「共働き」という言葉にちょっと待った。専業主婦だって「働いて」いる!

三浦耕喜 (2017年6月5日付 東京新聞朝刊)
 「共働き」と「共稼ぎ」。一般には、ほぼ同義語として使われるが、よくよく考えると大きな違いがある。実は、5月1日の「メーデーに考える『労働運動』」の京都大大学院経済学研究科の久本憲夫教授(62)へのインタビュー記事の掲載後、「共働き」という言葉を使ったことで教授におしかりを受けた。「これでは私の長年の主張を自己否定したことになる」と。記者個人にとっても教授は学生時代に世話になった方。早速、再び京都に向かった。

「共稼ぎ」という言葉を使うべき、その理由

 記事は、これからの労働組合の課題について問うたもの。長時間労働に関する労組の役割、労働者の意識について尋ねたところ、教授は、労働者側にも夫が残業した方がいいという意識があると指摘。夫が働き、妻は主婦という場合、主婦がパートに出るより夫が残業した方が得と思われているからだ。しかし、男女の雇用が平等な時代。夫婦共に正社員として収入を得るモデルへの転換を訴えた。

 そして、労組の要求はこれまで「お金」が主だったが、夫婦が共に収入を得る仕事をするなら、家事や子育てには「時間」が貴重になるため、労組の要求項目としても時間が重要になるとした。その中で、教授は夫婦共に収入を得ることを「共稼ぎ正社員モデル」と表現した。

 ただ、新聞で使う言葉にはルールがある。できるだけ一般的な表現を用いる。本紙が準拠する用字用語集「記者ハンドブック」にも「共稼ぎ」は「なるべく『共働き』に言い換える」とある。そのため、「共働き」と紙面化したのが、教授のおしかりの理由だ。

 再び研究室を訪れた記者に教授は諭した。「私は繰り返し『共働き』は非学問的で、『共稼ぎ』という言葉を使うべきだと主張してきました。『共働き』は家事や育児を仕事や労働とみなさない用語だからです」

収入はなくても「むしろ責任の重い労働」

 学問とは精緻な分析・考察を重ね、問題のありかと方途を探るもの。言葉の使い方にも人や社会の在り方を嗅ぎ取る。一言に「労働」と言っても、「収入が伴う『稼得労働』と、収入が伴わない『非稼得労働』がある」と教授は説く。

 なので「稼ぐ」ばかりが労働ではない。稼ぎはなくとも、家事、育児、介護は暮らしに不可欠な労働だ。「会社で売り上げや製品に責任を持つように、労働とは責任を伴う行為とも定義できる。その意味では、子育てや介護の方がむしろ責任は重い」と教授は説く。

 「共働き」なら専業主婦もやっている。夫の陳腐な言い草に「俺が働いて、おまえらは食わせてもらっているくせに!」というのがある。妻は悔し涙を浮かべてこう思うだろう。「私だって働いている。家事も子育ても全部やっている…」

なのに家事・育児は「労働」から外されてしまった

 だが、妻も社会で活躍し「稼」ぐ時代となった。家事や育児を働きとして重んじながら、どのようにして夫婦共に稼いでいくか。それには、家事労働をどう分担するか考えなくてはならない。その視点に至ることにも、「働」と「稼」を分けて考える意義がある。

 「夫婦共に収入を得ることは『共稼ぎ』とよぶべきなのです。『稼ぐ』には『出稼ぎ』のような貧困につながるイメージがあった。なので『共働き』という表現が一般化したのでしょう。でもその結果、家事、育児、介護が『労働』から外されてしまった」

 わずか漢字一文字の違い。しかし、その違いを考えることは、「働く」ということをあらためて問うてみることでもあった。

コメント

  • 専業主婦を社会のお荷物のように位置づけるメディアにうんざりしています。 内助の功は時代錯誤のように言われますが、子供が4人なので突発的な事も多く、主人は私のお陰で仕事に専念できると言ってくれるの
     女性 40代 
  • 家事にお金は伴わないけど 家政婦さんの仕事として換算すれば かなりの金額が発生するはず。 そう考えれば 主婦も自宅労働で稼いでる。 働き方にはいろんな形があるでしょう❗