スポーツドクター 辻秀一さん 次女・辻愛沙子が宿題をしなくて学校に呼び出されても「ただ信じていた」

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娘とのコミュニケーションについて話すスポーツドクターの辻秀一さん(松崎浩一撮影)

カット・家族のこと話そう

各界で活躍する著名人が家族との思い出深いエピーソードを語るコーナーです

娘には好きなことをしてほしい

 研修医時代に旅したパリで、妻と出会いました。帰国する前夜にパリの日本料理屋で声を掛けて、結婚すると直感したんです。手紙を出して、日本で再会した時にプロポーズしました。専業主婦でしたが、私がメンタルトレーニングの専門家として独立した時になかなか仕事がなくて、家計のために働き始めてくれたんです。今は「仕事って面白いね」とバリバリ会社を経営しています。それで私がたまに娘たちのお弁当を作ることになっちゃいました(笑)。

 姉妹がどんな大人になってほしいか、妻と話し合った時に、高学歴や医者になってほしいとかは全くなかった。夫婦ともに自由人だから、自分らしく好きなことをして、生き抜く力を持ってほしいよねって。(今はクリエーティブディレクターとして活躍する)次女の愛沙子が幼稚園のころから、一緒にお風呂に入りながら「私はこう考えるけど、あなたはどう考える?」という会話をしていましたね。私の母は、とにかく私の話を聞いてくれましたから。それが、私の「同意より理解」などの教育方針につながっています。

 子育てって、アートだと思うんですよ。その反対は、マーケティングで、どうすれば社会的に成功するのか外的な状況に合わせた戦略的な育て方です。アート的な思考の子育ては、そもそも子どもには個性があるのだから邪魔しないで、ただ信じる。個性を伸ばすのでもなく、その子が輝けるよう、ただただ磨くお手伝いをするイメージです。

 だから、次女は自分で嫌だと思った勉強はしなくて、私は学校の先生によく呼び出されていました(笑)。散々言われて帰ってきて、娘や妻にどうだった?と聞かれても、「別に何も言われなかったよ」と全部飲み込んでいました。娘のどこが悪いんだって。宿題はしないかもしれないけど、娘はクリエーティブなことが好きで、卒業アルバムのデザインなど夢中でやっていましたから。

親子で機嫌がいいと生まれるもの

 管理されることが嫌いな娘は、学校生活に気がめいって、保健室で過ごす日もありました。ニューヨークの高校に通っていたころも、私も妻も呼び出されましたね。成績はよくて満点取るけど、やりたくないものはリポートを出せば通ると言われても「出す意味が分からない」と言って0点とかですからね。

 どんな人も子どもも、行動の裏には感情がある。その気持ちを理解することを心がけました。リポートくらい出しなさいよとは言わずに、「その気持ち分かるよ」とだけ。信じて理解することが親の仕事だから、信じてましたね。その方が、自分も子どもも機嫌よく生きられる。機嫌よくいることによって、生まれるものがたくさんあるから、それを第一にしています。

 だから、辻家は全員がユニークで変わってるんです。4人とも「自分が1番まとも」って思っている。「うそだろ、お前ほど個性的でユニークなやついないだろう」って全員思っています。いい意味でぶっ飛んでいるんです。

辻秀一(つじ・しゅういち)

 1961年、東京都生まれ。31歳まで内科医として激務の日々。入院患者を笑いで癒やす映画「パッチアダムス」を見て、心豊かに生きようとスポーツドクターとしてメンタルトレーニングを志す。株式会社エミネクロスを設立し、ライフワークとして「ごきげん道」を伝える。近著に「個性を輝かせる子育て、つぶす子育て」(フォレスト出版社)。

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