元陸上選手・大学教員 室伏由佳さん 父は今も私の道しるべ 一度は教えを無視したけれど…

神谷慶 (2025年3月30日付 東京新聞朝刊)

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競技生活を振り返る室伏由佳さん(七森祐也撮影)

カット・家族のこと話そう

各界で活躍する著名人が家族との思い出深いエピーソードを語るコーナーです

父は?兄は?聞かれる度に…

 胸に刻まれている光景があります。ハンマー投げの代表に4度選ばれた父・重信の最後の五輪となった、米ロサンゼルスのスタジアム。地鳴りのような歓声に、スタンドにいた7歳の私と、2学年上の兄・広治の声援はかき消されるほど。それなのに、父を含むフィールドの選手たちは、違う世界にいるかのように集中しきって静かに競っていました。「かっこいい、私もいつか出たい」と憧れました。

 高校から円盤投げを始めました。兄はハンマー投げで既に活躍していましたが、私は全国大会では優勝できませんでした。でも試合後、メディアの方から「今日はお父さんは、お兄さんは何と言っていましたか」と、ほぼ毎回聞かれました。自分が何者か、分からなくなっていきました。

 父が指導する中京大に進み間もなく迎えた日本選手権。「多少体格が小さくても伸びる種目。一番向いている」と父に言われていたハンマー投げが女子でも公式種目となり、出てみたら3位に。翌日の新聞で、「アジアの鉄人」と呼ばれた父にちなんで兄は「新鉄人」と評され、私は、兄より大きく写真が掲載された。注目が怖くなり、ハンマー投げはやめてしまいました。

 円盤投げに専念し、父の指導を無視するようになりました。「体力が低い方だからやめた方が良いよ」と助言されても「質より量」のトレーニングを延々続け、記録はパタッと伸びなくなりました。自信喪失に陥り、4年生に上がる頃にOBの先輩に相談すると、「お父さんのお話は聞かなくていいの?」と。そのひと言でわれに返りました。

手書きの練習メニューで五輪へ

 父の書斎を訪ね、悩みを打ち明けました。身構えていると「悩んでいたことは分かっていたよ」。そして「今からだって、いくらでも伸びる方法はあるんだよ」と。翌日、手書きの練習メニュー表をくれました。こんなに少なくて大丈夫かなと思いましたが、その通りこなすと、半年後、学生記録を更新できました。

 二人三脚が始まりました。円盤投げでは海外の選手と比べても体格的に限界を感じ、ハンマー投げで五輪に出たいと言うと、父は「大変だけど、すぐ練習を始めればできるかもね」と。感情を表に出さない父が、身ぶり手ぶりで練習計画を説明してくれた。選手が自ら可能性に気づき決断したことが、指導者としてうれしかったんだと思います。

 6年後、アテネのスタジアム。選手として入場し、スタンドのコーチ席の父に手を振った瞬間、今までのことが走馬灯のように思い出され、感情があふれました。あの時、父が立っていた五輪のフィールドに今、私はいるんだと。父と兄から刺激をもらえたからこそ、立てた舞台でした。

 誰に対しても真剣で、相手の向上を無上の喜びとする人。私も同じ大学教員になり、まだまだ及びませんが、そうありたいと思っています。父は今も、私の道しるべです。

室伏由佳(むろふし・ゆか)

 1977年、静岡県沼津市生まれ、愛知県豊田市出身。2004年、ハンマー投げでアテネ五輪出場。日本選手権でも同種目で5回、円盤投げで12回優勝した。両種目の元日本記録保持者。腰痛症や婦人科疾患と向き合いながら競技を続け、12年に引退。選手時代から大学院で学び、現在は順天堂大スポーツ健康科学部先任准教授としてアンチ・ドーピング教育やスポーツ心理学などを研究する。スポーツ健康科学博士。趣味は料理とケーキ作り。大の猫好き。

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