋切り型の論を展開するのは簡単だ。しかしそれは飛躍というものだ。子どもは公園のみで育つにあらず。スポーツクラブに通ったり、グラウンドで駆け回ったりもしている。

 それに、もともとあまり運動好きではない子どももいる。札幌で小学校高学年まで過ごしたわが家の娘は、どんな広い場所に連れて行っても全然走り回らず、砂場や遊具でおっとりと遊んでいた。せっかく自然の多いところで育てたのに…という複雑な気持ちが、なくはない。

「少なさ・狭さ」は政治の問題

 とはいえ、である。公園というのは、一般市民がつくれるものではない。だから子どもが遊ぶ公園が少なかったり、じゅうぶんな広さがなかったりすることは、言わずもがな子どもや親の問題ではなく政治の問題、もっと言えば「政治の力で改善可能なこと」なのだ。都会ではなかなか難しいことはわかるが、もう少しなんとかならんのか。

 小公園のすぐ近くでは、古い屋敷の取り壊しが行われていた。「昔はこの屋敷の庭が開放されていて、自由に遊んでいたよ」。取り壊しを眺めていた私に近所のおじいさんが教えてくれた。敷地面積を調べてみたら小公園の4倍あった。ここも公園になればいいのに。だけどきっと、立派なマンションが建つのだろう。

 夜更けにまた公園の前を通った。あれだけにぎわっていたのに今は静まり返り、ごみひとつ落ちていない。忘れ物の水筒だけが、行儀よくたたずみ持ち主を待っていた。

写真 瀧波ユカリさん

瀧波ユカリさん(木口慎子撮影)

瀧波ユカリ(たきなみ・ゆかり)

 漫画家、エッセイスト。1980年、北海道生まれ。漫画の代表作に「私たちは無痛恋愛がしたい~鍵垢女子と星屑男子とフェミおじさん~」「モトカレマニア」「臨死!! 江古田ちゃん」など。母親の余命宣告からみとりまでを描いた「ありがとうって言えたなら」も話題に。本連載「しあわせ最前線」では、自身の子育て体験や家事分担など家族との日々で感じたことをイラストとエッセーでつづります。夫と中学生の娘と3人暮らし。

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