舞台俳優 大鹿礼生さん 女優志望だった母の夢を継いで 「バケモノの子」主役決定の日は実は… - 東京すくすく | 子どもとの日々を支える ― 東京新聞

舞台俳優 大鹿礼生さん 女優志望だった母の夢を継いで 「バケモノの子」主役決定の日は実は…

石川由佳理 (2025年1月12日付 東京新聞朝刊)

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子役時代を振り返る大鹿礼生さん=名古屋市中村区の名古屋四季劇場で(木口慎子撮影)

カット・家族のこと話そう

各界で活躍する著名人がご家族との思い出深いエピーソードを語るコーナーです。

中1までライオンキング「もういいかな」

 3歳からダンスを始めました。母は元々女優志望で、僕にやらせたかったみたいです。市民ミュージカルに参加することになり、体が硬くてストレッチで泣いていましたが、踊るのは楽しかったです。

 小学1年で芸能事務所に所属し、ドラマや映画、CMに出演しました。週2回のレッスンは母が付き添ってくれました。どうしても出たいミュージカルがあったんですが、落ちて初めて泣きました。「次は絶対に受かる」と話すと、母は何も言いませんでした。プレッシャーになると思ったのかもしれません。そうして臨んだのが、劇団四季の「ライオンキング」でした。

 主人公の子ども時代のヤングシンバ役に決まり、半年間けいこに通いました。母と電車でたわいもない会話をしました。小5で迎えた初舞台は、緊張したことしか覚えていません。母も「客席で見ていて一番緊張した」と言っていた気がします。終演後は、ここからがスタートだと子役なりに自覚していました。

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大鹿礼生さん(木口慎子撮影)

 中1まで出演し、中2できっぱり芸能の仕事はやめることにしました。自分の中で満足してしまい、もういいかなと。芸能コースのある私立中学に通っていましたが、経済的な負担も考えて公立に転入しました。

大学で「やっぱり舞台は面白い」と思い

 大学1年の時に舞台の裏方の仕事を手伝い、やっぱり舞台って面白いなと思いました。再びレッスンに通い始め、「自分ではない自分」を演じる魅力を実感しました。

 舞台の仕事に戻るか、就職するか。母は就職してほしいと思っていたようですが、「劇団四季だったら安心できる」と言われ、オーディションを経て四季の研究生に。母は「ブランクがあるのに、よくここまで頑張ったね」と言ってくれました。1年後に入団テストがあるのでレッスンの毎日でした。

 2019年に無事入団が決まりました。「バケモノの子」の主人公、蓮・九太役のオーディションは先輩からの勧めで受けました。実は、合格発表の日が母の誕生日だったんです。電話で「誕生日おめでとう」と伝えた後に「そういえば受かりました」と言ったら「頑張ったね」って。「いや、まだ出てないんだけど」って言いました。

 母はよく舞台を見に来てくれます。自分の好きなことにお金を使ってほしいと言っても、「私の好きなことはあなたの舞台を見ることだから」と。母がしてほしかったことができたのかなと思いながら、本番に臨んでいます。お客さんはもちろん、家族が喜んでくれるのが僕の一番の生きがいです。

 僕の名前は父が「礼儀正しく生きろ」、母が「生まれてきてくれてありがとう」と、2つの意味を込めてつけてくれました。逆に僕は「産んでくれてありがとう」と思っています。

大鹿礼生(おおしか・らいき)

 1996年、神奈川県茅ケ崎市生まれ。子役として活躍し、劇団四季「ライオンキング」のヤングシンバ役に出演。専修大卒業後、2018年に劇団四季の研究生に。翌年入団し、「リトルマーメイド」などに出演した。現在公演中の「バケモノの子」は、名古屋四季劇場(名古屋市中村区)で2月9日まで。

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