「共働き」という言葉にちょっと待った。専業主婦だって「働いて」いる!
「共稼ぎ」という言葉を使うべき、その理由
記事は、これからの労働組合の課題について問うたもの。長時間労働に関する労組の役割、労働者の意識について尋ねたところ、教授は、労働者側にも夫が残業した方がいいという意識があると指摘。夫が働き、妻は主婦という場合、主婦がパートに出るより夫が残業した方が得と思われているからだ。しかし、男女の雇用が平等な時代。夫婦共に正社員として収入を得るモデルへの転換を訴えた。
そして、労組の要求はこれまで「お金」が主だったが、夫婦が共に収入を得る仕事をするなら、家事や子育てには「時間」が貴重になるため、労組の要求項目としても時間が重要になるとした。その中で、教授は夫婦共に収入を得ることを「共稼ぎ正社員モデル」と表現した。
ただ、新聞で使う言葉にはルールがある。できるだけ一般的な表現を用いる。本紙が準拠する用字用語集「記者ハンドブック」にも「共稼ぎ」は「なるべく『共働き』に言い換える」とある。そのため、「共働き」と紙面化したのが、教授のおしかりの理由だ。
再び研究室を訪れた記者に教授は諭した。「私は繰り返し『共働き』は非学問的で、『共稼ぎ』という言葉を使うべきだと主張してきました。『共働き』は家事や育児を仕事や労働とみなさない用語だからです」
収入はなくても「むしろ責任の重い労働」
学問とは精緻な分析・考察を重ね、問題のありかと方途を探るもの。言葉の使い方にも人や社会の在り方を嗅ぎ取る。一言に「労働」と言っても、「収入が伴う『稼得労働』と、収入が伴わない『非稼得労働』がある」と教授は説く。
なので「稼ぐ」ばかりが労働ではない。稼ぎはなくとも、家事、育児、介護は暮らしに不可欠な労働だ。「会社で売り上げや製品に責任を持つように、労働とは責任を伴う行為とも定義できる。その意味では、子育てや介護の方がむしろ責任は重い」と教授は説く。
「共働き」なら専業主婦もやっている。夫の陳腐な言い草に「俺が働いて、おまえらは食わせてもらっているくせに!」というのがある。妻は悔し涙を浮かべてこう思うだろう。「私だって働いている。家事も子育ても全部やっている…」
なのに家事・育児は「労働」から外されてしまった
だが、妻も社会で活躍し「稼」ぐ時代となった。家事や育児を働きとして重んじながら、どのようにして夫婦共に稼いでいくか。それには、家事労働をどう分担するか考えなくてはならない。その視点に至ることにも、「働」と「稼」を分けて考える意義がある。
「夫婦共に収入を得ることは『共稼ぎ』とよぶべきなのです。『稼ぐ』には『出稼ぎ』のような貧困につながるイメージがあった。なので『共働き』という表現が一般化したのでしょう。でもその結果、家事、育児、介護が『労働』から外されてしまった」
わずか漢字一文字の違い。しかし、その違いを考えることは、「働く」ということをあらためて問うてみることでもあった。
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