バリトン歌手 川内悠さん 音楽の入り口はアニソン 高校から始めた声楽を母が支えてくれた

佐橋大 (2025年3月16日付 東京新聞朝刊)

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バリトン歌手の川内悠さん(五十嵐文人撮影)

カット・家族のこと話そう

各界で活躍する著名人が家族との思い出深いエピーソードを語るコーナーです

祖父や母がくれたきっかけ

 大学進学で上京する前は、鹿児島市で母と2人で暮らしていました。幼稚園児のころは、母が仕事で忙しく、隣町の指宿市に住む祖父母と僕の3人暮らし。母は朝にやって来て、僕が昼寝をしている間に仕事のために帰っていく生活でした。

 音楽に親しむきっかけの一つが、電器店を営む祖父が録画していた昭和のアニメソングを特集したテレビ番組です。4、5歳のころから何度も見て、歌って覚えました。母が車でかけてくれた洋楽のCDも、やはりその一つですね。

 歌は好きだったのですが、中学校で属していた合唱部は、自分の意思というより、音楽の先生に“スカウト”されて入りました。授業で僕が歌うのを聞いた先生から「合唱部に入らない?」と誘われて。声楽の道を志したのは、高校受験を考える段階です。「芸大に進んでほしい」という先生の思いを聞き、「音楽の道に進もう」、そのためには「音楽科のある県立高校に進もう」と決めました。

 ちょうどそのころ、母が偶然録画してくれたテレビ番組でも、その思いを強くしました。それは、(イタリア人男性オペラ歌手3人によるユニット)「イル・ヴォーロ」が来日したときに出ていた朝の番組でした。3人の雰囲気に魅せられ、とにかく音楽を楽しんでいるのが伝わってきました。自分もこうありたいと思いました。

 人の心を診る心療内科医になりたいとも考えましたが、歌にも通じるものがあると思いました。歌を通して、人の心を動かしたり、癒やしたりしたいと…。

4月にデビューコンサート

 通っていた鹿児島大付属中では、一般的な進学校に進む人が多い中、母は、自分が決めたことならと私の進路に賛成してくれました。高校から始めた声楽は、合唱とは発声の仕方も違って苦労しました。授業が終わった後、外部の先生のレッスンもあって高校生活は結構ハードでしたが、母は毎日弁当を作って支えてくれました。

 4月のコンサートには母が来てくれる予定です。祖母は昨年、がんと診断され、要介護5です。僕も帰省したときは介護をします。祖父母はコンサートに来られませんが、映像などで届けられればと思います。

 祖父母、母も音楽が好きで、それは遺伝なのかなと思います。3歳まで一緒に暮らしていた父のルーツは外国にあり、骨格面で発声に影響している部分はあると思います。家族をはじめ、いろんなところで支えてくれている人がいて、今の自分があります。感謝の心を胸に、「これからも頑張っていきます」と皆さんにお伝えしていけるコンサートにしたいですね。

川内悠(かわうち・ゆう)

 2002年生まれ。鹿児島市出身。高校2年生のとき、第38回全日本ジュニアクラシック音楽コンクール声楽部門高校生の部第1位に輝くなど頭角を現し、東京芸術大音楽学部に進学。現在4年生。4月11日、男性3人組オペラユニット「IL BUONO(イル・ボーノ)」のリードボーカルとして東京・サントリーホールでのデビューコンサートに臨む。

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